村上春樹「訳者あとがき」の謎――『「グレート・ギャツビー」を追え』(4)

この本は「第一章――『強奪』」と、最終章の「第八章――『取引』」を、ミステリーの骨格で包み、途中を作家マーサーと、書店主ケーブルとの、さまざまな絡み合いを見せ、また出版界のいろんな側面を映し出していく。
 
それは、純粋なミステリーとは違うけれど、村上春樹が、巻を措く能わざる面白さ、と保証するとおりだ。
 
いちおうミステリーだから、全部はバラせないけれど、終わりまで読み通して、僕はおおいに満足した。
 
大概のミステリーは、口の悪いのに言わせると、究極のご都合主義だそうだが、そういうことも含めて満足した。
 
村上春樹は、ふたたび「訳者あとがき」に言う。

「というわけで、この本はミステリー・ファンにも、そして本好きの人たちにも、また本格的なブック・コレクターの人たちにも、たっぷり楽しんでいただけるのではないかと思う。」
 
まったく村上さんの言うとおりだなあ。
 
そこまで満足して巻を閉じた後、あれっと、微かに引っかかるものがある。
 
村上春樹は、2年ほど前、ポーランドを旅しながら、読むものがなくなり、街の書店に入って、この本に行き当たったという、それも偶然に。
 
そんなことって、あり得るだろうか。フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を翻訳した人が、『グレート・ギャツビー』を渦の中心にしたミステリーを、偶然読むというようなことが。
 
僕にはとても信じられない。翻訳書の編集者は何をしているのだろうか。それともこれは、編集者と打ち合わせた後、こういうふうにしたら面白かろう、という村上さんのアイディアなのかな(それなら非常によく分かる)。
 
それにしても、この半年足らずの間に、小説としては『一人称単数』(これは傑作だった)、村上春樹ではないものとして『猫を棄てるーー父親について語るとき』(戦中派の父を持つ人が、書いておかなければならないノンフィクションだった)、そして翻訳書として『「グレート・ギャツビー」を追え』、これはもう、多面体・村上春樹のエンジン全開である。
 
なお『カミーノ・アイランド(Camino Island)』は評判が良かったらしく、続編の『Camino Winds』も出ており、これも同じ中央公論新社から、翻訳刊行されることになっている。

(『「グレート・ギャツビー」を追え』ジョン・グリシャム、村上春樹・訳
 中央公論新社、2020年10月10日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 00:28Comment(0)日記