追憶の陰翳――『一人称単数』(2)

「クリーム」は、18歳で浪人しているときに、一つ年下の女の子から、ピアノ演奏会の招待状をもらった話。

「ぼく」は、神戸の山の上まで出かけてゆくのだが、その会場は鉄の門扉が閉ざされていて、誰もいない。
 
狐に抓まれたようで、とぼとぼと歩いてくると、途中で老人に会う。この老人が寒山拾得ばりに、「ぼく」に謎かけをする。

「『フランス語に「クレム・ド・ラ・クレム」という表現があるが、知ってるか?』
 知らないとぼくは言った。フランス語のことなんてぼくは何も知らない。
『クリームの中のクリーム、とびっきり最良のものという意味や。人生のいちばん大事なエッセンス――それが「クレム・ド・ラ・クレム」なんや。わかるか? それ以外はな、みんなしょうもないつまらんことばっかりや』」
 
高尚ではありそうだが、いかんせん、関西弁なのがおかしい。
 
「ぼく」は、謎のピアノの演奏会から、あの老人の不思議な話まで、今も「思いを巡らせ続けているのだ。」

「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」は、冒頭2ページにゴチックで、「僕」が書いたレコード批評が載っている。
 
しかしチャーリー・パーカーが、ボサノヴァを演奏したことはない。つまり「僕」の書いたレコード評は、まったくの架空だった。
 
その架空のレコード評が、なかなか読ませる。そしてそこから、後日談が広がる。
 
しかしこれは、実物を読んでいただきたい。私が勘所を抜いて、詳述するのは無理である。

「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」は、高校のとき、ふとしたことですれ違った女子高生が、LP「ウィズ・ザ・ビートルズ」を胸に抱いていたことが、忘れられない、というところから始まる。
 
一度見た少女はそれっきりで、別の女性が物語の中心になるのだが、その人も若くして自殺してしまう。
 
そういう話を、偶然会った女性の兄に聞かされるが、その兄とも二度と会わなかった。
 
つまり追悼は二重になっていて、これはいかにも村上的世界だが、ここではそれよりも、あまりに見事な文章に息をのんだ。

「実際に僕の心を強く捉えたのも、そのジャケットを大事そうに抱えた一人の少女の姿だった。もしビートルズのジャケットを欠いていたなら、僕を捉えた魅惑を、そこまで鮮烈なものではなかったはずだ。」
 
ここまでが前段である。

「音楽はそこにあった。しかし本当にそこにあったのは、音楽を包含しながら音楽を超えた、もっと大きな何かだった。そしてその情景は一瞬のうちに、僕の心の印画紙に鮮やかに焼き付けられた。焼き付けられたのは、ひとつの時代のひとつの場所のひとつの瞬間の、そこにしかない精神の光景だった。」
 
同じ追憶とはいっても、村上春樹の手にかかると、それは「精神の光景」として、鮮烈な光を帯びる。
posted by 中嶋 廣 at 09:48Comment(0)日記

追憶の陰翳――『一人称単数』(1)

村上春樹の自伝小説だと、勘違いしてしまった。それは『猫を捨てる――父親について語るとき』の間違いだった。
 
しかし、これはこれで面白かった。
 
全部で8つの短篇が入っている。そしてそのどれもが、少しずつ変なところがある。その「変さ」、「変度」が、村上春樹である。
 
最初は「石のまくらに」。

「ぼく」が学生のとき、ふとした成り行きで、一夜を共にすることになった、20歳ばかり年上の女性は、短歌を詠んだ。
 
その女性とは、アルバイト先が一緒だっただけで、それからあとは、二度と会ったことがない。
 
タイトルの「石のまくらに」は、その歌集の名前だ。凧糸のようなもので閉じられた、歌集というのもおこがましい小冊子だった。

「……印刷されたそれらの歌を目で追い、また声に出して読んでいると、あの夜に目にした彼女の身体を、僕は脳裏にそのまま再現することができた。それは翌朝の光の中で見た、あまりぱっとしない彼女の姿かたちではなく、月光を受けて僕の腕に抱かれている、艶やかな肌に包まれた彼女の身体だった。形の良い丸い乳房と、小さな固い乳首と、まばらな黒い陰毛と、激しく濡れた性器。」
 
その短歌は、いくつかが、「僕」の心に届いたのである。
  
  やまかぜに/首刎(は)ねられて/ことばなく
  あじさいの根もとに/六月の水
 
その多くは、死のイメージを追ったもの、しかも「首刎ねられて」といった、かなり特異なものだった。
 
だからひょっとすると、彼女はもう死んでいるかもしれない。もちろん「僕」は、生き延びていることを願っている。

「僕」はいまでも時々、その歌集を読んでいる。
  
  たち切るも/たち切られるも/石のまくら/
  うなじつければ/ほら、塵となる
 
 村上春樹と言えば、独特の比喩。

「『うん。彼はね、私の身体がほしくなると、私を呼ぶの』と彼女は言った。『電話をかけて出前をとるみたいに』」

「僕」は「どう言えばいいのかわからなかったので」、黙っていた。
 
読者はここで、「僕」と同じく、感心する方向に持っていかれる。
 
また、こういう比喩もある。

「『人を好きになるというのはね、医療保険のきかない精神の病にかかったみたいなものなの』と彼女は言った。」

「僕」は「なるほど」と感心する。これも読者に、感心してもらいたいという、うながしだ。どちらも、なかなか気が利いている。
 
しかし私は、どちらもあまり好きではない。村上印のトレードマークかもしれないが、なんとなくあざとい気がして、というと言い過ぎだが、かすかにうんざりする。
posted by 中嶋 廣 at 09:18Comment(0)日記

まったく知らない世界――『重森三玲 庭を見る心得』(5)

しかし庭を造るときには、庭園の美とは何か、というような抽象的なことばかりを、考えているわけではない。
 
例えば石について言えば、それはほとんど、職人が語ることと同じだ。

「その石が、常に私に話しかけてくるのです。私はこんな姿に立てて下さいとか、この裏を出して下さいとか、横に扱って下さいとか、石の方から話しかけてくるのです。それどころではなく、一寸この姿を見て下さいと、石が立ってくれたり、横になってくれるような気がするのです。」
 
作庭の実際を知らないものだから、ここに書かれたことは、具体的には分からない。しかし石が直接話しかけてくるのは、いかにも「職人集昔話」ふうで、読んでいて面白い。
 
もっとも、この本の全体としては、常に「創作」を押し立てていることに、変わりはない。

「庭でも花でもお茶でも、創作のみが人間に許された神からの付与だと思います。この神から与えられた特権を放棄して、マンネリズムを追っていたのでは、全く神に対して申訳がないばかりでなく、人間としての生甲斐がないことになります。」(「春眠鳥月記(喋らない庭石を喋らせる秘訣)」)
 
マンネリズムを打破する、舌鋒の鋭さは苛烈だ。とはいえ神に対して、申し訳が立つの立たないのというのは、いささか異様ではある。
 
このエッセイの勘所は、また別にあって、次のようなものだ。

「今日の庭は、既に、材料の選定から誤ったものが多いようです。庭木も庭石も、最初から、もの凄くお喋りしている材料を選ぶ人が多いのです。庭というものは、お喋りしない材料を選ぶことによって、この喋らない庭木や庭石を喋らせるのが作家の仕事なのです。」(同)
 
この辺は具体的に、何を言っているのか分からない。それでも、庭木や庭石を自覚的に選ぶことが大事なのだな、というところは何となく分かる。
 
作庭から関連して、茶道やいけばなにも、革新的な意見を言う。

「家元的制度、従って流派的制度は只茶道の上ばかりではなく、いけばなの上に於ても、舞踊その他の遊芸全般の上に於ても、日本的と言われる部類のものは、何れもこの制度が伝統の上に強く存在しているのである。だから、この家元や流派の制度が存在する限り、正しい発展は望むことが出来ないのである。」(「神無月林泉日録(今日の茶の湯のあり方)」)
 
行き着くところは家元制度否定論である。私のように、外から見ている分には、およそ空想的な気がするが。だいいちお師匠さんが、食ってはいけなくなるではないか。
 
ただ千利休は、徹底して革新的であったという。40歳頃までは、師匠に教えられた通りでよいが、それを過ぎたら、「自覚と反省とをもって、師匠が東と教えたら西を創作しなさい。山と教えたら谷を創作しなさい。その位な創作性が無ければ茶を習う意味もなく、習っても駄目だし、お茶を習う必要はない」(同)と言っている。
 
これもかなり議論を呼ぶ内容だが、現在でもこれを説く人は、重森三玲以外にいるのかね。
 
そして翻って、現代の学生の話になる。

「多くの学生、すくなくとも量的に大部分の学生達は、お茶などに見向きもしないのだが、それは当然なことであり、正しいことだと思っている。〔中略〕だが然し、この見向きもしない学生諸君も、見向きもしないことだけが賢明なのではなく、創作に乗り出すことによって、今日の自らの生活を豊富にすることこそ、更に賢明ではないだろうか。」(同)
 
理想を言えば、そういうふうにも言えないことはない。しかしこのご時世では、あまりにアナクロで、何というか答えに窮する。
 
ただ「作庭」というのが、まったく別の方向から、光が当てられることを知って、これはこれで実に面白い本だった。

(『重森三玲 庭を見る心得』重森三玲、平凡社、2020年4月15日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 00:25Comment(0)日記

まったく知らない世界――『重森三玲 庭を見る心得』(4)

また著者は、「借景」という方法に対しても、全否定である。龍安寺や大仙院の庭は、雪が降って、美しくなるわけではない、と「林泉愚見抄(無為の宝庫)」に言う。

「借景式の庭園が明治時代から今日まで随分流行しているが、前方の山とか海とかの景を借りなくては、庭の美しいものが出来ぬようでは、作庭としてはゼロである。西芳寺や、桂離宮の庭の如く、借景を遮断してこそ、本当に傑出した庭になるのである。」
 
庭と言えば「借景」というふうに、学校で習ったものだが、借景を遮断してこそ、庭園本来の美が、そこに現われるというのだ。

「龍安寺の庭を見る人々が、土塀の外の雑木林まで入れて見るようでは、正しい庭の観賞とは言えない。それらはすべて、虎の威を借る狐に等しい訳である。」
 
すごいですね。ここまで借景というものを、全否定するというのは、一般に認められていることなんだろうか。
 
まあ私はどっちでもいいんだけれど、でもここまで全否定だと、かえって小気味がいい。
 
そして庭を造る場合、「自然主義的」に作ってはいけないという。これも、ちょっとびっくりだ。

「自然主義的な作庭は、自然美のイミテーションという心理が動くから駄目だ。別な自然の美を作ることが、むしろ造園本来の意味でなければならない。自然に似たものを作る場合は、どんなにしても、自然の美に対して勝目はない。神に従う限り、神に勝つことは出来ない。むしろ自然に勝ち、神に勝つためには、別な創作によるより他はない。」(「紫陽花林泉秘抄(薬玉飾り)」)
 
はじめの方で、自分を神の位置までもって行く、ということだったが、ここでは神に勝つにはどうしたらよいか、という話をしている。
 
重森三玲、かなりエキセントリックな人ですね。場合によっては、狂気すれすれのところまで行っているのかもしれない。
 
そういえば、ちょっとおかしいところもある。

「昨冬来から裏の畑の椿も二ヶ月近くも花が遅れている。どうも寒さのせいばかりでもない。日々好日の私にも、今年はどうも恵まれていないような気がする。でもそれは、神がもっと私を錬えようとしているのかもしれない。」(「林泉新茶月抄(春風遅くとも開花する)」)
 
それは著者の、考え違いだと思うよ。しかしとにかくユニークだ。
 
そういうユニークさが、ある本質に届く場合もある。
 
著者は、日本の庭園史の研究はかなり進んだけれど、庭園の芸術性に対する研究や、哲学的研究は、皆無であるという。

「庭園がなぜ自然の素材によって発生したのか、そして、なぜ自然の素材に今日まで依存しているのか、なぜ依存しなければならないほど美しいのか、美しいものとして受取っているのか、石がなぜ美しいと見られるのか、そしてその石を組むことによって、なぜ美が成立するのか、池庭がなぜ美しいのか、枯山水が一般になぜ喜こばれるのか。」
 
いずれも、考えたこともないテーマであり、他の人からも、まったく言われたことはない。真に独創的とは、こういう疑問を立てることである。
posted by 中嶋 廣 at 09:26Comment(0)日記

まったく知らない世界――『重森三玲 庭を見る心得』(3)

「作庭の楽しみ」というエッセイには、他にも見逃せないことが書いてある。

「日本の庭園の歴史を、歴史的立場で考えて見ると、最初は神をまつる為に、日本民族が海を渡って渡来した有様を、最初は海の風景から転化して池を掘って島を浮べることによって始まったのである……」。
 
いかにも納得できる話で、なるほどと思いやすいが、典拠は何だろう。
 
太古、人は神とともにあった、といえば聞こえはいいが、私はこのごろ、そういうのには、少し飽きてきた。いま私が思う神と、太古の人の思う神が、全く違う可能性もある。

「日本庭園は、上古以来、海洋の景観を表現するのが目的であったから、池庭をつくることは海を作ることであった。」
 
理路整然と説かれると、なるほどと思うしかないのだが、考えてみると、何の根拠もない。
 
いや、著者にいちゃもんを付けているわけではないのだよ。ただ一方的に、ひれ伏す気にはなれない、という話だ。
 
それよりも、このエッセイには、最後に来て、驚くべきことが書かれている。

「〔庭園の〕設計と言うものは、むしろ、どこまで創作出来るかが興味の中心でもあり、その創作のみが、設計の価値を上下するのである。ところを得てのみ花は咲くのであるから、庭園と言う花は、その所を得てのみ独自の花を咲かさなければ何の意味もない。」
 
庭園という花を咲かすには「創作」が大事、いや「創作のみ」が大事だ、というのだ。これは強烈なメッセージだ。

「あくまでも創作性をはたらかさなければならない。一つの庭園は、その場所にしか出来ない絶対のものであるから、創作性のない作品と言うことは全く無意味である。」
 
庭園は何よりも創作性が大事、それがない庭園は、無意味なのだ。
 
そんなこと、考えたこともなかった。

「若し作庭と言うものが、定型的であったり、類型的であったり、模倣的である場合は、庭園と言う花は永遠に咲かないことを設計家は第一に心得ておくべきである。」
 
日本の庭園は、「定型的であったり、類型的であったり、模倣的であったりする」ものだと思っていた。
 
ここでは、まったく逆のことが説かれている。
 
このエッセイには、さらに痛烈なことが書かれている。

「都会の住宅の場合、ましてごみごみしている市中などでは、少しの空間でも利用して庭を作っておくことが生活の上の第一要件である。だから、都会の住宅の場合などでは、庭園を含めての住宅の完全性で、庭園のない住宅などと言うものは、住宅としての半身不随も同様だと言える。」
 
私のようなマンション住まいは、「住宅としての半身不随」だ、と言っているのだ。私の体は、もともと半身不随だが、住まいも半身不随というわけだ。これはこれで、なんとなく平仄(ひょうそく)が合っていて、ちょっと可笑しい。
 
それにしても、この「作庭の楽しみ」は、著者のマニュフェスト全開で、これはこれで実に気持ちがいい。

「その設計は、あくまでも新しい感覚によって今日と言う時代を創作しなければならない。庭園が大きな芸術である限り、その設計はあくまでも現代を代表する新しい時代のセンスを生かしたものでなければならない。極言すれば新しさのみが芸術である。少しの古臭さも許されないのである。」
 
ほとんど、ピカソか岡本太郎である。
 
でも、庭園における新しさって、何なんだ。
posted by 中嶋 廣 at 00:23Comment(0)日記