ただもう情けない――『出家への道ー苦の果てに出逢ったタイ仏教ー』

僕が中学1年のとき、笹倉明は、同じ学校の高校2年だった。姫路の私立淳心学院中・高等学校に通っていたころだ。
 
僕はもちろん、学校にいるときは、5年離れていることもあって、彼のことは全然知らなかった。
 
1988年に、『漂流裁判』でサントリーミステリー大賞を受賞して、その略歴に姫路の淳心学院とあって、びっくりした。
 
さっそく読んでみると、なかなか面白い。
 
89年には『遠い国からの殺人者』で直木賞も取った。それ以外にも『東京難民事件』『女たちの海峡』『推定有罪』など、かなり読んだ。
 
しばらく名前を見ないなと思っていたら、突然、笹倉明という名を捨てて、というかそれは俗名で、プラ・アキラ・アマローという名で出家していた。ただもう、吃驚である。
 
オビの文句は、「異国へと/落ちていった/直木賞作家は/ついに/俗世を捨てた。/なぜだった/のか?」。これは買わずにはいられません。
 
この本は、これでもかと言わんばかりの、みずからの愚行と、タイ仏教における、自分の克明な出家式が、交互に挟まれている。
 
タイ仏教の出家式には、ほとんど興味がないので、そこは斜めに読んで、笹倉明の、我が懺悔の章を、克明に読む。
 
結論からいうと、本人も言うとおり、ただもう実に情けない。

「諸々の弱点と失敗が招いた経済的窮地を、手早く生活がラクになる国への移住でもって切り抜けようとした、そのことがさらなる没落への道を敷くことになってしまいます。が、命だけは持ちこたえるという最低限の幸いはあったのだと、自分を慰めてもいたのです。」
 
最初に書いてある、自分の半生の総括が、すべてを物語っている。
 
金儲けにも失敗し、女でも失敗する著者は、一昔前の無頼派の文士そのものだ。場合によっては、自分を主人公にして、ケッサクが書けたかもしれない。

ところが驚くべきことに、著者は究極のところ、その数々の失敗を、戦後教育のせいにする。
 
まったく信じられない。自分の不始末を、自分ではなく、時代のせいにするとは、文士の風上にも置けない。というか、この人、文士にもっとも向いてない。
 
これをまとめることになった編集者も、成りゆきで関わったものの、本当に嫌だったろうなあ。
 
直接の関係はないのだが、こんな先輩ですみませんと、つい言いそうになってしまう。

(『出家への道ー苦の果てに出逢ったタイ仏教ー』
 プラ・アキラ・アマロー(笹倉明)、幻冬舎新書、2019年11月30日初刷)