あの時は、遠く流れて――『ぼくらの時代』

続いて栗本薫の出世作、『ぼくらの時代』を読む。

自称、「《書キタイ》妄執」が、書いたのだが、如何せん、あまりに古すぎる。
 
昭和53年度の江戸川乱歩賞受賞作なのだが、どこをどう読めば面白くなるのか、分からない。
 
学生3人組が、テレビ局を舞台にした、女子高生連続殺人事件を追う、というのは、まあいい。
 
いけないのは、いかにも安手の密室トリックと、連続殺人事件が、実は連続自殺事件だった、というところだ。
 
叙述の仕方も、発表当時は新鮮だったらしい。権田萬治が「解説」に書いている。

「実は、『ぼくらの時代』の面白さの一つは、この独特のさり気ない、ある意味ではユーモラスな語り口にあるのだし、また、通して読むとこの語り口が、一種の叙述のトリックともいうべきものになっていることに気付くはずである。連続殺人事件が一転して予想外の方向に展開して行く意外性はこの叙述のトリックに支えられているといっていいだろう。」
 
ということなのだが、その叙述の一見軽やかな、またときには、軽薄といってもいいところが、いかにも古めかしい気がするのだ。

『ぼくらの時代』は、大江健三郎の『われらの時代』を受けて出てきた、と権田萬治は書いている。
 
大江の小説は、もうほとんど忘れてしまったが、政治的に希望のない世代を扱って、結構ずしんと来るものだった、ような気がする。
 
そういう大情況も、忘れられて久しい。

「新しい意識を持った若者を登場させた推理小説として栗本薫の『ぼくらの時代』の斬新さはやはり衝撃的である。」
 
斬新であった分、古びるのも早かったのである。

(『ぼくらの時代』栗本薫
 講談社文庫、1980年9月15日初刷、1985年5月10日第16刷)
posted by 中嶋 廣 at 10:53Comment(0)日記