私もまた、さようならを言う――『本の雑誌 二〇二〇年四月号ー特集 さようなら、坪内祐三ー』(1)

坪内祐三は今年、1月13日に心臓麻痺で亡くなった。新聞にはそういうふうに出ていた。

『本の雑誌』は、坪内さんが一番肩入れしていた雑誌なので、丁重におくるだろう。そう思ったので、久しぶりに買ってきて(30年ぶりだ)、特集の坪内さんに関するところは、舐めるように読んだ。
 
巻頭のカラー8ページから、もう駄目である。「いつまでも/読書中/坪内祐三ー本棚が見たい! 特別編ー」の最終ページにネームがある。

「自宅(1~4頁)と仕事場(5~8頁)にそれぞれ万単位の本を所蔵。自宅から徒歩5分の仕事場に毎日出勤し、大久保の小料理店「くろがね」から譲り受けた井伏鱒二ゆかりのちゃぶ台で原稿を書き続けた」。
 
そうか、井伏鱒二のちゃぶ台を、くろがね経由でもらい受けたのか。くろがねも、店を閉めてから、もうずいぶんになる。それにしても、凄い冊数の本だなあ。
 
などと取りとめのないことを、ぼんやり考えていると、そこからもう、坪内さんの世界に入り込んでいる。
 
夫人の佐久間文子さんが、「ツボちゃんが、死んでしまった。/自分で書きながらまったく現実味がない」という書き出しで、追悼を書いている。

「ツボちゃんの記憶力も特殊能力と思えるほどで、一緒に見た映画や舞台の、隅に映っていた〇〇が、とかいう細部の話を延々されて、自分ははたして同じものを見ていたんだろうか、と不安になることがあった。一方で、一度間違って覚えた記憶はなかなか上書きされなかったりもした。一日を無理やりリセットするために、お酒の力を借りる必要があったのかもしれない。」

「一度間違って覚えた記憶はなかなか上書きされな」いとは、近くで暮らした人ならではの言葉だ。

「私も激しい性格なので、喧嘩はしょっちゅうだった。」
 
佐久間さんが、朝日新聞で読書面を担当しておられるころ、そういえば電話で、烈火のごとく怒らせたことがあったな、と懐かしく思い出す。
 
坪内さんは、リチャード・イェーツの短編集を訳したがっていた。

「『タイトルは決めてあるんだ。「さびしさの11のかたち」』と言うので、めちゃくちゃ売れそうじゃない? と盛り上がった。自分の中にもさびしさをいくつも抱えこんでいた。」
 
つれあいに、こういうふうに追悼されるというのは、うまく言えないけれど、どれほどのものか。胸がいっぱいになる。

帯電する文体――『掃除婦のための手引き書ールシア・ベルリン作品集ー』(3)

「どうにもならない」は、自分のアルコール中毒を描いたものだ。
 
ある朝の、息詰まるような、わずかな時間を、実況中継する。

「深くて暗い魂の夜の底、酒屋もバーも閉まっている。彼女はマットレスの下に手を入れた。ウォッカの一パイント瓶は空だった。ベッドから出て、立ち上がる。体がひどく震えて、床にへたりこんだ。過呼吸が始まった。このまま酒を飲まなければ、譫妄が始まるか、でなければ心臓発作だ。」
 
書き出しは見事で、たちまち引き込まれる。私はアル中ではないけれど、心拍数が一気に上がってドキドキする。

「机の上の小銭を入れてある瓶に全部で一ドル三十セントあった。クローゼットの中のバッグとコートのポケット、それにキッチンの引き出しを漁ってやっと四ドルかき集めた。あの糞ったれインド人、この時間はウォッカ半パイントをそんな値段で売りつけるのだ。ここいらのアル中はみんなあそこにつぎ込んでいた。ただし買うのは甘いワインだ、そのほうが早く効く。」
 
アル中には甘いワインが効く、というのを初めて知った(ま、どうでもいいけど)。
 
その後、子どもたちが起きてきて、早く病院へ行ってアル中を治してきてと言われ、それから学校へ行く。
 
あとに残された「彼女」は、「窓のところに立って、バス停まで歩いていく二人を見た。バスが来て二人を乗せ、テレグラフ通りを走り去るまで待った。それから家を出て角の酒屋に向かった。もう今なら空いている。」
 
これも幕切れは鮮やかだ。

でも、敢えて言えば、それだけ。アル中の彼女の、朝の一コマ。読んでいるときは、ずっとドキドキしていたけれど、朝の一コマは一コマ、それ以外に付け加えることはない。

これは、小説といっていえないことはないけれど、どちらかといえば散文詩であろう(それにしては書き込み過ぎているが)。

別の一篇、「苦しみの殿堂」には、こういう一節もある。

「ママ、あなたはどこにいても、誰にでも、何にでも、醜さと悪を見いだした。
  …………
 今のわたしはまるであなただ。辛辣で、毒舌で。ゴミためみたいな町ね。あなたは人を嫌うのと同じ激しさで場所を嫌った。今までに住んだすべての鉱山町も、アメリカも、エルパソも、故郷も、チリも、ペルーも。」
 
川上未映子が、オビの推薦文に書いている。

「何でもないものが詩になる、/空前絶後の作家。」
 
そういう言い方もできよう。詩を読むのが好きなら、夢中になるかもしれない。
 
私は、平松洋子を連想した。
 
平松洋子の食べ物エッセイは、言葉ではなく、食べ物がそこにある。言葉と食べ物の間に、距離がないのだ。つまり、文体が「帯電」している。
 
うまく言えないのだけれど、ルシア・ベルリンと平松洋子は、姉妹といってはあんまりだが、親戚の伯母くらいには、近しい関係にある。
 
ルシア・ベルリンは短篇作家ではない、と決めてしまえば、次のもまた楽しみである。

(『掃除婦のための手引き書ールシア・ベルリン作品集ー』ルシア・ベルリン、
 岸本佐知子・訳、講談社、2019年7月8日初刷、11月1日第6刷)

帯電する文体――『掃除婦のための手引き書ールシア・ベルリン作品集ー』(2)

全体で300ページほど、そこに24本の短篇が入っている。どれもごく短い。

「ドクターH・A・モイニハン」は、腕のいい歯医者だった祖父の話。

祖父は完璧な入れ歯を作るのに、自分の歯を抜こうとして実験台になる。そのとき手伝いをするのが、「わたし」である。

「わたしはその口を開けて片方の端にペーパータオルを押しこみ、残りの奥歯三本を抜きにかかった。
 歯はぜんぶ抜けた。ペダルを踏んで椅子を下げようとして、まちがってレバーを押してしまい、祖父はぐるぐる回転しながら血をあたりの床にふりまいた。そのままにしておくと、椅子はきしみながらゆっくり停まった。」

「わたしは母に電話をかけに走った。コインがなかった。祖父のポケットから取ろうにも体が動かせなかった。祖父は失禁していて、おしっこがぽたぽた床に垂れていた。鼻の穴から血の泡が膨らんでははじけた。」
 
なかなか凄い描写だ。ただただ圧倒される。
 
でも二度目に読むと、文章はすごいけど、作品の広がりや奥行きがなくて、物足りないという気もする。
 
祖父と「わたし」の間に、「わたし」の母、つまり祖父の娘が入ってくる。その親子関係の、立ち位置が問題である。
 
最後はこんなふうである。

「〔祖父は〕さぞや痛かったにちがいない。
『父さん、いい仕事をしたわね』と母が言った。
『じゃあお祖父ちゃんのこと、もうきらいじゃない?』
『いいえ』と母は言った。『大っきらいよ』」
 
こういう幕切れは鮮やかで、いろんなニュアンスを含んで、面白いともいえるが、私は今では好きではない(こういう趣向は、文学部の学生を卒業するときに捨ててきた)。

「掃除婦のための手引き書」は全体の中では、工夫が効いていて、いかにも好短篇である。

「42番ーピードモント行き」などというのが、ゴチックで小見出しの役割を果たし、行く先別のバスがいくつかあって、それぞれ掃除婦のための、皮肉を効かしたマニュアルが記されている。
 
たとえばこんな具合だ。

「掃除婦が物を盗むのは本当だ。ただし雇い主が神経を尖らせているものは盗らない。余りもののおこぼれをもらう。小さな灰皿に入れてある小銭なんかに、わたしたちは手を出さない。」
 
そうして( )に入れて、バスの行く先別に、掃除婦たちへのアドバイスがある。

「42番ーピードモント行き」なら、こんなふうだ。

「(奥様がくれるものは、何でももらってありがとうございますと言うこと。バスに置いてくるか、道端に捨てるかすればいい。)」
 
こういう仕掛けがあって、さらにその奥に、別れた男のことがある。

「ターは絶対にバスに乗らなかった。乗ってる連中を見ると気が滅入ると言って。でもグレイハウンドバスの停車場は好きだった。〔中略〕いちばん通ったのはオークランドのサンバブロ通りだった。サンバブロ通りに似ているからお前が好きだよと、前にターに言われたことがある。」
 
最後の比喩は、胸ぐらに一撃を食らう。

それに対して、「わたし」はこう言う。

「ターはバークレーのゴミ捨て場に似ていた。あのゴミ捨て場に行くバスがあればいいのに。ニューメキシコが恋しくなると、二人でよくあそこに行った。殺風景で吹きっさらしで、カモメが砂漠のヨタカみたいに舞っている。どっちを向いても、上を見ても、空がある。ゴミのトラックがもうもうと土埃をあげてごとごと過ぎる。灰色の恐竜だ。」
 
比喩で返すこのあたりは、本当に素晴らしい。
 
しかし「わたし」は最後に、男と死に別れたのだ、ということが分かる。
 
そして最後の1行。

「わたしはやっと泣く。」
 
私はこういう、胸に迫りくる終わり方は、胸が一杯になる分、敢えて言えば、安っぽいと思うのだ。

帯電する文体――『掃除婦のための手引き書ールシア・ベルリン作品集ー』(1)

煙草くわえて、ちょっと斜めにすかしてる。表紙の写真は、リズ・テイラーに似ている。
 
めくると目次の後ろに、エキゾテイックな表情で下から見上げる、挑みかかるようなルシア・ベルリンの写真。これも女優の誰かに似ている。
 
昨年、外国文学のうちで最も売れた一つが、ルシア・ベルリンの『掃除婦のための手引き書』である。

手もとに何のデータを持っていなくても、そう言える。いや、昨年の7月に出て、4カ月で6刷になっていれば、誰でもそう言えるか。
 
この功績はまず、クラフト・エヴィング商會のお二人、吉田浩美さんと篤弘さんの、絶妙の装幀にある。いや、ほんとに上手いものだ。
 
これは新しい本ですよ、しかも新しい作家ですよ、ということを強烈にアピールしている。
 
それで中をめくり、カバー袖の文章を読むと、なんと彼女は、すでに2004年に亡くなっている。
 
すでに本文に入らないうちから、大きなドラマを経験する。
 
本文を読み終わると、リディア・ディヴィスの解説、「物語〔ストーリー〕こそがすべて」がくる、その一行目。

「ルシア・ベルリンの小説は帯電している。」
 
素晴らしい。死んだ人間のアンソロジーを出すなら、ここまで惚れ込まないと。

「むきだしの電線のように、触れるとビリッ、バチッとくる。読み手の頭もそれに反応し、魅了され、歓喜し、目覚め、シナプス全部で沸きたつ。これこそまさに読み手の至福だ――脳を使い、おのれの心臓の鼓動を感じる、この状態こそが。」
 
そこで、そういう状態になって読まねば、と思うじゃないですか。
 
だから私も2回読んだ。
 
ルシア・ベルリンは、普通の人生なら、何人分にも相当するような職業を経験し、たくさんの場所に住み、並みはずれて多くの経験をした。

「苦難の子供時代、幼少期の性的虐待、めくるめく情事、依存症の苦しみ、困難な病気と身体の不自由、きょうだいとの思いがけない絆、単調な仕事、厄介な同僚、口うるさい上司、友人の裏切り。それからもちろん自然界への畏れにも似た感動」。
 
ルシア・ベルリンはそういうことを書いた。
 
ほぼ女手一つで、4人の息子を育てるために、掃除婦や、看護師や、病院の事務員や、電話交換手や、大学の教師など、もろもろの職に就いた。

「息子の一人は、子どものころは九か月おきに引っ越ししていたと振り返る。」(リディア・ディヴィスの解説より)
 
こういう作家は、必然的に書くものが決まってくる。次は岸本佐知子の「訳者あとがき」から。

「ルシア・ベルリンの小説は、ほぼすべてが彼女の実人生に材をとっている。そしてその人生がじつに紆余曲折の多いカラフルなものだったために、切り取る場所によってまったくちがう形の断面になる多面体のように、見える景色は作品ごとに大きく変わる。」
 
こういう作家の短篇集だから、一回目に読んだときには、とにかく圧倒された。
 
しかし、二度目に読んだときには、何というか、私とテキストの間に微妙な隙間が生まれている。

最後の時にも――『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』(2)

「穴ノアル肉体ノコト」は、読んで字のごとく。左右の鎖骨の間に、ぽっかりと穴が開いていて、ここから澁澤は、呼吸をしているのだ。

声は失っているし、喉ぼとけもない。呼吸をしない鼻の穴は、無用の長物に過ぎない。
 
それらのことを、いくぶん滑稽味を含めて、淡々と記す。

「風呂へはいるときにも、私はよくよく注意して、お湯が鎖骨の線よりも上へは来ないように気をつけている。もし酔っぱらって風呂へはいり、そのまま前後不覚に寝てしまって、お湯がぶくぶく穴から侵入でもしてこようものなら、私はそれっきりお陀仏であろう。」
 
面白い。声をうしない、喉ぼとけを失ってなお、自分というものを、滑稽味をもって見ている。
 
さらにその先がある。

「そのかわり、鼻の孔や口をふさがれても、私は平然たるものであろう。暴漢に襲われて首を締められても、さらに痛痒を感じないであろう。これらはメリットともいうべきものだ」。
 
なかなか面白いですね。

「逆に困ったこともないわけではない。なにより私にとって残念でたまらないのは、自殺の中でもっとも安易な手段というべき、あの首吊り自殺が私には永久に不可能になってしまったという一事である。」
 
これは本気かね。でも、いよいよもって面白い。

「たとえぶらりと縄にぶらさがっても、その縄が私の首をきりきりと締めつけても、私は一向に息苦しくはならないであろうし、一向に死にはしないであろう。なぜなら、首の下のほうに口をあけた穴によって、私はひそかに呼吸をつづけていられるからである。」
 
澁澤も書くように、これは喜劇以外の何ものでもない。
 
しかし、これを書いているのは、澁澤自身である。そう思うと、ある種ぞっとしたまま、感動に似たものが襲ってくる。

漱石の『猫』の、水島寒月君の馘くくりの力学、どころではない。
 
澁澤はなおも、鏡で自分を見ている。

「ダンディーは鏡とともに生きるとボードレールはいったものだが、いかに鏡をひねくりまわしたところで、のどに穴のあいたダンディーでは、どうもあまりぞっとしないであろう。まあ仕方がない。」
 
押さえの、「まあ仕方がない」が、絶妙である。

「穴のある肉体。男は女よりも肉体における穴の数が一つだけ少ないが、どうやら私は新たにうがった穴によって、女にひとしい穴の数を所有することができたともいえそうである。両性具有。」
 
ここからさらに、肉体をめぐる妄想にのめり込んでゆく。

「私ののどの穴は、もしかしたら女陰の代替物なのかもしれない。私の潜在的な両性具有願望の、はからずも実現されたすがたなのかもしれない。そういえば、私には男性の象徴たるノドボトケも、すでに失われているのである。」
 
この一篇は、最後の日々を迎えた自分を題材にして、ただもう見事と言うほかはない。これは澁澤龍彥の最後の傑作である。
 
ただ、これ以外の膨大なエッセーは、もはや現代に一書を編むには、あまりに物足りない、と私は思う。その理由は、『偏愛的作家論』のところに書いた。

(『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』
 澁澤龍彥、小学館、2016年12月11日初刷)

最後の時にも――『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』(1)

礒崎純一の『龍彦親王航海記ー澁澤龍彥伝ー』を読むと、こういう個所があった。

「不治の病いにおかされた体で執筆した『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』と『穴ノアル肉体ノコト』に二編は、たんにそれが傑作であるばかりでなく、澁澤龍彥という人間を考える際に重要な作品となっている。」
 
こういうことが最後の方に出てきて、強烈な印象を残す。これは読まねばなるまい。
 
これは澁澤が生前、約束をしていた最後のエッセー集だが、生きているときには間に合わなかった。
 
タイトルにあるごとく冒頭、「都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト」と、続けて「穴ノアル肉体ノコト」が掲載されている。
 
どちらも傑作である。

「都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト」については、もともと澁澤は闘病記の類が大嫌いだったが、ここは前提として、どんな病気で、どんな治療をしているかを、言わざるを得ない。そのうえで筆を進める。

「じつは私は入院中、これまで自分にはさっぱり縁のないものとばかり思っていた幻覚を、初めてまのあたりに見た体験を語りたかったのである。幻覚体験、これこそ入院中のもっとも印象的なエピソードだった。」
 
こうして様々な幻覚が描かれる。これは看護婦のくれた薬によって、出現するものだが、面白いのは、脳裡にも幻覚が棲みつくことだ。

「これまでの幻覚はすべて外部に投影されたイメージであったが、それとは別に、いわば内部に投影されたイメージともいうべき種類の幻覚もあった。つまり、目を閉じると瞼の裏にあらわれてくる幻覚である。どちらかといえば、私には、この瞼の裏に執拗にあらわれてくる幻覚のほうがいっそう不快であった。」
 
この段階で、澁澤は気管切開をして、声を失っている。しかし本を読むのに、声は必ずしも必要ではない。病室にいて、自分の書斎の、どこにどのような本がある、ということを、龍子夫人に筆談で示せればよいのだ。
 
だから澁澤は、周りで見ているほど、悲惨な境遇ではない。
 
しかし内部に投影された幻覚には、参ったようだ。
 
それは非常に語りにくいものだったが、澁澤はなんとか、精緻に筆にしている。
 
薬のききめが消えると、幻覚に悩まされることもなくなった。
 
そこで今度は、自分の号を考える。荷風に断腸亭、秋生に無腸のように、ぴったりくるものはないか。

「私もこれからさき、無声あるいは亡声と号すべきではないか。しかしどうも、この号は平凡であまりおもしろくない。魚には声がないから、魚声居士という号はどうか。いや、これもやはり気に入らない。とつおいつ考えた末に、ひらめくものがあって、私は呑珠庵〔どんじゅあん〕という号を思いついた。」
 
溢れかえる夢魔で苦しいところを通り抜け、最後にぴたりと着地を決める。最後の日々を迎えても、澁澤龍彥は澁澤龍彥である。

悲惨な人生相談――『人生の救いー車谷長吉の人生相談ー』(3)

強欲な兄嫁への憎しみを、癒やすためのアドバイスが欲しい、という主婦に対しては、こんなふうに答える。

「世の中には強欲だけの人もいます。もしそうだとしたら、救う途はありません。この『強欲だけ』というのが、ある意味もっとも『人間らしい』とも言えるので、人間としてこの世に生まれてきたことには、基本的に救いはないのです。」
 
これは、けっこう深いところを突いている。

人間は欲望を失っては、人間ではなくなる。つまり、人として生まれてきたかぎりは、救いはないということだ。
 
そう覚悟することが大事だ。その上で「哲学・文学・宗教に触れる以外ありません」と、長吉は言うけれど、そんなことで救いは訪れるのだろうか。私には疑問だ。
 
人間はどんなに向上しても、ぎりぎりここまでというふうに、あらかじめ可能性の条件は、決まっているのではなかろうか。
 
相変わらず憎しみ合い、略奪し、殺し合う民族を見ていると、これが人間の限界かな、と思えてくる。それは、背広を着ていても同じことだ。
 
万城目学が、この本の「解説」を書いていて、これがなかなか面白い。

「『人生相談』と銘打っていても、相談という双方向のコミュニケーションが取られた形跡はあまり感じられない。むしろ、他人の悩み事を回答者が片っ端から殺しているようにも見える。一刀両断とはちょっとちがう。やはり、殺していると呼ぶのが相応しいように思う。」
 
なるほど、殺しているか、うまいことを言うもんだな。
 
これは朝日新聞の「悩みのるつぼ」に載せられたのだが、万城目学はそのときから、愛読していたという(これは私もおなじ)。

「『いやあ、今日も車谷先生、豪快に殺してはるわ~』
 とそのあまりに独自性に富んだ回答に、土曜のさわやかな朝が、得も言われぬ澱みを纏ってスタートしたこともしばしばであった。」
 
ふふ、ほんとに。
 
例えば、自分は不運だと相談してくる人がいる。
 
それに対し、自分はもっと不運だと説く。生まれたときから、鼻で息ができなかった。高校入試で信じられないほど、ひどい結果を食らった。でも大丈夫、不運な人は、不運をそのままに生きていけばいい、その方が人生の陰翳があるという。

「こんなことをぶつけられたら、どんな悩み事だって即終了である。
 悩み事という精神の暗き淵から発せられた訴えに対し、さらなる奈落から回答する。まったく新しい悩み事相談のかたちを、車谷さんは作り出したのではなかろうか。」
 
本当にそうだ。「さらなる奈落から回答する」、というのを一度味わってしまうと、並みの人生相談は、全く面白くないのだ。
 
私は、万城目学の小説は、一つも読んだことがなかった。これを機に『鴨川ホルモー』を読んでみよう。

(『人生の救いー車谷長吉の人生相談ー』
 車谷長吉、朝日文庫、2012年12月30日初刷、2013年3月15日第2刷)

悲惨な人生相談――『人生の救いー車谷長吉の人生相談ー』(2)

教え子の女生徒が恋しいという、四十代の高校教諭に対しては、それならそこに飛び込んでみよ、と説く。
 
妻も子も捨てて、自分の生が破綻するところまで、自分を追い詰めよ、と。

「世の多くの人は、自分の生は、この世に誕生した時に始まった、と考えていますが、実はそうではありません。生が破綻した時に、はじめて人生が始まるのです。従って破綻なく一生を終える人は、せっかく人間に生まれてきながら、人生の本当の味わいを知らずに終わってしまいます。気の毒なことです。」
 
気の毒なことです、と言われてもなあ。

「あなたは高校の教師だそうですが、好きになった女生徒と出来てしまえば、それでよいのです。そうすると、はじめて人間の生とは何かということが見え、この世の本当の姿が見えるのです。」
 
そういう人もいるのかもしれない。
 
でも、違う人もいるだろう。

人間の、その段階における生や、この世の、その段階における本当の姿が、見える人もいれば、見えない人もいるだろう。人の中身はそれぞれだ、と私は思う。
 
しかしとにかく車谷は、フツーの人の良識を、軽く飛び越えてしまう。
 
人の不幸を望んでしまう、という主婦に対しては、「あなたには人生の不幸を乗り越える力がありません。愚痴死が待っているだけです。それは私には明瞭に見えています。つまり、あなたには一切の救いがないのです。」
 
こういうの、人生相談になるんだろうか。

「あなたには一切の救いがないのです」、それですっきりして、明るく前を向いて、歩いていくことができるようになりました、というふうになるのだろうか。
 
まあ、読んでいる読者は、笑うほかないが。
 
義父母の自慢話の繰り返しには、本当にウンザリする、という主婦に向かっては、こう答える。

「自慢話ばかりしている人は、それ以外には生き甲斐のない人です。精神性の低い、脳みその皮が薄い人です。これは生まれつきの性質なので、死んで、寡黙な人に生まれ変わる以外に、救う途はありません。そう生まれ変われるとは思いませんが。」
 
ここでは、まず義父母に引導を渡す。
 
そうして、「もしあなたが義父母の自慢話に耐えられないのなら、耐えられません、とはっきり言えばいいのです。」
 
こういうところが車谷長吉だねえ。義父母なんだから、柔らかくオブラートに包んで、というようなことは、全然ない。
 
最後の一文は、「人間世界には、楽な道はありません。」
 
これはむしろ、車谷が苦闘の道を選んでいってるんじゃないか、と思うんだけど。

悲惨な人生相談――『人生の救いー車谷長吉の人生相談ー』(1)

世の中は新型コロナウイルス、一色である。
 
しかしそれも、政治家はすべてアサッテの方向ばかり向いていて、どうしようもないので、テレビは極力見ない。
 
そもそも2ヵ月半ほど前、検査で陽性の人を、徹底的に炙り出しておけば、それですんだはず。

そうはいっても陽性の、ある数は出てくるので、医者は大変だろうけれど、しかし医者も政治家も、こぞってお手上げということはなかったはずだ。それは北海道を見ればわかる。
 
どうしてもオリンピックをやりたい、というのがあって、五輪が延期になる前は、ひたすら「大本営発表」で、陽性の数を過少に報告してきたわけだが、五輪が延期になった後も、そのままずっと過少に出るので、政府はやりようがない。
 
さすがに小池都知事は、エライことだというので、次々と自粛の手は打ったが、そもそも全貌が分からないので、どうしようもない。
 
とにかくコロナにかかっていそうな人は、全員検査するほかはないが、しかし、この2ヵ月半、野放しにしておいたんだから、それは悲惨なことになる。
 
それでも、いったん悲惨になる事態を通り抜けなければ、その先には行けない。じつに憂鬱なことだ。
 
こういうときは、『人生の救いー車谷長吉の人生相談ー』を読むに限る。

何が「読むに限る」のかは、よく分からないが、しかしとにかく、こんな悲惨な人生相談はない。
 
大学四年生が、金融危機でろくな就職口がない、大学を出るときに運不運があるのは、仕方のないことでしょうか、という質問が来る。
 
車谷は、まず自分の遺伝性蓄膿症を挙げておいて、運不運があるのは、人間世界が始まったときからだという。

「不運な人は、不運なりに生きていけばよいのです。私はそう覚悟して、不運を生きてきました。」
 
そういう人生には、真実があるという。「この世の苦しみを知ったところから真(まこと)の人生は始まるのです。」
 
なるほど、苦しみを知るところからしか、人生の手ごたえは生まれないんだな。
 
そして最後の一段。

「私は己れの幸運の上にふんぞり返って生きている人を、たくさん知っています。そういう人を羨ましいと思ったことは一度もありません。己れの不運を知ることは、ありがたいことです。」
 
端的に言って、逆転の発想である。大学を出るとき、金融恐慌にぶつかってしまった。その学生に対し、大丈夫、私はもっと不運を生きているという。
 
その不運を生きること以外に、人生を味わい尽くす方法はないのである。
 
いやもう、お見事というしかないですね。
 
相談した学生も、ただ苦笑するほかなかったんじゃないだろうか。

高度な文明批評――『中高年ひきこもり』(5)

結局のところ斎藤環は、どういうふうになれば、ひきこもりは解決がつく、と考えているのだろうか。
 
それについては、驚くべき意見を出す。

「むしろ孤立する自由、ひきこもる自由が確保されたとき、人は初めて孤立やひきこもりをやめる自分だけの動機を獲得します。治療や支援に関わる人は、この逆説を踏まえておく必要があると思います。」
 
これは、あっと驚く逆説である。

「『働かなくても大丈夫』と安心できて初めて、ひきこもり当事者は安定した就労動機を〝 発見〟するからです。」
 
これは鮮やかな、逆転の発想である。でもこれを、みんなが納得するのは、難しそうだな。
 
とくにひきこもりの人の家族が、心から納得するのは、きわめて難しいと思う。
 
しかしこれは、ひきこもりを解決しようとする、要ともいえるものだ。

「家族の基本的な心構えとしてもっとも重要なことは何か。それは、『本人が安心してひきこもれる関係づくりをすること』です。」
 
これは、人間の作り上げた文明に対する批評として、きわめて優れたものだ。
 
勉強して良い大学に入らなければだめだ、良い会社に入らなければだめだ、良い会社に入ったら、良い業績を上げなければだめだ――ひきこもりの人は、結果としてこの考え方を、全身で拒否しているのだ。
 
こういう人にとっては、まず何よりも、家にいて「安心」ということが大事になる。

「食べるに困らず、居場所(個室)をおびやかされず、むやみに責められたり批判されたりしない。そのように家族から受容され安心できる環境があって初めて、承認欲求、すなわち社会参加への意欲が生まれてきます。」
 
そういうことなのである。つまりこれが、「安心してひきこもれる関係」が必要になる、ということなのだ。
 
ここでもう一度、斎藤環が言っていた、ひきこもりの人は「たまたま困難な状況にあるまともな人」だということを、思い出す必要がある。ひきこもりの人は、安心してひきこもれるようにすることが、ひどく調子の悪い時期の、いちばんの休息なのだ。
 
ここにはまた、たとえば家庭内暴力をどういうふうに扱うか、といった問題もある。いずれ家庭内暴力の解決は、ひきこもりの解決よりも、はるかに容易なことであるという。これはぜひ、お読みいただきたい。
 
最後に斎藤環は、文明批評としての「ひきこもり論」を述べる。

「『ひきこもりのいない明るい社会』はあり得ません。あり得ない以上に、意味がありません。苦しければ休養し、他人に助けを求めることができる緩い社会を志向するなら、むしろ私たちは『ひきこもることがふつうである社会』を目指すべきです。」
 
私たちは例えば、生産性の有無で、人間の価値を判断するというようなことは、もうやめるべきではないのか、というのだ。

「再び根拠なく断言しますが、もしひきこもることが一〇〇%容認される社会が実現したら、長期間ひきこもってしまう人は激減するでしょう。予防という発想を捨てることが、最大の予防策になる。三〇年余りの実践を通じて、私はいま、そのように確信しています。」
 
僕はひきこもりについて、まったく誤解していた。いまは斎藤環の逆説に、深く納得している。

(『中高年ひきこもり』斎藤環、幻冬舎新書、2020年1月30日初刷)