藤井聡太とは何者か――『藤井聡太 強さの本質』(5)

結局、第一線のプロ棋士が集まった、『藤井聡太 強さの本質』という本では、永瀬拓矢二冠の、藤井聡太は「『強い』の上を行っている」という言葉を除いては、強さの本質という点では、何もわからないという気がする。
 
ここからは私の、独断に満ちた、偏見混じりの見方である。
 
将棋の世界に生きている人間は、藤井聡太という人が近すぎて、間近に見過ぎていて、かえってその本質を、見失うのだと思う。
 
やはりネットを見ていると、女性の意見でこういうのが出ていた。

「わたしは将棋は、まったくわからない。駒がどういうふうに動くのか、王さんを取れば終わるというが、どういうふうにすれば、王さんがつかまえられるのか、見当もつかない。
 でも藤井聡太さんの記事だけは、熱心に読む。朝から対局となれば、一日中、終わりまでインターネットTVを付けている。
 コロナ禍で、世の中に希望が見えない時代に、藤井聡太さんは、一筋の希望の灯をともす。世の中がどんなことになろうとも、自分は理想の灯を燃やし、自分の道を邁進するんだという強い気持ち、それをひしひしと感じる。自分の心の中に、いつまでも灯火(ともしび)としてある、藤井聡太さんを応援しています。」
 
私はこれで、なんとなく腑に落ちた。
 
妻の田中晶子が、将棋を知らないのに、藤井聡太の「勝負飯」を熱心に見ている。3時のおやつに、何を食べたか、私に知らせてくる。
 
将棋を知らなければ、つまらないだろう、とは思わないのだ。藤井はまわりを巻き込んでいる。しかも、そのまわりは熱狂していて、かなり広範囲に及ぶのだ。「勝負飯」もおやつも、何でもいいから、藤井聡太の気圏にいたいのだ。
 
将棋をまったく知らない人と、藤井将棋の得も言われぬ魅力とは、どこでどういうふうに、つながっているのか。
 
藤井将棋の魅力とは、たとえば先の本で、深浦康市九段が語っている。

「藤井さんに『形勢がいいから無理はせず』という発想はない、ということです。」

中盤は大山名人、終盤は谷川浩司の切れ味。しかしそれを、将棋を知らない人は、どうやって察知しているのか、まったく不思議である。
 
コロナ禍の日本に、一条の光、それが現在の藤井聡太だ。
 
先日、昼のテレビで、女流棋士が言っていた。

「藤井さんが出ると、千人規模の集まりでも、即日完売しちゃうんです。それで熱狂的なファンの前でしゃべるんだけども、全然ものおじしないんです。かといって、ノリよく話すわけでもない、ジャニーズ・タレントの正反対。藤井さんはいってみれば、地球以外の、遥かな惑星から来たような人なんです。」
 
たしかに、こういうところはある。

そして、きわめて礼儀正しい。先輩よりも、少し値段の低いものを、昼飯に注文したりする。きめ細かいのである。

そういえば、プロになって第一局、加藤一二三が、おやつのチョコレートを食べる時まで、藤井は、おやつを食べなかった。そのさり気ない所作を、加藤一二三は見ていた。
 
今度は棋聖になった。上座に座るのはいいとして、昼飯の注文は、さて、どうするのか。
posted by 中嶋 廣 at 10:43Comment(0)日記