初めの三作があまりに強烈なので、それに続く「夏の夜の口付け」「二人家族」「大きな星の時間」が、ともすれば作品の前提を、現実にはない、わずかな箇所を変えてあるだけで、大したことはないと思ってしまう。
しかし次の「ポチ」は、僕のような凡庸な読み手にも、これはなんだ、と思わせる。
少女とユキは同級生、二人は学校が終わると、裏山に行く。裏山の小さな小屋の中に、二人の秘密の「ポチ」がいる。
「ユキが、
『これ、ポチ』
と、私のお父さんと同じくらいのおじさんを小屋から出してきたとき、心の中で仰天した。」
たしかに仰天する。ポチというおじさんと、そして、こともなく現実と受けとめている、同級生の「ユキ」にも。
「私は恐る恐る『ポチ』に近づいて、頭を撫でた。ポチからは、獣のような臭いがして、頭のてっぺんの青白い皮膚はべたべたしていた。」
うー、ちょっと気持ち悪い。
「私はポチの頭を撫でるのを躊躇した。ポチはかわいいところはあるけれど、触るのは少し気味が悪い。ユキは平気そうに、ポチの頭や不精髭を撫で回していた。」
ポチは中年のサラリーマンで、だからこういうことは起こりえない、というのは現実の世界で、文学の世界では何でもおこる。
それが不気味だけれど、反面、おかしい。そして、おかしいままで、ゾッとする。そういう世界を、村田沙耶香は好んで描く。
次の「魔法のからだ」は、中学二年生の少女たちを描く。まるで少女小説のように繊細で、私は一瞬、村田沙耶香はふつうの小説も書けるのではないか、と思ってしまった。
しかしよく考えてみると、やっぱり作者の描く現実は、歪んでいるのだ。
「詩穂」は、田舎のおばあちゃんの家の近くで、お盆のときに、男の子と仲良くなる。それも徹底的に仲良くなる。
「小学四年生のお盆に屋根裏部屋でキスをして、この前のお盆のとき、蔵の中でセックスをした。そうあっけらかんと話す詩穂に、私は面食らった。
キスやセックスは、もっといやらしいことだと思っていた。でも詩穂と話していると、それがとてもあどけない、純粋なできごとに思えてくるのだった。」
ここはあまりに繊細に、かつあっけらかんと書かれているので、ついついそういうものかと思ってしまう。でもちょっと考えてみると、おぞましくもある。
そういえば、小学生同士の、精通もしていないセックスは、『地球星人』でも書かれていた。これは、作者が固執するだけの、原体験があるのだろうか。
ともかくどちらも、得も言えぬ、素晴らしい体験として記されている。