胃袋から攻める――『文人悪食』(3)

中原中也は、異常に酒癖が悪かった。

あるとき雑誌「白痴群」の同人たちと飲んでいて、「大岡昇平にからみ、いきなり後ろから首筋を殴ったが大岡は二重廻しのポケットに手を入れたまま手を出さなかった。」大岡は、中也の悪態に、慣れていたのである。
 
中村光夫と初めて会ったときには、ビール瓶で中村の頭を殴った。「文芸批評家として脚光を浴びる中村に嫉妬したのである。」中村は、「中也の悲しみがわかるので、怨む気持ちになれない」と語っている。
 
中原中也は17歳のとき、3歳年上の女優、長谷川泰子と同棲したが、泰子は小林秀雄のもとへ去り、中也は失意のどん底にいた。中村の言うのもよく分かる。
 
とはいえ17歳で同棲である。なかなかと言うしかない。
 
その後、小林は『様々なる意匠』で一躍文壇の寵児になった。中原の荒れるまいことか。
 
中原中也の詩は、生きているときには顧みる人は誰もいなかった。彼は、死後に賭けたのである。

「これは生前の大岡昇平に教えられたことなのだが、中也の顔として知られている黒帽子の美少年像は、肖像写真が複写されつづけてレタッチされた結果、本物の中也とは、まるで別人になってしまったことである。三十歳の中也は『皴が多いどこにでもいるオトッツァン顔だよ』と大岡氏は語っていた。」
 
かなりな酷評である。

「してみると中也は、詩のなかに逆転した自己を投影しただけでなく、たった一枚の写真のなかに自己を閉じこめた魔術師であった。詩だけでなく、あの有名な顔写真も中也の作品なのである。」
 
嵐山は、最後に中也の「オトッツァン顔」のことまで言い、読者の最後の希望まで奪ってしまう。言ってみれば、逆に、エッセイとしては、鮮やかにキメているのだ。
 
しかし初めにかえって、ようく考えてほしい。中原中也はわずか17歳で、女優の長谷川泰子と同棲しているのだ。そのとき彼女は、中也の何を見たのか。そこに肉薄しない限り、中也論は成立しないのではないか。
 
他にはどれも、著者の皮肉な目が、といって悪ければ、著者の「複眼的思考」がよく効いていて、これはこれで面白かった。
 
とくに岡本かの子と林芙美子は、文壇では嫌われ者だったようで、そういうところに来ると、嵩にかかって攻め立てる嵐山の筆は、じつに躍動するのだ。

(『文人悪食』嵐山光三郎、新潮文庫、2000年9月1日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 18:50Comment(0)日記