ゴーンは変わったのか?――『カルロス・ゴーンー国境、組織、すべての枠を超える生き方 (私の履歴書)ー』(2)

ゴーンは2005年に、日産とルノーという巨大自動車会社を率いる、初の経営者になった。

「両社を同時に経営することで『ルノー・日産アライアンス』という形で関係をより発展させることも可能になった。」
 
たしかに、そういうことも言えるだろう。
 
しかしそれが言えるのは、ゴーンをおいて他にはなかった。「ルノー・日産アライアンス」は、ゴーンのもとで、世界で唯一成功したアライアンスだったのだ。
 
ということはさておき、ゴーンの日常はどのように変わったか。

「それまでは1カ月のうち3週間を日本、残りを海外出張に充てていたが、ルノーのトップを兼務してからは日仏とその他海外での滞在に3分の1ずつを使う時間配分になった。家族はフランスに移った。」
 
ここにはまったく書かれていないけれど、そうやって世界を飛び回っていれば、いろいろな女も寄って来よう。ゴーンは2012年に、糟糠の妻、リタと離婚して、キャロルと再婚している。
 
キャロルは派手なことが好きで、ゴーンとの披露宴をベルサイユ宮殿で開いている、と『ゴーンショッキング』には書かれていたけれど、こういうことの真相は分からない。ゴーンが開きたかったのかもしれない。
 
とにかくそのための金は、公私混同で使っていたという。
 
子供の学費や、自分のバカンスの金も、同じく公私混同で使い、それはとめどがなかったと、これも『ゴーンショッキング』に書いてある。
 
ただ、ゴーンが逮捕された4度の中には、そういうことは入っていない。これは比較すれば、金額が小さいのかもしれない。あるいは、立証するのが大変なのか。その辺はよくわからない。
 
またルノーと日産を率いるからには、また日本人の相棒も、吟味しなければならない。

「日産について言えば、私とともに経営にあたるCOOのポストをつくり、志賀俊之常務を指名した。私の時間の半分はルノーのためのものなので、日産だけのトップの時のように細部までは目配りできない。」
 
しかし逮捕された後、志賀俊之常務は、反旗を翻す。

「16年末、三菱自動車の会長に選任された時もチーフ・コンペテイティヴ・オフィサーの西川広人さんを日産の共同CEOに指名した。これも役割分担の一環だった。」
 
日産の西川広人社長は、ゴーンが逮捕された後は、口を極めてゴーンを罵った。手の平を返すとは、まさにこのことだ。
 
しかし一般に、2年あまり共同で重責を担った人間を、逮捕されれば、たちまち敵陣に回り、反旗を翻せるだろうか。
 
ここにはもう一つ、はっきりした別の意思、思惑がある、という気がするが。
posted by 中嶋 廣 at 09:45Comment(0)日記