絶品の追悼!――『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』(6)

「私の奥さん」はまた、芝居の世界にも手を出した。栗本薫は、原稿を書きさえすればよかったが、中島梓は、そうではなかった。
 
初めは、脚本を提供するだけだった。
 
それが徐々に、脚本だけではなく、製作、演出、果ては音楽の担当もするようになった。

では、「奥さん」はどうして、芝居に取り憑かれていったのか。

「魅力のひとつは、自分のイメージの中にあった世界が劇場の舞台の上で現実のものとして視覚化され、動き出すことにあったようです。そしてもうひとつは、自分のいるべき場所が確保されること、にもあったのだと私は思います。
 いるべき場所の確保というのは、私の奥さんにとって、とても大きな問題であり続けました。」
 
ここが不思議なところだ。「私の奥さん」はどうしても、本来の居場所を見つけることができなかった。これは本当に不思議なことだ。
 
ベストセラー作家として、押しも押されもしない存在になっても、また子供を得ても、そんなことでは、確たる居場所は、確保できなかったのだ。

「ここは自分がいてよい場所なのか、ここは自分を疎外しているところなのではないか……その思いは絶えず奥さんにつきまとい、作品にもその影響は強く出ています。奥さんは芝居に出会い、自分のいる場所をそこに見つけたように感じたのです。」
 
しかし芝居にのめり込むと、大変である。
 
まず膨大な時間がとられる。最初は子供の世話を、ベビーシッターに任せていたのだが、それでは賄えず、著者が早川書房をやめて、家事を担当することになった。子供に朝ご飯を食べさせ、弁当を持たせて、学校に送り出したのである。
 
しかし「奥さん」の苦闘は、それだけではなかった。製作も担当したので、莫大な借金を背負うことにもなった。
 
そういう家庭環境の変化から、ストレスによって、家の中が次第に荒んでいく。

けれども著者が、「奥さん」から離れていくことはなかった。

「私が感じていた奥さんのイメージは、誰もいないがらんとした広い家のなかで、一人で泣いている赤ん坊でした。そして、私はその赤ん坊を助けなければいけないという強烈な気持ちを持つようになってしまいました。」

とはいえ、夫婦の危機は、かなりのところまで行った。「奥さん」は、真剣に離婚を考えたようだ。

「原因がなんであれ、すぐに泥酔してしまうような夫と、しかも絶えず怒りをかきたてられ平穏な日常を送ることも出来ない夫と暮らさなければいけない理由はないでしょう。奥さんのなかの成熟した大人は、それが正しい選択だと思っていたのではないかと思います。」
 
けれども、別れるところまではいかなかった。

「たぶん私たちの生活はよるべのない赤ちゃんである奥さんと、それを拾い上げてしまった私という構図が基本にはあったのだといまでも私は思っています。」

「奥さん」は、一人ぼっちで、家の中で泣いている状態には、戻りたくなかったのだ。

「奥さん」を亡くして、時が経つうちに、著者は、「私はなんという人と一緒に暮らしていたのだろう」という思いが、強くなっていく。著者は「奥さん」を、不世出のクリエイターとして、再認識するようになっていく。

「私の奥さんという人は、四百点を超える著作を書き、二十本ものミュージカルに携わり、ミュージカルのための数百曲の曲を作詞・作曲し、没後に四百字詰め原稿用紙にして二万枚以上にものぼる未発表原稿を残した栗本薫・中島梓という存在」だったのだ。
 
その未発表原稿の中に、「ラザロの旅」という一篇があり、そこにこんな言葉が記されている。

「読者がいるから書くんじゃない。註文があるから書くんじゃない。書きたいことがあるから書くのでさえない。そんなつまらぬ理由で書くものか。〔中略〕節操なんかない。恥もない。そんなものがあるのは人間だ、だが私は人間でさえない。私は《書キタイ》という妄執、そのものだ。」
 
やっぱり栗本薫・中島梓のものを、何か続けて、読まないわけにはいかないな。

(『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』今岡清
 早川書房、2019年4月25日初刷)

絶品の追悼!――『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』(5)

「私の奥さん」は、「痩せていなければ価値がない」という、メッセージに苦しめられていた。
 
たしか『コミュニケーション不全症候群』を読んだとき、中島梓は、ダイエット地獄を克服したと書いていた。
 
だから、おなじ地獄に直面しつつある、若い女を救うために、あの本を書いたのだということだった。
 
しかし著者によれば、「奥さん」はその後も、「太っていては価値がない」という強迫観念に、責め苛まれていたという。

「闘病生活が始まってからもというよりは、闘病生活が始まったからこそ、問題はより鮮明になってしまったようです。〈健康になって生きていたい〉という生へと向かうエロス、そして〈死ぬことになろうが痩せなければ〉という死へ誘うタナトスが奥さんの心のなかで激烈な闘争を繰り広げることになってしまいました。」
 
そしてその矛盾が、ひいては命取りとなる癌を、引き起こしたのではないか、とまで言う。
 
作家として、どれほど多くの称賛を浴びようと、そうしたプラスの面は、「痩せていなければ無価値」という囁きによって、一瞬のうちにゼロと化すのだ。

「栗本薫という存在が無価値であるなど、まさに狂気の沙汰としか言いようがありません。しかし、その狂気が私の奥さんの一生を苦しめつづけていました。」
 
これは本当に、僕なんかには、分からないことだ。つきあった女性にも、強度の強迫観念としてのダイエットという人は、いなかったと思う。
 
しかしダイエットというのは、言い方を変えれば、「奥さん」が目標に、一番しやすいものだったんじゃないか。
 
そんなことをいっては、いけないのだろうか。

「理性は論理的に物事を考えていたにもかかわらず、やみくもな衝動によって繰り返しそれが打ち砕かれてきたのを私は見つづけてきました。
 私が奥さんとの生活で共に戦って来た敵は、まさにこの狂気、人の理性を狂わせるやみくもな衝動だったのだと思います。」
 
これは、ダイエットだけの話ではないだろう。すべての過剰なものが、相手になっている。
 
そしてこの過剰なものは、それを克服したとすれば、おそらく彼女の創作は、激烈な打撃をこうむっていたに違いない。そこでは、因果は絡めとられ、どうにもならなくなっていたと思う。

絶品の追悼!――『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』(4)

この追悼は、はじめ「奥さん」の手料理のこととか、飼っていたペットのことなどを、ゆるゆると語りながら、気がつくと核心に入っていく。
 
まずは料理の話から。

「奥さん」の癌が末期のころ、著者もまた悪性腫瘍のために、胃の全摘手術をした。
 
さらっと書いているけれど、夫婦そろって癌で手術は大変である。しかし、大変そうなところは、まったく書かない。文章の力点が違うのだ。
 
著者の入院中に、「奥さん」の病状が悪化したため、同じ病棟に入院することになる。その後、入れ替わりに、著者は家に戻った。

「奥さん」が不在の家で、一生懸命料理をした、「奥さん」のことを考える。

「私が入院する直前まで私と義母と息子のために、私が入院してからも義母と息子のために毎日料理をしていたのです。亡くなるひと月ほど前のことでしたから、病勢はかなり進行していました。いつも体のあちこちが痛み、足も腹水がたまってむくみ切っている状態でしたから料理をするのも大変だったはずです。それでも、家族のために料理することをやめようとはしませんでした。」
 
亡くなるひと月前であっても、台所に立ち、家族のために料理をする。これはすごいことだ。

と同時に、「奥さん」の一途な感じ、あるいは過剰な感じがして、料理といえども、ちょっと異様だ。

「奥さん」にとって、料理は小説や作曲と同じくらい、物を作ることであり、それによって、世界と自分が繫がれたのではないか、と著者は言う。
 
しかし、こういう通り一遍のことでは、栗本薫/中島梓の、料理の秘密は、よく分からない。
 
ペットの話も面白い。
 
イグアナ、アカアシガメを皮切りに、モリアオガエル、アカセスジカメ、肉食トカゲのナイルモニター、そのほか金魚、鯉、ザリガニまで、ちょっとした動物園状態である。

「私の奥さんはなんにつけても止め処ないところがあります。小説を書けば全百巻を遥かに超えてけっきょく完結することはありませんでしたし、作曲をすればミュージカルの挿入曲なども入れれば数百曲になります。日常生活でもおなじことで、着物も洋服もバッグもアクセサリーも、ともかくいつのまにか膨大な数になってしまいます。」
 
特にアヒルを飼ったときは、大変だった。「奥さん」のために買ったアヒルは、著者を親とみて、どこへ行くにもついてくる。

「今岡アヒルと名づけられたこのアヒルの可愛いことといったらありません。お風呂に水を張って入れてやると、ピヨピヨと鳴きながらまるでおもちゃのアヒルのような姿で泳いでいます。〔中略〕最初はいちおう反対していた私が、もうこのアヒルが可愛くてたまらなくなってしまいました。」
 
何のことはない、著者も、「奥さん」に負けず劣らず、ペット狂いなのである。

「雌だとわかったので今岡アヒルは今岡アヒ子と名前を改められ、近所の碑文谷公園の池でボートに乗った私たちのまわりをアヒ子が泳いでいるということもありました。」
 
普通は、こんな「散歩」はしない。公園の管理者からも、やめてくれと言われている。やっぱり夫婦そろって、過剰なのだ。

「奥さん」の最期の方で、慰めになったペットは、ストライプド・コーン・スネークというヘビだ。

目がクリクリとしたヘビは、たちまち一家の人気者になったという。まあ、目が切れ長になったヘビは、なかなかいないだろうけど。

「苦しくて体も思うように動かすことの出来なくなっていた奥さんは、ヘビ遊びと称してソファにすわってヘビを自分の体の上に這わせて遊んだりしていました。べつにヘビに向かって奥さんが話しかけるでもなく、もちろんヘビも何の愛想をするでもなくただ腕の上を這いまわり、それを奥さんがちょっと持ち上げたり肩の上に持っていったりして、ヘビは嫌がるでもなく逆らうでもなく静かに這いまわっていました。」
 
普通なら、晩年の作家とペットの、心温まる一場面なのだが、作家の上を静かに這いまわるヘビ、と言うのは、だいたいは怖気を震わせるのではないだろうか。

絶品の追悼!――『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』(3)

「悲哀」の塊は消えたが、「怒り」はその後も、いつまでも居座り続け、機会があれば、激烈な発作を引き起こした。
 
著者は「奥さん」と毎晩のように話し合い、そうして「村のお話」を作ることにする。
 
つまり、悲哀の塊が消滅したのだから、それを手掛かりにして、それぞれ矛盾した行動を取る主体に対して、別の人格を想定し、その全体が一つの村に住んでいる、という物語を作り上げるのだ。
 
正直なところ、この話の内容はよく分からない。2人で話し合って、と言うのだから、やっぱり精神分析的対話が、基本にあるのだろう。

試しに「村のお話」の冒頭を、読んでみよう。

「夜はもうとっぷりとふけてまいりましたよ。
 あちらのおうちもこちらのおうちも電気が消えて、みんなねんねのお時間です。
 大きなお蔵のおうちの一階では、ケチの人が金庫の前におふとんをしきましてくーくーねんねをしております。
 お二階では記録の人がパソコンや電卓や、メモ用紙や万歩計や血圧計にかこまれまして、やっぱりくーくーねんねをしておりますよ。」
 
うーん、こういうのはどういうふうに、判断すればいいのだろう。少なくとも、対等の男と女が話している、という感じはしない。僕の場合には、こういう女性は勘弁してほしい。

さらにもっと言えば、「村のお話」の文体も含めて、少々寒気がする。
 
それはさておき、途中をとばして、もう少し先まで読んでみよう。

「柿の木ではおサルさんがハンモックでくーくーねんねをしておりまして、むしかごでは本末転倒虫がやっぱりねんねをしております。
そうしてそうしてシキワラでは、あかちゃんあずさがきもよきもよのねんねですよ。
 なにしろなにしろシキワラには、ひつじさんもおりますし、とんよう君もおりますし、とんた君もおりますよ。もちろんもちろんちびひつじさんもおりまして、なかよしなかよしのバクさんもおります。」
 
いちいちの言葉の説明はしない。また解説してある言葉もあるが、そのままにしてある言葉もある。
 
しかし、どちらにしても、ちょっとゾッとしないだろうか。
 
終わりは、こんなふうだ。

「そうしてそうして、おめめくりくりのミニひつじさんは、いのししさんやティラノ君と一緒にあずさをしんぱいしんぱいと見ておりますよ。
 なにしろなにしろ、みんなみんなあずさがだいすきだいすきで、みんながあずさを、おだいじおだいじいたしますからね。
 シキワラとっても気持ちよく、あかちゃんあずさはきもよきもよのねんねですよ。」
 
これを毎日ものがたって、眠りにつくとすれば、大人の就眠儀式としては、異様な感じがする。
 
著者も、「驚かれたばかりでなく、幼児退行を見て取って不気味に思われたり」すると思うけれど、「栗本薫・中島梓という社会的な存在は『村のお話』によって安心して眠ることの出来る私の奥さんの中に存在していたの」だという。
 
男と女は、性愛において、睦みごとにおいては、どんなに極端なことをしても、かまわないと言えば言える。

僕はこういうのはごめんだが、しかしこの男女は、この組み合わせでなければ、あの状況を突破できなかった、と言えるだろう。まことに、世界中でただ一組のカップルであった、と言える。

これは、「奥さん」の癌の闘病が、始まったころの話である。

絶品の追悼!――『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』(2)

あるとき「奥さん」が、小説のアイディアについて、話しを始めた。著者は、「奥さん」の言った具体的な内容は忘れたが、その結果は、今に至るも忘れられないという。

「私はちょっとした感想のようなことを口にしました。ところが奥さんは、まだまったく形をとっていない、少しふれたら壊れてしまうものがなにか言われたことで消えていってしまったというのです。私は感想を聞かれたのかと思って返事をしたのですが、奥さんはどうも独り言のように思い浮んだことを口にしただけだったようです。」
 
小説家が小説のアイディアを口にする。そこに別の人間が口をはさむ。その結果、アイディアは雲散霧消したというのだ。
 
もちろん小説家によって、まったく違った反応をするだろう。栗本薫の場合は、そういうタイプの作家だった、ということだ。
 
そして、ここから先が著者の面白いところだ。

「それ以来、奥さんがそうしたことを口にしたときにはどう返事をするか細心の注意を払うようになったのですが、これは編集者だった私にとってとても貴重な経験でした。そのことがあってから、奥さんに対してだけではなく、ほかの作家と話すときにも、壊れやすい状態になっているかどうかを見きわめる習慣がついたのです。」
 
僕は、編集者仲間と会っていたころも、こういう話になったことはない。

小説の編集者も何人もいたが、作家が独り言をいうとき、「壊れやすい状態になっているかどうかを見きわめ」た編集者は、いないんじゃないか。
 
あるいは、僕が小説の編集者ではないので、そういう話はしなかっただけだろうか。
 
どちらにしても、著者が第一級の編集者であることは、よく分かる。

「奥さん」にはときどき、狂気の発作が襲いかかった。その狂気は、あるときは怒りであり、あるときは悲哀の衝動であった。
 
この二種類のうち、悲哀は、あるときから全く姿を消した。

「いまだにその時のことは鮮明に覚えているのですが、リビングルームのソファに座って話しているときのことでした。奥さんが悲哀の衝動にとらわれて自分の悲しみを訴えている様子を見ていて、もしかしたら訴えているのは奥さんそのものではなく、奥さんのなかで悲哀を一手に引き受けている存在があって、それが悲しみを訴えているのではないだろうかという気がしたのです。」
 
これは、素晴らしい精神分析の記録だ。

「そこで奥さんにではなく、その悲哀の感情を相手に『あなたの悲しみはよくわかりますよ』というようなことを話しかけたのです。するとその人格が、自分は理解されたという様子を見せました。〔中略〕そして、それからというもの、悲しい塊は二度と姿を現さなくなったのです。」
 
愛は、夫婦の愛は、ときに奇蹟を生むことがある。当人同士は、自然の流れとして、こういうところに落ち着いたとしても、それを横から見ていれば、奇蹟としか言いようがない。
 
悲哀の感情に人格を認め、それにお引き取り願うなんて、もう言葉がない。

しかし「怒り」は、そうではなかった。

絶品の追悼!――『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』(1)

栗本薫/中島梓は、2009年5月26日に亡くなった。

これは、彼女を「奥さん」にした、今岡清の追悼の記。
 
今岡は早川書房の編集者として、栗本薫/中島梓に会い、すでに結婚していたのだが、別れて、栗本薫/中島梓と一緒になり、のち早川書房を退職して、天狼プロダクションの社長になった。
 
この本は、夫婦のことを書いたものだが、僕なんかとは、追悼の文体も、取り上げる題材も、極端に違う。
 
え、お前が追悼を書いたのかって、書きましたよ。講談社の鷲尾賢也さんとか、影書房の松本昌次さんとか。
 
それはともかく、著者はまず最初に、「生活を共にし、個人的な記憶に満ちた私の奥さんを栗本薫・中島梓として書くことはできません」と言う。

そのかわりに、「奥さん」または「私の奥さん」という呼び名で、統一したいという。
 
著者・作家を女房にしたとき、相手をどう呼ぶかは、けっこう難しい。「妻」でも「女房」でもなく、「奥さん」と呼ぶのは、そういう関係にあった、ということだ。
 
この「そういう関係」は、読んでいくにつれて、明らかになる。
 
タイトルの意味は、次のようなことだ。

「ことさら意識することなくペン先から、後にはキーボードから文章が奔流のように流れ出て、小説の世界を思うがままにあやつっていく全能感に満ち溢れているその様子は、まさしく世界でいちばん幸せとしか言いようがありませんでした。」
 
これが、「世界でいちばん幸福な少女」の意味。
 
それに対してまったく逆の、苦しみ悶える女性がいる。

「一方で文学賞を受賞し、多くのベストセラーを出して作家として成功したことは、少女にとっての幸せではありませんでした。精神を病み、自分自身を認めることが出来ず、摂食障害も抱えていた奥さんにとっては生きていることそのものが苦行でもありました。しかも幸福と不幸のどちらも少女のもの、大人になることのない少女の持つ幸、不幸なのでした。」
 
むかし読んだ中島梓の、『コミュニケーション不全症候群』を思い出す。

もう昔のことなので、ほとんどうろ覚えだが、「大人になることのない少女」の摂食障害や過食症、拒食症に至るダイエットの話が出てくる。

「私の奥さんは自分がそうした存在であることに気づいていなかったようでしたが、次第に自分自身が病んでいると気づき、そこから抜け出そうともがき苦しんでいたのです。」

これが、「世界でいちばん不幸な少女」の意味だ。

そしてこれは、中島梓自身の話だったのだ。 

これもまた小説?――『三つ編み』(2)

話を少し読んだだけで、勘のいい人は、わかるんじゃないか。これは3人の女性を、毛髪が繋ぐんだな、だから、『三つ編み』というタイトルなのだ、と。
 
もちろん、それぞれの女性に、これから先、紆余曲折、物語があり、はらはらしたり、考え込んだりもさせる。
 
クライマックスに向かうところでは、静かで、大きな感動が、やってくる。
 
それは例えば、サラが、抗癌剤で髪の毛が抜けたために、かつらを求めるところ。

「……女性は三番目の箱を取りあげる。なかにあるのは最後のモデル、人毛製、と女性は説明する。希少で高額な商品――ですが、惜しまず購入される方もおられます。そのかつらをサラは驚いて眺める。髪色が自分の髪と同じ、長くつややかで、どこまでもなめらかでずっしりしている。インド人の髪です、と女性が明かす。」
 
それはスミタが、神様に奉納したものだ。寺院で、大勢の女性が髪を奉納するので、スミタの髪かどうか、実は分からない。でも、分からなくてもいいのだ、たぶん。

「髪の加工処理、脱色、着色がおこなわれたのはイタリア、より正確にはシチリアのちいさな作業場で、そのあと髪の毛は一本ずつチュールの下地に固定されます。」
 
それがジュリアの、家族経営の仕事場の成果なのだ。

「サラは鏡にうつる自分を眺める。失っていたものを、髪がいま取りもどしてくれたかのよう。力、尊厳、意欲、サラを本来のつよく誇り高いサラたらしめるものすべて。そして美しさも。」
 
さあ、ここからが、この小説に対する批判、と言っては言い過ぎだが、私の抱いた疑問である。
 
これは非常によくできた、シノプシスではないか。本文がすべて、改行のたびに1行アケになっているのも、いかにもシーンごとの、くっきりとした場面転換を思わせる。
 
冒頭の、不可触民であるスミタの、強烈な登場の仕方を見ても、いかにも映画だなあ、と思わせる。
 
もちろん小説は、何をどういうふうに書いてもいいんだ、という原則は、分かっているつもりだ。
 
しかしそれにしては、著者が、小説家というよりは、あまりに映画監督らしいのだ。
 
私がそういうふうに思うについては、小説家と映画監督とでは、作品との距離が、すこうし違うような気がするのだ。
 
映画監督は、作品の全権を、それこそ隅から隅まで握っている。
 
それに対して小説家は、書いてみるまでは、作品の隅々まで、いや場合によっては、作品そのものの骨格に至るまで、変わってしまうかもしれない。
 
もちろんそんなことは、私一人が思っていることであって、別の読者は、すべてを手中に収めている作家の作品を、読みたいのかもしれない。
 
いや、むしろ圧倒的な読者が、そういうことを望んでいるんだろう。
 
高崎順子が、「解説 ジェンダーギャップ指数で読み解くベストセラー」で書いている。

「コロンバニはどの属性に対しても、ネガティブなメッセージを込めていない。三者三様の力強い戦いぶりを丁寧に描き、結末ではその三つの物語で、見事な『三つ編み』を縒(よ)り合わせてみせる。異なる属性をもつ誰もが否定されず、明るい未来を示唆されている物語。その公正さと希望に満ちた読後感は、コロンバニが読者に手渡す最大の贈り物だ。」
 
たしかに、そういうことも言えるだろう。そこに♯MeToo運動の波が押し寄せる。なるほど、ベストセラーが約束されるわけだ。
 
ちょっと批判的な書き方をしたけれど、でも、もう少し読んでみたい。次の『彼女たちの部屋』も読んでみることにする。

(『三つ編み』レティシア・コロンバニ、齋藤可津子・訳
 早川書房、2019年4月25日初刷)

これもまた小説?――『三つ編み』(1)

これは、フランスの映画監督、レティシア・コロンバニが、初めて書いた小説である。

帯表や、カバー袖の紹介を読めば、「フランスで85万部を突破、32言語で翻訳が決まった」とある。これは今現在では、120万部を突破したという。ついつい期待してしまう。
 
物語の骨格は、インド、イタリア、カナダの、3人の女性たちが、それぞれ苦難の時を迎えて、それをどうやって乗り越えるか、その過程で大団円に向かって、話が撚り合わさって感動の結末を迎える、というものだ。
 
3人の女性の話は、三つ編みのように、こま切れになって進む。
 
まずインドのスミタの場合。
 
彼女は不可触民(ダリット)であり、不浄で、人間界の外側で生きている。一日中、他人の糞便を、素手で拾い集める。

初めて母の仕事を手伝わされたのは、6歳の時だ。

「よく見なさい。おまえもすることになるんだ。そのとき襲われたにおい、スズメバチの大群のごとく猛烈に襲ってきた、鼻の曲がるような非人間的なにおいは、いまでも忘れられない。道ばたで吐いた。じき慣れる、と母に言われた。噓だった。慣れるものではない。スミタは息をとめること、無呼吸で生きることを覚えた。」

冒頭2ページのスミタの場合が、あまりに強烈なので、読者はそのまま、物語に引きずり込まれる。
 
スミタは、自分の娘のラリータには、糞便にまみれる仕事は、絶対にやらせまいと思う。

それには何としても、学校へ行き、読み書きを覚えることだ。スミタは、そういう危険な望みを持っているが、それはラリータが学校へ行った初日から、潰え去る。
 
イタリアのジュリアは、今は時代遅れになってしまった、家族経営の毛髪加工会社で働いている。
 
一家が毛髪を生業にして、約1世紀になる。切り髪を保存するのは、シチリアの伝統で、そこからヘアピースやかつらを作るのである。
 
あるときジュリアの父が、交通事故を起こす。それによって、工場がにっちもさっちも行かなくなっていることが、明るみに出る。
 
倒産寸前の工場の行く末は、ジュリアの双肩にかかってくる。

母は、ジュリアが金持ちと結婚する以外に、急場をしのぐ手はないと言う。
 
カナダのサラ・コーエンは、シングルマザーで、やり手の弁護士だ。朝、アラームが鳴ってから、就寝の時まで、サラの生活は時間との戦いだ。

「ジョンソン&ロックウッド〔法律事務所〕に入ると、馬が疾駆する勢いで階段を駆けのぼり、法廷でも名声を確固たるものにしていった。裁判所は闘争の場、縄張り、闘技場だった。そこに入ると女戦士、情け容赦のない女闘志となった。」
 
こうしてサラは、40歳を前に、同世代の弁護士の、サクセスモデルになっていった。
 
しかし、キャリアは突然、ぽきんと折れた。彼女は癌に侵されていたのだ。

口ピ、痛々しい――『パリの砂漠、東京の蜃気楼』(6)

著者は、小説に救われると同時に、音楽にも救われてきた。音楽に救われる、音楽に勇気を与えられる、と言うのが、どういうことか、僕には分からなかった。
 
山田太一も『月日の残像』の中で、音楽に生きる力をもらう、という言い方を、若い人はするが、そんなことがあり得るだろうか、と書いていた。
 
金原ひとみのこの本を読んで、それが少し、わかったような気がする。
 
著者が鬱だったころ。

「当時絶賛鬱祭りで精神安定剤や抗鬱剤を乱用し、摂食障害で体重が減りに減り生理が止まってホルモン治療を受け、心身ともにぼろぼろだった。カミソリで身体中を削りながら生きているがごとく、生きれば生きるほど痩せ細り、生きれば生きるほど全ての症状が悪化した。」(「フェス」より)
 
そんな時、あるバンドに出会ったのだ。そのバンドの名は、記されていない。ただ、彼らのライブに、行ったときのことが出てくる。

「……彼らの姿を認めた瞬間、弾けたように涙が流れた。どんなに涙を拭い続けてもステージは滲んで彼らの姿が鮮明に見えない。MCの間じゅう泣き続け、曲が始まったらずっと、涙を拭わないまま歌い腕を上げ飛び跳ねた。」(「フェス」より)
 
どういうことか、具体的には分からない。しかし、感極まった状態、それも内側から外に向かって、弾けていることは分かる。

「私が見ていない間も彼らは誰かを救い続けこうしてライブで誰かを泣かせ続けていた。バラバラだった何かがカチンと嵌ってそしてその嵌った完成形のものがシューンとどこかに飛んで行ったようだった。そしてまた新たなピースたちが目の前にある。きっとこのピースたちを私はジリジリしながら嵌め続け、彼の音楽やライブを糧にまた完成させてはシューンとどこかに送り続けるのだろう。」(「フェス」より)
 
こういう情緒的な文章は、なべて危ういものだ。しかしここでは、素直に感動させる。
 
またその文章について、金原ひとみは、真っ向から正論を言う。

「人と人は話し合えばそれなりに理解できるし、理解できなくてもお互いの主張を尊重して共存していくことは可能だよ。そもそも自分の言葉が誰かに伝わるっていうのは全ての表現の第一前提だよ」。(「牡蠣」より)
 
著者が生きていく上で、最後の切り札が、こういうことなのだ。
 
しかし相手のユミは、「あんたええ子やな。真面目やな」と、嘲笑ったのだ。
 
著者はこれにたいし、どういうかたちで、怒りを抑え込んだのか。

「この怒りはこの怒りが鎮まった頃彼女とそれに対立する者のどちらかをバカげたものとして描くのではなく読む人が双方の正当性を感じられる形で小説として完成させることで初めて意味を持つ怒りになるであろうと自分に言い聞かせて次の日になっても収まらない怒りを何とかかんとか抑えつけた。」(「牡蠣」より)
 
いやあ、大変ですなあ。「こんなにも愚かな人間」に、最後の切り札をズタズタにされては、どうあっても小説にするまでは、腹の中でぐつぐつと発酵させねばならぬ、というところか。

「こんな下品な小説! という罵倒や、死ね! という清々しい全否定の読者アンケートを読んでも心が動かなかった私にあんな無力感を抱かせたのは、その時のユミと、十五年前の母親だけだ。」
 
ここが、見方を変えてみれば、金原ひとみの生きる力の源のようだ。

「私のデビュー作を読んだと電話してきた母親は開口一番『セックスシーンは減らせないの?』と言ったのだ。その後に何か続けるつもりだったのかもしれないが、私が電話を切ったためそれは今も分からない。ユミにも母親にも、きっとその時守りたいものがあって、そういう道筋に於いてわたしはただひたすら邪悪な存在でしかなかったのだろう。」
 
見方を変えれば、それがまごうかたなき、金原ひとみの文学の力だ。
 
最後に蛇足を。表題の「口ピ」は口ピアスを指し、他に「舌ピ」は舌ピアスのこと。日本に帰って来たら、中年男性から、口ピアス、舌ピアスのことで、からかいの言葉を受けるようになった。

「一・六ミリのニードルぶっ刺して痛くないわけねえだろ腐れオヤジ。」
 
そう言葉を返すかわりに、

「『おじさんもやれば?』
 笑いながら言う……」
 
著者の内側の奥深くは、ほとんど言葉にできない。

(『パリの砂漠、東京の蜃気楼』金原ひとみ
 集英社、2020年4月28日初刷)

口ピ、痛々しい――『パリの砂漠、東京の蜃気楼』(5)

男のことも、実に直接的である。

「良くも悪くも私の感情を振れさせるのは男でしかない。男に傷つけられて男に助けを求めてばかりいる自分は、小説を書いても子供を産んでもフランス語を勉強してもいくら新居や生活を整えても空っぽだ。どんなに丁寧に積み重ねても、テトリス棒で四段ずつ消されていく。積み重ねたものは必ずリセットされ、この身には何も残らない。」(「おにぎり(鮭)」より)
 
男しかいない。でもその男とは、深いところで交流はできない。いや、浅いところでも同じことか。
 
テレビ・ゲームのテトリスのように、一瞬で消えてしまう、私の周りと、私。こういう存在を、どうすればいいのだろうか。僕もまた、本を見ながら、途方に暮れる。
 
カフェでキーボードを叩く。帰国以来、いつになく最高潮を迎え、いくらでも書けるような気がする。
 
そのとき、定年前後くらいの男が叫んでいる。著者は、慌ててイヤホンを取る。

「『パソコン! これ!』
 と指でテーブルをドンドンたたきつける。」(「玉ねぎ」より)
 
パソコンがうるさいのだ。
 
著者はパソコンを閉じ、離れた席に移動する。でも、どうにもならない静かな怒りが、沸き起こってくる。
 
そのとき不意に、母の顔が浮かんだ。

「彼女もそういう人だった。私は平気、大丈夫よ、と言い続け、ある時突然『どうして察してくれないの信じられない! 私は皆から搾取されてる!』と被害妄想を爆発させヒステリーを起こすのだ。実家から離れたこんな場所で母の亡霊に出会うとはと思いながら、私はもう走らない指をのろのろとキーボード上に行き来させた。」(「玉ねぎ」より)
 
ここで初めて、母のことが出てくる。

金原ひとみが書けなくなるような、根本のところに、母親がいる。
 
しかし母親そのものが、原因であるのかどうかは、分からない。娘と母親が憎み合っていることについては、男の自分にはよくわからない。

これは女の場合も、母娘が憎み合っていなければ、分からないのかもしれない。

「『死ねばいいんだろ? 死んでやるよ!』
 恐らく一番激しかった母とのつかみ合いの喧嘩が脳裏に蘇る。何を責められていたのか叱られていたのかは覚えていない。とにかく母に罵倒された私はそう怒鳴り、怒鳴った瞬間に引っ叩かれた。〔中略〕引っ叩き返したのはあの時が初めてだったような気がする。引っ叩いたあと、母の首を摑んで揉み合った。死んでやるよと怒鳴りながら、もう殺してくれればいいのにと思っていた。」(「母」より)
 
こういうのは、稀にある。宅急便の創業者、小倉昌男さんのお嬢さんも、こんなことだったようだ。小倉さんのお嬢さんの場合は、後で薬ができて、よくなったらしいが。
 
金原ひとみの場合は、時間が経つということだけが頼りだった。

「子供時代は、最も生きづらい時代だった。ただ苦しいだけの日々が延々続いていた。」(「母」より)
 
その中で、一条の光が見えてくる。

「きっと私は恋愛によって救われたのだ。」(「母」より)

しかしその相手とも、分かり合うことはできない。