胃袋から攻める――『文人悪食』(1)

これは面白い。

「ほぼ日の学校長」、河野通和さんが、週1回のメールマガジンを出していて、1カ月前のメルマガで、嵐山光三郎の『文人暴食』に触れていた。これは傑作である、と。
 
で『文人暴食』を調べていたら、その前にこの本があった。それなら順序良く、こっちから読まなければ。
 
夏目漱石、森鷗外から、池波正太郎、三島由紀夫まで、37名の作家を、胃袋から攻めている。
 
その作家とは、夏目漱石、森鷗外、幸田露伴、正岡子規、島崎藤村、樋口一葉、泉鏡花、有島武郎、与謝野晶子、永井荷風、斎藤茂吉、種田山頭火、志賀直哉、高村光太郎、北原白秋、石川啄木、谷崎潤一郎、萩原朔太郎、菊池寛、岡本かの子、内田百閒、芥川龍之介、江戸川乱歩、宮沢賢治、川端康成、梶井基次郎、小林秀雄、山本周五郎、林芙美子、堀辰雄、阪口安吾、中原中也、太宰治、檀一雄、深沢七郎、池波正太郎、三島由紀夫である。
 
目次をざっと見たとき、いかにも胃袋から論じた方がいい人と、これは難しいぞと思う人がある。難しい作家こそ、華麗な包丁捌きの見せどころである。
 
とはいえ最初の漱石と鷗外は、「焼き芋とビスケットの違いが、両者の文芸の差に反映している」と、一見歯切れがよさそうだが、その実何も言ってないに等しい。

たぶん漱石と鷗外は、食べ物という形而下的なところから攻めるには、大物すぎるのだ。
 
それに比較すれば、正岡子規の『病牀六尺』『仰臥漫録』は、まさに著者が攻めるのにうってつけだ。

「すさまじい食欲である。
 三度の食事と間食と服薬とカリエス患部繃帯の交換の繰返しのなかで、子規は、食いすぎて吐き、大食のため腹が痛むのに苦悶し、歯ぐきの膿を押し出してまた食い、便を山のように出す。」
 
子規はそういう肉体を、他者のように、「尋常でない気魄」をもって観察しようとする。「病牀六尺」の宇宙が、子規にとってはすべてなのである。
 
次の島崎藤村は、著者の特徴が最もよく出ている。嵐山は藤村に対して、とにかく意地が悪いのだ、それも底なしに。

「藤村は料理をまずそうに書く達人であったが、それは恋愛をまずそうに書く達人でもあり、自分を嫌われ者にして売りつける寝業師なのである。」
 
文士は世間の嫌われ者というイメージは、ここらへんから出てるんじゃないか、と思う。

「藤村は粗食淫乱の人である。『貧しい食事に豊かな性欲』を貫いた。藤村には、旧家島崎家に沈殿した血の頽廃がある。父は近親相姦、母に姦通という忌わしい事実があった。〔中略〕四十歳になった藤村が十九歳の姪こま子と肉体関係におちいり、こま子を妊娠させたことも、一族の頽廃と無関係ではない。」
 
この本は、作家1人につき10ページちょっと。それを鮮やかに収めるためには、かなりどぎついことを言うほかはない。著者はそのことを、島崎藤村の項で会得したのではないか。
 
姪を犯した「とんでもない叔父さんは、悩んだすえ、『懺悔による罪の浄化と新生』と称して、告白小説『新生』を朝日新聞に連載した。とんでもない叔父さんは、その経験を小説にして、自分を救済し、『死からの再生の記録』をつづった作家として、のちに日本ペンクラブ会長にまで就任するのである。」
 
まったくとんでもないヤツだ。しかしその胃袋からすると、なんとなく納得することができ、腑に落ちるというわけだ。
posted by 中嶋 廣 at 21:23Comment(0)日記