追憶の陰翳――『一人称単数』(3)

次の「ヤクルト・スワローズ詩集」は、短篇小説というよりは、エッセイに近い。

「僕」は、テレビで野球を見るよりは、実際に球場に行って見る方が好きだ。

「何はともあれ、テレビの画面で見る野球からは、ほんとうに心を躍らせるものが失われている。僕はそのように感じてしまう。」

「僕」が応援しているチームは、ヤクルト・スワローズだ。サンケイ・アトムズと名乗った時代から、本拠地である神宮球場に、頻繁に通ったものだ。
 
大学に通うため東京に出てきたときに、神宮球場の近くに居を定めた。

「住んでいる場所から最短距離にある球場で、そのホームチームを応援する――それが僕にとっての野球観戦の、どこまでも正しいあり方だった。純粋に距離的なことをいえば、本当は神宮球場よりも後楽園球場の方が少しばかり近かったと思うんだけど……でも、まさかね。人には護るべきモラルというものがある。」
 
最後の方が、クスリと笑える。
 
ファンの話から、子供の頃に遡る。そして父の話が出てくる。
 
父は筋金入りの阪神タイガースのファンだった。「僕」がタイガースの、あまり熱心なファンにならなかったのは、そのためもある。
 
そこから、父の最期に話は及ぶ。

「ごく控えめに表現して、僕と父親との関係は、それほど友好的なものとは言えなかった。それにはまあいろいろと理由があるのだが、転移しまくるあちこちの癌と、重い糖尿病によって、彼が九十年に及ぶ人生に幕を下ろす直前まで、二十年以上にわたって、僕と父とはほとんどひとことも口をきかなかった。」
 
父のことはほとんどこれだけで、あとはヤクルトの話だ。
 
タイトルにふさわしく、「ヤクルト・スワローズ詩集」から3篇と、そこには収録されていない1篇が載っている。
 
ただ「ヤクルト・スワローズ詩集」というのが、実際にあったかどうかは分からない。

「謝肉祭(Carnaval)」は、次々に出てくる逆説がよく聞いていて、いかにも村上春樹ふうの短篇である。
 
書き出しは、「彼女は、これまで僕が知り合った中でもっとも醜い女性だった」というものだ。

しかし、彼女はそれを利用して、逆に他人を、惹きつけていった。

「……僕が彼女のことを『これまで僕が知り合った中では、いちばん醜い女性だった』と書いても、F*はたぶん気にもしないだろう。いや、むしろ面白がってくれるのではないだろうか。というのは、彼女は自分の容貌が優れていない――というか『醜い』ことを、周りの誰に劣らずよく承知していたし、その事実を自分なりのやり方で逆手にとって愉しんでさえいたから。」

「僕」はあるときサントリー・ホールで、彼女と知り合いになる。

二度目に会ってワインを飲んだときに、無人島にただ1曲もって行くとすれば、それはシューマンの『謝肉祭』だ、というので盛り上がる。

「僕らはそれからずいぶん数多くの『謝肉祭』のレコードやCDを聴いた。どこかのコンサートで誰かがこの曲を弾けば、万難を排して一緒に聴きにいった。手元のノートブックによれば(僕はひとつひとつの演奏について細かく記述を残していた)、僕らは三人のピアニストが『謝肉祭』を弾くコンサートに足を運び、全部で四十二枚の『謝肉祭』のレコードやCDを聞いた。」

「僕」が頻繁に「F*」と会っていても、妻が気にかけなかったのは、彼女の容貌が醜かったからだ。

「F*」は音楽については、きわめて能弁だった。

「音楽を聴く彼女の耳はとても鋭く、それを表現する言葉の選び方も素早く適切だった。音楽知識も深く幅広いものだった。」
 
その彼女が、夫とともに、大型の詐欺事件の主犯格として、逮捕された。

「二人が逮捕された罪状は、資産運用詐欺だった。適当な投資会社をでっち上げ、高い利回りを約束して一般市民から資金を集め、実際にはまったく資産運用などせず、集めた金を右から左に移して穴埋めするだけの荒っぽい、粗雑な手口だ。誰が考えたって、そんな綱渡りは遅かれ早かれ破綻するに決まっている。」
 
いまもテレビのコマーシャルで、そういうのをやっている。すぐに二つ、三つ、思い浮かぶだろう。

「僕」は、「F*」のことを思い浮かべると、何が何だか、分からなくなる。
posted by 中嶋 廣 at 09:39Comment(0)日記