「火垂るの墓」の真実とは――『「駅の子」の闘いー戦争孤児たちの埋もれてきた戦後史ー』(1)

著者の中村光博はNHKの社会番組のディレクター、「駅の子」は戦争孤児の話である。
 
この番組は2018年度のギャラクシー賞で、テレビ部門の選奨に、次の言葉とともに選ばれた。

「本作は政府の無策を糾弾する以上に、彼らを見捨てたのは我々市民だったという事実を突きつけます。太平洋戦争の理解に新たな視点を提供する、戦争特番の新機軸です。」
 
これは、京都が大規模な空襲を免れたことから、京都駅の駅舎が残り、それを目指して雨露をしのぐために、戦争孤児たちが全国から集まってきた、それが「駅の子」と呼ばれたのである。
 
もちろん京都駅だけではなく、上野や大阪駅も取材しており、その悲惨さは、どれも想像を絶する。
 
しかしそもそも取材は、簡単には進まなかった。

「……戦争孤児だった過去を明かしている人は多くない。ましてや、親を亡くした後に行き場を失い、駅の地下道などで雨露をしのぎながらその日暮らしをする『駅の子』の経験を明らかにしている人は、ほとんどいないのだ。」
 
けれどもその中で、そういう子どもがいたんだ、それを歴史の中に消してしまってはいけない、と名乗りを上げた人が、何人かいたのである。
 
登場順に挙げれば、内藤博一さん、金子トミさん、渡辺喜太郎さん、瀬川陽子さん、小倉勇さん、伊藤幸男さん、山田清一郎さんといった人びとである。
 
戦争孤児の話は、ずっと前からあった。

「夏になると毎年のように再放送されてきたアニメ映画『火垂るの墓』で描かれた兄と妹の苦境などで、戦争孤児の存在や苦しみなどについては、多くの人が漠然としたイメージは持っているだろう。しかし、戦争孤児について、ましてや路上生活に追い込まれた子どもたちについては、これまでアカデミズムの研究や、メディアでも本格的には取り上げられてこなかった。いわば日本の戦後史の中の空白地帯となり、これまで置き去りにされてきた分野だったのだ。」
 
そうなのか。『火垂るの墓』があるから、それも毎年、再放送されるから、もうすべて明るみに出ていることかと思ってきた。
 
それが、全然そうではなかったのだ。
posted by 中嶋 廣 at 09:43Comment(0)日記