村上春樹「訳者あとがき」の謎――『「グレート・ギャツビー」を追え』(3)

女流作家のマーサー・マンは、カミーノ・アイランドに暮らす、強烈な個性の作家たちから、パーティーに招待される。その中心にいるのは、書店主のブルース・ケーブルである。
 
こういう作家たちの話を、村上春樹は面白がって訳していると思う。

「会話の話題は著者ツアーに集中した。誰もが語るべき話を持っていた。リーとジェイとコブは同じような体験をしたことを告白した。一冊も本が売れないまま、書店の奥で一、二時間を無為に潰したのだ。〔中略〕エイミーでさえ、吸血鬼もので一山当てる前には何度かひどい目にあっていた。」
 
アメリカの作家たちの話は、そのまま流れて新宿の文壇バーの夜に、連想はつらなっていく。「風花」や「猫目」に集ってくる人々は、どうしているかしらん。
 
そこには作家や編集者以外にも、ごくまれに書店人もいたな。
 
マーサーは、こんなことも考える。

「思えば、ベイ・ブックスのような書店や、ブルース・ケーブルのような人々の存在は貴重なのだと彼女は痛感した。そのような数少ない書店主たちは、熱心な常連客を繫ぎ止めておくために、身を粉にして働いているのだ。」
 
ここは翻訳であることを超えて、村上さんの日本語には、充分すぎるほど血が通っている。
 
マーサーはまたブルース・ケーブルと、本を注文することについて、こんな問答をする。

「……パリでのフィッツジェラルド夫妻とヘミングウェイに関する本を二冊読んだ。そしてあと何冊かを注文している」
「注文した?」
「ええ、アマゾンでね。ごめんなさい。でも、ほら、あそこの方が安いのよ」
「そうらしいね。でも僕に頼めば、三割引で買えるよ」
「でも私はeブックでも読みたいから」
「若い世代か」
 
アマゾンでの注文、eブック、何をかいわんやである。2人の会話は、鮮やかに世代の対比を表わしている。
 
ケーブルはまた読者の立場から、マーサーに、執筆者として気をつけてほしいことを、箇条書きのかたちで言う。

「新人作家の犯すもう一つの間違いは、第一章で二十人の登場人物を紹介することだ。五人で十分だ。それなら読者の頭も混乱しない。〔中略〕次。お願いだから、頼むから、会話にはクォーテーション・マークをつけてもらいたい。そうしないとわけがわからなくなるんだ。ルールの第五条。たいていの作家は語りすぎる。だから常にそぎ落とすことを考えてほしい。」
 
マーサー・マンに向かって喋っているのだが、村上さんの含み笑いが聞こえてくるようだ。
posted by 中嶋 廣 at 17:13Comment(0)日記