あのころは希望に燃えて――『ルネッサンスー再生への挑戦ー』(3)

1998年11月、ルノーの副社長だったゴーンは、日産と提携するために、初めて日本でプレゼンテーションを行なった。

「三時間のあいだ、私の頭の中は伝えたい事実と数字でいっぱいだった。そんな様子がある種の感銘を与えたのかもしれない。この会議で日産の人々の頭の中に何かが誘発され、ルノーの提案にはどこか説得力があると感じさせたのではないかと思う。」
 
こういう光景は、頭に絵が浮かぶようだ。「どこか説得力があると感じさせた」、どころの話ではない。たぶん皆、圧倒されていたはずだ。
 
こうして1999年3月27日、日産とルノーは、「ルノー日産グローバル・アライアンス」の合意文書に調印した。

「ルノーは契約に従って日産自動車に六四三〇億円(五四億ドル)の資本投資を行い、見返りとして日産株の三六・八パーセントを保有することになった。この契約には、ルノーがいずれ出資比率を四四・四パーセントまで増やすことができるとする条項が含まれていた。」
 
ここは数字ばかりで煩わしいと思うが、要するにルノーは、日産に金を出す代わりに、株を買い占めることができたということだ。
 
しかしこれは、日産がルノーの子会社になる、ということではない。それが、平等の立場で結ぶ「アライアンス契約」というものだ。
 
見ようによってはこれが火種となって、後のマクロン大統領は、折あらば隙を見て、日産の高い技術を、ルノーの傘下に収めようと思ったわけだ。

日本では考えられないけれど、大統領が経営者のボスとして出てくれば、一波乱おきるのはしょうがない。
 
話は戻って、ゴーンは1999年3月に日本に来たが、そのとき不思議な気持ちになった。これは、やったことがあるぞ、と。

「収益性の欠如、過度のマーケットシェア志向、混乱、不透明な責任の所在。問題は数え上げたらきりがないほど山積みされていた。しかし、いずれも私にとっては馴染み深い問題だった。」
 
これは、デジャ・ヴか、シンクロニシテイか?

「いままでやってきたことはすべて、まさにこの瞬間のための修行だったのだ。会社再建、組織再編とリストラ、社員の意識と行動の変革、二つの企業文化の融合と異文化マネジメント。規模は小さかったとはいえ、どれもこれまでやってきたことだ。」
 
ゴーンはまさに、おあつらえ向きの舞台を、用意されたのだ。
 
しかしこれを、日産の方から見ればどうだろう。

「日産の根本的な問題は、経営陣が方向を見失い、利益を上げるためになすべきことの優先順位を見失っていたことにある。利益に焦点を合わせることも、利益を上げるために社員を動機づけることも軽視してきた。顧客満足も重視していなかった。クロス・ファンクショナルなチームワークもなければ、海外進出にあたって国民性の違いを調整することもなかった。……本当の意味での切迫した危機感も見られなかったのである。」
 
これは、このときのゴーンの述懐だが、本にしてここまで書くかね。とにかくゴーンは率直な人だ。でも日本側の経営者にして見れば、ほとんど全員クビだろう。
 
ゴーンはこうして、「日産リバイバルプラン」を策定し、それを実行することによって、劇的に復活を遂げたのである。
 
つぎに、「私の履歴書」を読むわけだが、20年弱を経て、ゴーンはどういうふうに変わったのか、あるいは変わらなかったのか。

(『ルネッサンスー再生への挑戦ー』カルロス・ゴーン/訳・中川治子
 ダイヤモンド社、2001年10月25日初刷、11月5日第3刷)

あのころは希望に燃えて――『ルネッサンスー再生への挑戦ー』(2)

ゴーンがまず最初に、独自なこととしてやったのは、「クロス・ファンクショナル・チーム」の作成である。これはミシュラン北米の、経営委員会の席で誕生した、
 
要するにこれは、狭い範囲で仕事をしている人間、営業なら営業、開発なら開発の人間を、部門の壁を越えて、一緒に議論する場を設ける、ということである

「彼らにはそれまで本当の意味で一緒に仕事をした経験がなかった。過去にミシュラン・グループがこのようなやり方で問題に取り組んだことはなかった。しかし、私はこれこそ、会社が持つ思いもよらない能力を引き出す唯一の方法だと確信した。そして、マーケティング、販売、R&D〔研究開発を行なう部署〕、製造という異なる機能を担う人々をひとつに集めたCFT〔クロス・ファンクショナル・チーム〕を結成したのである。」
 
これはよく考えると、あるいは、よく考えなくとも、縦の系列を、横に横断して、そういうチームを作ることで、こと足りると思える。

しかし、実はそうではない。クロス・ファンクショナル・チームの独自の機能は、あくまでゴーンに特化した、属人的な、この人においてだけ発揮できる、特殊な機能なのだ。

「私には、CFTが、行き詰った状況や力不足の状況を打開する唯一の方法に思えた。さまざまな部門の人々を集めて特定の課題――例えばコスト削減、品質向上、リードタイム短縮、収益改善など――を与えさえすれば、あとは彼らが大いに力を発揮するのを見守っているだけでいい。」
 
ゴーンが参加する人を選び、ゴーンが課題を出し、その議論の一部始終を、ゴーンが見守っている限りは、そういうことなのだ。

次のルノーに移籍したときには、その直前に少し考えている。

「私にはフランス政府がほとんど実権を握っているような企業に入ることなど思いもよらなかった。政治や官僚の介入によって、戦略や計画をめぐる意思決定の権限が拡散し、希薄になり、時には妨害されるような状況では、とても仕事はできない。しかし、ルノーの場合、国は依然として最大株主ではあったが、保有比率を下げる時期、あるいは完全に撤退する時期がいずれ来ることが予想できた。」
 
末尾の一文は、その後の経緯を見ると、何とも言えず皮肉な気持ちになる。
 
ゴーンは、ルノーの最大の株主であるマクロン大統領に、屈服するかたちで、日産、ルノーの合併を承諾した。それでなければ、両方の会長に君臨することはできなかった。
 
けれども、マクロンによる合併を承諾したために、ゴーンの言い分では、日産側がクーデターを起こし、彼はその地位を追われたのだ。
 
ゴーンは合併に、最後まで抵抗した。それは、いくつもの国で暮らしたゴーンであればこそ、そのアイデンティティーを逆に大事にしたのだ。
 
それは各国の企業においても、まったく同じことだ。日産とルノーは、だから合併や統合ではなく、アライアンス(提携)でなければいけなかった。
 
昨日、インターネットのニュースを見ていたら、日産とルノーの合併についてはご破算とすることにし、今後話し合うことはない、という結論が出たそうである。
 
マクロンが、今回の件で、どういうふうに立ち回ったかはわからないが、日産もルノーも、ゴーンなき後は赤字で、そのうえコロナが後を襲っている。
 
ゴーンは、ここまでの経緯をどう見ているだろうか。
 
ゴーン流のアライアンスで、日産、ルノー、三菱自動車の舵取りをしていれば、この急場、どんなことになっていたか、とつい想像してしまう。

あのころは希望に燃えて――『ルネッサンスー再生への挑戦ー』(1)

『ゴーンショッキング』を読んで、ゴーンその人に興味が湧いたので、2001年発行の『ルネッサンスー再生への挑戦ー』と、2018年発行の『カルロス・ゴーンー国境、組織、すべての枠を超える生き方 (私の履歴書)ー』を読んでみることにした。

『ルネッサンス』は日本に来てすぐのときで、もう一方の日経の「私の履歴書」、『カルロス・ゴーン』は、逮捕される直前に出た本である。20年近い時の流れに、何かが現れているのではないか、と考えたのである。
 
そこでまず『ルネッサンスー再生への挑戦ー』を読んでみる。これは文句なく面白い。

幼少期から学生時代、そしてミシュラン、ルノーを経て、日産に入って大活躍するまでの、半生を描いた本である。
 
巻頭に8ページのモノクロ写真が載っている。ブラジルで生まれで、すぐにレバノンに移り、フランスのエコール・ポリテクニーク(エリート校!)などで学んで、ミシュランに入る。
 
そのころ、リタと結婚式を挙げた写真もある。『ゴーンショック』では、リタと別れて、2012年にキャロルと再婚した経緯が載っているが、このあたりはもちろん、『ルネッサンス』には出てこない。
 
この本の初めに、会社の立て直し方を、本を読んで学んだのか、と聞かれて、そんなものは書物から得たのではない、と答えている。

「その種の本を読む必然性を感じたことは一度もないからだ。
  ……
 私は実地経験を積み上げてマネジメントのさまざまの基礎を学んだ。それだけのことである。基礎というのはつまり、問題を特定する、優先順位を確立する、あらゆるレベルで双方向コミュニケーションを促進するといった」ことであり、問題はそれを実行することにあるのだ。
 
だから、「ゴーン流マネジメント」を読んだだけでは、結局どうにもならないのだ。
 
しかし経験したことがなければ、本を読むしかない。まず必要条件を満たさないと、どうにもならない。

「彼らは解決策を見つけることができず、問題にかすりもしない中身のない計画作りに終始する。そうこうするうちに、問題はますます複雑で対処しにくくなり、解決に至る道もいっそう険しくなるのである。」
 
これはまるで、日本の政治家が新型コロナを扱って右往左往し、アサッテの方向を指している図を活写しているようだ、というのは置いといて。
 
「学生時代」のところでは、レバノンのイエズス会の学校、ノートルダム・カレッジが印象深い。
 
神父の一人は言った。

「アマチュアは問題を複雑にし、プロは明晰さと簡潔さを求める」

「まず耳を澄ませなさい。考えるのはそれからです。大事なのは、自分の考えを可能な限り分かりやすい方法で表現するよう努め、何事も簡潔にし、自分でやると言ったことは必ずやり遂げることです。」
 
ほとんどゴーンの原型ではないか。

微妙な味――『鴨川ホルモー』

『人生の救いー車谷長吉の人生相談ー』の「解説」を、万城目学が書いていて、おっ、と思うくらい面白かったので、小説も読んでみることにした。
 
京都大学の学生たちの話である。ちょっと毛色が変わっていて、オカルト・ユーモア青春小説と言ったらいいか。
 
京都大学のほかに、京都産業大、立命館、龍谷大学の、4つのサークルが出てくる。
そこに、何ともおかしなオニがいっぱい出てきて、それを学生たちが指揮して、戦いを繰り広げる。
 
オニの描写と、戦いを活写するところは、現実にないものを立ち上げるわけだから、なかなか腕がある。
 
ユーモアのある文体も、細かいところにまで目を配り、全体としては達者なものだ。

しかしどうも、強いオチがなくて、ヌケが悪い。
 
青春小説なんだから、最後に近く、ヤマがないと、読み終わっても、物足りない。
 
ヒロインも、なんだかパッとしなくて、ヒロインらしくない。
 
車谷長吉を師と仰ぐならば、言葉でどこまでも突き詰めていくのはもちろん、『赤目四十八瀧心中未遂』のように、ヒロインのアヤちゃんを、この世の外へ連れていく、くらいの意気込みがないと、せっかく創出したオニがかわいそうだ。
 
なんだか歯切れの悪い書評で申し訳ないが、でも、作家はここから変わることがある。と言うと、ますますこの小説を読んだらいいのか、読まない方がいいのか、わからないと思うのだけど、……つまりそういうことです。

(『鴨川ホルモー』万城目学
 産業編集センター、2006年4月20日初刷、2007年1月25日第8刷)

ゴーンとは何者か?――『ゴーンショックー日産カルロス・ゴーン事件の真相ー』(5)

僕はここで、はたと当惑してしまう。

「ゴーンが問題として強調したのは検察による取り調べのあり方だった。 
 検察官は当初から、『あなたは有罪だ。白状しなさい』と迫ってきたという。
『彼らは真実を見つけようとしているのではない、とすぐに気づいた。彼らが尋ねてくることは検察の主張をより強固にするためのものでしかなかった。』」
 
これ、どういうこと? 検察って、何をするところ?
 
犯人と思われる人を取り調べるのと、それはひとまず置いといて、真実を探求しようとするのでは、全く違うではないか。
 
いったいどちらが、本当の検察だろう。日本では、「絵に描いたところに落とす」のが、検察官の仕事だとされている(こういう手垢のついた、陳腐な言い方をするでしょ)。
 
そのため罪を認めないと、えんえん保釈にはならない。それで日本の場合は、人質司法だといわれて、先進国の間では、まことに評判が悪い。
 
この検察の問題は、著者である朝日の記者に、正解を示してほしかったなあ。
 
ほかの点でも、日本の裁判は評判が悪い。

「あるとき、ゴーンは弁護士に尋ねたという。
『いったい、これ〔裁判の前の公判前整理手続き〕はどれくらい時間がかかるのですか』
 その答えに、ゴーンは衝撃を受けたと振り返る。
『残念だけれど、5年はかかるかもしれない。』」
 
これは、なんぼなんでもひどい。これでは仮に、無罪を勝ち取ったにしても、その間、裁判で忙殺されるのであれば、ほとんど処罰されているのと同じことだ。

「しかも、日本では有罪率は99・4%にのぼる。『すべてのことが、私が公平に扱われないということを示していた。あと4~5年は普通の生活を送れないのだと。自ずと、導かれる結論はこうだった。「日本で死ぬか、出ていくか」』」。
 
それで、出ていくことにしたのだ。
 
これは理路整然とした話だ。ただ、実行しようとしても、ゴーン以外には、誰もできなかった。

「第4部 ゴーン逃亡」があるおかげで、このノンフィクションは、実に立体的な構造になった。だから何度読んでも、そのたびに細かいところが浮き出てきて、実に面白い。

「あとがき」にも、興味深いことが書いてある。この本は、幻冬舎の編集者が熱意をもって、強力に出版を奨めることがなければ、世に出なかったろうという。

その過程で、「取材班を励まし、原稿に適切な助言をいただいた」とある。朝日の記者、十余人に叱咤激励を飛ばし、強力に引っ張っていった編集者がいたのだ。
 
そうであれば、この編集者の次の仕事は、もう決まっている。

今度はゴーンが英語、またはフランス語で書く『ゴーン、カム・バック!』、または『アイル・ビー・バック』(いずれも仮題)の日本語版を出し、そしてもし可能であれば、それを同時発売してほしい。
 
またゴーンの「懐かしい日本のみなさんへ」という一文を、日本の読者のために、ぜひ取ってほしい。それでこそ、この時代を代表する幻冬舎の、大向こうを唸らせる出し物ではないか。
 
なおこの本の、本づくりの点で、オビにやや疑問がある。新刊のインパクトを与えるために「孤独、猜疑心、金への異常な執着/カリスマ経営者はなぜ/「強欲な独裁者」と化し、/日産と日本の司法を食い物にしたのか?」という、強烈なリードを書いたと思うのだが、ここはやっぱり、〈ゴーンとはいったい何者か?〉という線で行ってほしかった。
 
そうでないと、「日本の検察官や日産が言うことを、盲目的に信じることはしないでほしい」と、ゴーンが言った意味は、ないではないか。
 
これは売るための問題であって、難しいところだけど。
 
それにしても『ゴーンショック』を読んで、俄然ゴーンに興味がわいた。もう一、二冊読んでみよう。

(『ゴーンショックー日産カルロス・ゴーン事件の真相ー』
 朝日新聞取材班、幻冬舎、2020年5月15日初刷)

ゴーンとは何者か?――『ゴーンショックー日産カルロス・ゴーン事件の真相ー』(4)

「第3部 統治不全」も面白い。じつは僕には、この章が一番面白かった。ゴーンが去った後、それぞれの人間らしいところが、むき出しで出ている。

 ゴーンとフランス大統領、エマニュエル・マクロンが、いわば死闘を演じ、いったんはゴーンが折れて和睦するが、その後ゴーンが、日本の検察によって追い落とされ、日産の西川(さいかわ)廣人社長や、ルノー会長のジャンドミニク・スナールが、虚々実々の駆け引きを行い、ついに西川が追われていく。

 そのあと日産は集団指導体制になるが、それもなんと、ひと月経たぬ間に崩れ去ってしまう。
 
 ゴーンが去った後に登場する面々は、こんなことを言うと失礼かもしれないが、みな小粒である。
 
 そこが何というか、日本人らしくて親しみがわく。うんと誇張して言えば、ほとんど「仁義なき戦い」のようである。
 
「日産の株価は、18年11月のゴーンの逮捕以降、下落傾向に歯止めがかからず、20年3月末時点の株価は逮捕直前の4割弱の水準にまで落ち込んでいる。」
 
 投資家はよく知っているのである。経営の立場にあるものは、ゴーン以後、それぞれが底辺で蠢いている、と言ってはあまりに失礼であるが、でもそういうふうにしか捉えられない。

 そこに新型コロナウイルスが襲いかかる。さきごろトヨタの決算が、8割減ということで、日本中に衝撃を与えた。
 
 では日産はどうか。

「ルノーとの安定した関係づくりも大きな懸案だが、ルノーの19年12月期決算は、純損益が10年ぶりの赤字に転落。三菱自動車を含めた3社連合の業績は総崩れの様相だ。ゴーン後の3社連合の行方も見通しづらくなっている。」
  
 お先真っ暗である。3社連合はどうなるか、とみんなが見ているだけで、それを引っ張っていく、肝心の人がいない。

 しかしそもそも、ゴーンのいう「もう一つのストーリー」は、どうなっているのか。
 
 レバノンに逃れて、朝日新聞の取材を受けた最後に、ゴーンはこう言った。

「『大事なのは、もう一つのストーリーがあるということだ。日本の検察官や日産が言うことを、盲目的に信じることはしないでほしい』
 そして、こう付け加えた。
『またこの対話を続けよう。日本の人たちには、正しい判断をしてほしい』」
 
 そう言われると、つい期待してしまう。
 
 ゴーンは日本で、4度目の逮捕があり、そのため自身では釈明できなくて、逮捕前日に撮影した映像を公開した。

「冒頭で『私は無実だ』と話し、いま起きていることが『陰謀』であり、『謀略』『中傷』だと強調するゴーン。ルノーとの経営統合を恐れた日産幹部が『汚い企みを実現させるべく仕掛けた』と訴えた。」
 
 これは実に分かりやすい。でも本当か。
 
 弁護団も、この「陰謀」説にそっている。

「弁護団はさらに、事件化にあたっては経産省高官らが関与するなど、日本政府の意向が働いていたとも主張。広中〔弁護士〕は『国策捜査としては一番大きい事件ではないか。日産をフランスに渡すまいという方針の下でやられた』と話した。」
 
 この裁判が日本で開かれなかったのは、本当に残念である。
 
 しかしゴーンにはゴーンなりの、日本の裁判を拒否する理由があったのだ。

ゴーンとは何者か?――『ゴーンショックー日産カルロス・ゴーン事件の真相ー』(3)

また話は変わるけれど、巻末の「参考文献」に、森山寛『もっと楽しく これまでの日産これからの日産』(2006年、講談社出版サービスセンター)という本が上がっている。刊行が講談社出版サービスセンターとなっているから、自費出版の本だ。
 
僕は、神田の学士会館で、森山寛さんが、この本をテーマに講演するのを、聞きに行ったことがある。森山さんは現役を引退しておられ、最後は日産の副社長だった。
 
この本も講演も、もう内容はうろ覚えだが、日産の「自動車労連」の会長であった塩路一郎と、森山さんたちが徹底的に戦い、最終的に勝利する話だった。

「日産の天皇」と呼ばれた、自動車労連の「暴君」、塩路一郎の話は、『ゴーンショック』の第2章「独裁の系譜」に詳しい。

「日産には、ゴーン支配のはるか前にも、同じような『独裁者』の支配を長く受け入れてきた歴史があったのである。」
 
うーん、こういう総括はやや疑問だ。労組の委員長とゴーンでは、その内実はおよそ違うと思うけど。
 
それはともかく、森山さんの本の話は面白かったが、余談に移ったときのゴーンの話が、抜群に面白かった。数字に対する冷徹な話、そしてコストカッターぶりが、日本人とは違って、僕の感想ではターミネーターみたいで、興味は尽きることがなかった。
 
目標とする数字についても、日本人とは捉え方が違う、という点が気になった。
 
僕はさっそく、講演が終わると、簡単な自己紹介をして、間近で見たゴーンさんについて書いて下さいと言った。
 
森山さんは、役職を退いたばかりだし、ゴーンさんはまだ前線で戦っているので、それは無理だと、にこやかにおっしゃった。
 
しかし『ゴーンショック』を読めば、森山さんが、ゴーンに口汚く面罵されるところが出てくる。二人は、合わなかったのだ。知らぬこととはいえ、申し訳ないことをした。
 
だいたい、ゴーンの本を一冊も読まずに交渉をする、というところからして厚かましいようだが、しかしそれほど、森山寛さんの話は面白かったのだ。
 
森山さんの本は自費出版で、なかなか手に入らないと思うが、あるいは古本で出ているかもしれない。一読を勧める。

ゴーンとは何者か?――『ゴーンショックー日産カルロス・ゴーン事件の真相ー』(2)

まず金の話がある。役員報酬の虚偽記載については、検察の話では、約50億円が記載されていなかった。つまり隠そうとしていたのである。
 
ゴーンにしてみれば、これは退職した後にもらう約束だから、有価証券報告書に記載されるのは、この段階ではおかしいということになる。
 
僕にはもちろん判断はできない。ただ金額の問題はある。
 
検察によれば、たとえば「サウジアラビアルートの特別背任」で動いた金の額は、12億8400万円。「オマーンルートの特別背任」で動いた金額は11億1000万円、そのうち5億5500万円は、ゴーンが実質的な支配者の、レバノン・GFI社に還流している。
 
こういうのを読んだとき、日本人でどのくらい、ケシカランと思う人がいるのだろう。桁が違い過ぎて、同じ日本で暮らしている人とは思えない。
 
ゴーンは日本よりも、フランスで問題にされることを、恐れたのだというが、よくわからない。フランス人なら、国民の多くが、ゴーンは暴利を貪って怪しからん、と思うのだろうか。

ゴーンは、日産とルノー、それに三菱自動車という、互いに舵取りの難しい会社を3つも持っている。その下に、また無数の会社がぶら下がっている。それ以外にも、個人資産を管理するための会社があった。

これは、ちょっと嫌にならんかね。考えてみれば、バカバカしいと。会社の舵取りをしてるんじゃなくて、ゴーンは、会社にこき使われているようなものじゃないか。

ま、しかしこれは、根本的な価値観の相違だから、そういうものなんだろう。これを金の亡者と言っては、ちょっと違うような気がする。

その金に関連して、ゴーンが動かした金額が、桁外れに大きいことが、逮捕されるのにふさわしい、と言うと変だな、それに値することになるのだろうか。
 
ゴーンは4回、逮捕されて、保釈になった後も、妻や子どもたちとは、接触を断たれている。
 
刑法上のことは、僕にはわからないけれども、これはそういう犯罪かね。妻子と一切接触を断つ、というような。これは何か、根本的に違和感がある。
 
それはそれとして、ゴーンはかなり変わった人である。どこまでも自力で、運命を切り開いていこうとする。
 
日産の業績を、あまりに鮮やかにⅤ字回復したのには、日本どころか世界中が驚いたが、こんどは自分が被告の裁判をすっぽかして、レバノンを舞台に、世界中の報道関係者に、自分の無実を訴えたのは、本当にびっくりした。
 
レバノンにおける記者会見は、日本では不評だったが、考えてみれば、日本国を相手に、その司法制度もまじえて、痛烈に批判するというのは、誰もやったことがない。
 
それを見ていると、日本国とゴーンは、ほとんど同格のようだ。
 
その間、日本から出国するのに、スパイ大作戦もどきの活劇を演じている。
 
そういうことも含めて、自分の運命に対して、つねに変わらぬ姿勢であろうとする。
 
日本に来て以来、日産の責任者として脚光を浴び、一転、逮捕され、国外に逃亡するまで、ゴーンは一貫して、同じ姿勢で人生を切り開いている。
 
そういう人は、これまで見たことがない。

ゴーンとは何者か?――『ゴーンショックー日産カルロス・ゴーン事件の真相ー』(1)

これは抜群に面白い。ちょっと早いけど、今年のベストテンの1冊に入ると思う。

著者が「朝日新聞取材班」であるから、いろんな記者を各所から寄せ集めて、継ぎはぎのごった煮を、何とか体裁を整えて、ノンフィクションと称しているのだろう、などという予測は完全に外れた。
 
カルロス・ゴーンは、2018年11月19日に逮捕され、2019年12月29日にレバノンに向けて逃亡した。

その一年余のことが軸になっていて、とにかく波乱万丈の面白さなのだが、その間、日産が生まれてからの「独裁の系譜」(第2部の見出し)で歴史をえぐり、あるいはゴーンが逮捕されたのちの、日仏政財界の日産をめぐる「統治不全」(第3部の見出し)などの広がりがあって、興味津々である。
 
ゴーンは、主に4つの罪状で、4回逮捕された。

「ゴーンが起訴された4事件は、①役員報酬の虚偽記載(金融商品取引法違反)②日産に損失を付け替えた特別背任(会社法違反)③サウジアラビアルートの特別背任(同)④オマーンルートの特別背任(同)だ。」
 
これだけでは何のことやら、分からないだろう。たとえば最初に逮捕された、役員報酬の虚偽記載については、ゴーンが10年度から14年度までの5年間で、役員報酬が99億9800万だったのに、49億8700万と虚偽の有価証券報告書を提出したというもの。開示しなかった報酬は、50億1100万円に上るという。
 
そのほかの事件についても、同じような単位の金が、不正なルートでやり取りされているという。
 
しかしもちろん、ゴーンにしてみれば、それぞれにちゃんとした理由があるが、収監されていては、それを表明する場所がない。それでレバノンに逃れて、正々堂々とジャーナリズムの前で、自分の論を述べたのだ。
 
そのいちいちについては、本文を読まれたい。とにかく血沸き肉躍る面白さで、頁を繰る手を止めることができない。
 
そして、そういうこととは別に、この本については、いくつか発展して別のことを考えた。それを書いてみたい。

初めて読む内田樹――『私家版・ユダヤ文化論』(3)

ただ、そこから先へ進むとどうだろうか。

「『ユダヤ人』というシニフィアンを発見したことによって、ヨーロッパはヨーロッパとして組織化されたのである。ヨーロッパがユダヤ人を生み出したのではなく、むしろユダヤ人というシニフィアンを得たことでヨーロッパは今のような世界になったのである。」
 
むちゃくちゃ、という気がしないでもない。

「シニフィエ」とは、ソシュール言語学における「意味されるもの」「表わされるもの」。内田樹は仏文の出だから、そういう少しキザッたらしい言葉遣いになる。
 
それにしても、かなり大胆な仮説ではある。

「無謀な着想であることはよく分っているが、多少は無謀なことをしないと、あえて『私家版』を称してユダヤ文化を論じる甲斐がない。」
 
完全に居直ってますな。面白い。
 
ただここから先は、あまり面白くない。

「『ユダヤ人』という概念で人間を分節する習慣のない世界にはユダヤ人は存在しない」というのだから、私の世界には、ユダヤ人は存在しない。そういうところで、これ以上ユダヤ人問題を論じてみても、虚しいではないか。
 
たとえば19世紀末に、ドリュモンの『ユダヤ的フランス』が、爆発的に売れた。その中身はというと、

「ユダヤ人はペストに罹らない、カトリック信者の七倍の生殖能力を有する、タルムードには『異教徒を殺し、その財産を奪え』という教えが書いてある、ユダヤ人は体臭がきつい、自分の子供を売り飛ばす、売春と高利貸しが天職であるとか、悪だくみばかりめぐらせているので脳の解剖学的組成が変化しているとか……そういう人種差別的な妄言である。」

「ユダヤ人が存在しない」、私のまわりの世界なら、こういう人種差別的な妄言に、これ以上つきあう必要はないだろう。
 
著者は「新書版のためのあとがき」で、最後にこんなことを言っている。

「私のユダヤ文化論の基本的立場は『ユダヤ人問題について正しく語れるような言語を非ユダヤ人は持っていない』というものである。」
 
これは、最後にきて、全部をひっくり返すようなものだが、一方では、非常に正直に、己れのうちを語ってもいるのだ。
 
ではなぜ、一般の日本人に向けて、ユダヤ人問題を語れるような言語を持っていないのに、内田樹はこのような本を書いたのだろうか。
 
それは、「ユダヤ人読者が読んだときに、『なるほど、ユダヤ人のことを「こんなふうに」見ている日本人もいるのか……』という『データ』として有用であることを目指して書いている」からだ。
 
ではなぜ、著者は、ユダヤ人の読者を必要とするのだろう。それはこの「私家版」を、そもそも一人の人に宛てて書いているからだ。

「……レヴィナス老師の骨格をなしているユダヤ的な思考をどれくらい理解できるようになったのか、私には判断できない。でも、この一冊は私が老師の墓前に捧げる何度目かの『手向けの花』である。先生は私の『ユダヤ文化論』を読んで、どう思われるだろう。」
 
そういうことなのである。

「『三十年やってきて、これですか……やれやれ。もう少し書きようがあるんじゃないかね』とおっしゃるだろうか。それとも『ふうん。だいぶ、わかってきたじゃないか』とおっしゃるだろうか。」
 
昔、老師から頂いた一通の手紙を、額に収めて掛けてあるその書斎で、ただ一人の、今はもういない人に宛てて、この『私家版・ユダヤ文化論』は書かれたのである。

(『私家版・ユダヤ文化論』内田樹、文春新書、2006年7月20日初刷)