どんどん巻き込まれていく――『彼女たちの部屋』(2)

レティシア・コロンバニの小説が評判になるのは、フランスの女性の社会的環境が、劣悪だからだ。

「ソレーヌはスマートフォンの画面に没頭し、地下鉄の駅が流れていくのも目に入らない。
〔中略〕貧困労働者の七〇パーセントが女性。フードバンク利用者の過半数はひとり身の母親。この数値は年々上昇し、過去四年で倍増した。」
 
なんだ、日本と全然変わらないんじゃないか。そして世界中で女性の貧困という、同じ困難にぶち当たっているんだなあ。

フランスでは未婚の母の権利も、既婚者と同じくらい、守られているような気がしていたが、そういうことではなかったのだ。
 
しかしそれなら、フランスでは出生率が2人に欠けるくらい、つまり日本や韓国と比べて圧倒的に多く産むのは、なぜなのだろう。

やっぱり子供を産んだ母親の権利が、結婚していなくとも、事実婚であっても、手厚く保護されるからではないのか。これは、この小説の内容とはズレてしまうけれども、理由を知りたい。
 
ソレーヌは「女性会館」で、困難を抱えるいろんな女性と知り合う。元ホームレスや麻薬依存者、名前を変え女性として生きるトランスジェンダー、アフリカで性器切除から娘を守りたくてフランスへ来た女性、アフガニスタンや旧ユーゴスラヴィアの難民女性、レイプに遭っていることが日常的な女性……。

ソレーヌは、ときに溢れる涙を、止めることができなくなる。

そんなとき1人の女に、ズンバに誘われる。

「ソレーヌは微笑む。乱れてバラバラになっている、けれど生きている。心臓は早鐘を打ち、鼓膜がびりびり震動し、血流がからだのすみずみを駆け巡る。全身の筋肉が痙攣する。からだじゅうが引きつって、どこだかわからない箇所があちこち痛む。
〔中略〕もうここには切除された女性も麻薬依存者も、セックスワーカーも元ホームレスもなく、ただ躍動し運命を撥ねつける肉体、生きること進みつづけることへの渇望を叫ぶ肉体だけがある。」
 
ズンバは、ラテン系の音楽とダンスでできた、フィットネス用のエクササイズ。と言っても、分からない人には分からないが、まあとにかく、これ以上ないという激しいダンスである。
 
映画の場面なら、まさにクライマックスである。というふうに、つい映画が浮かんでしまう。
 
こういう、大向こうを唸らせるところを用意するのは、レティシア・コロンバニが、根っからの映画監督なんだろう。
 
なお高崎順子の「解説」を読むと、舞台となった「女性会館」は実在し、100年前のブランシュの悪戦苦闘も、事実としてある。

(『彼女たちの部屋』レティシア・コロンバニ、齋藤可津子・訳
 早川書房、2020年6月25日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 19:06Comment(0)日記