ゴーンは変わったのか?――『カルロス・ゴーンー国境、組織、すべての枠を超える生き方 (私の履歴書)ー』(1)

この本は2018年3月に刊行されている。この暮れにゴーンは、日本の検察によって逮捕されたのだから、急転直下、この年は劇的である。
 
しかしその前に、この本は日経新聞の「私の履歴書」に連載され、その後、単行本になったのだが、翻訳者の名前がどこにもない。
 
翻訳者の名前がどこにもない本というのは、近年では、他にないのではないかな。日経の社員が翻訳したから、名前を記さなかったということではあるまい。
 
これはどういうことなんだろう。

「私の履歴書」は、著者の買い上げる冊数が莫大な数になるので、これはいわば「饅頭本」の類である。だから翻訳も正確にはやっておらず、訳者の名前を載せるようなものではないのだ、ということなのか。
 
いくらなんでも、そんなことはあるまいと思うが、しかしそれなら、訳者の名前が伏せられている理由がわからない。
 
そういう不審が根底にあるのだが、それを含んだ上で見ていくことにしたい。
 
とは言っても前半は、2001年の『ルネッサンスー再生への挑戦ー』を、かいつまんで述べたもので、これは「私の履歴書」という以上、仕方のないことだ。
 
そしてここでも、印象に残ることとして、ラグロヴォール神父の言葉が紹介される。

「〔神父は〕思うことを簡潔に表現する大切さも教えてくれた。『物事を複雑にしてしまうのはそれが何も理解できていないからだ』と言っていたのを思い出す。」
 
これはゴーンにとって、最初にくる教えなのだろう。
 
またミシュラン・ブラジル法人の巨額負債を3年で返し、再建を果たすが、このときはじめて、「クロス・マニュファクチャリング」というのを試している。
 
これは、別々のブランドを、同じ製造ラインで生産するのが、最善だというもので、これと、いろんなチームの人を混ぜ合わせる、「クロス・ファンクショナル・チーム」を組み合わせれば、そうとう独創的なことがやれそうだ。
 
とはいっても僕は、タイヤや車のことは全く知らないので、雲をつかむような話だが。
 
そしてここからが、『ルネッサンスー再生への挑戦ー』以後のことである。
 
日産を劇的に回復させたゴーンを待っていたのは、中国だった。合弁会社、「東風汽車」を設立したのは2003年だった。

「中国で工場をつくるには現地企業と車種ごとに合弁会社を作る必要がある。だが、我々は他社とは違い、どんな車でもつくれる合弁会社を中国政府から認められたのだった。プロジェクトは一気に1千億円を超える大きな規模になった。」
 
なかなかすごいぞ、ゴーン。

しかし問題は、それを傍にいた日本人が、どこまで自分の問題として、咀嚼し、飲み込んでいたか、ということだ。
posted by 中嶋 廣 at 12:09Comment(0)日記