末木先生以外にはない――『日本思想史』(2)

『日本思想史』だから、日本史に沿って叙述がなされる。その最初から、ちょっとびっくりするようなことが書かれている。

「しばしば日本の古来の宗教はアニミズムとされるが、そのような証拠はどこにもない。逆に、神が憑依するシャーマニズムの形態は、民間も含めて今日まで長く継承されている。」
 
最初の宗教がアニミズムというのは、子どものときからの刷り込みなのだろうか。あるいはヨーロッパの、アルタミラ洞窟あたりをイメージして、動物の絵があったな、という思い込みであろうか。
 
一方、大和朝廷の前、卑弥呼のときから、シャーマンはいた。
 
一木一草、日本人は古来より、自然界にカミを見たというのは、近世または近代において捏造されたものか。
 
よくわからないけれど、しかしこれは、その後の日本思想史よりも、大きな問題ではないか。
 
次の聖徳太子については、伝説はかなり剝がれてきている。厩戸皇子と称する人が、飛鳥地方にいた、ということを除いては、はっきりしたことは何もわかってない。

「十七条憲法に関しては、後世の加筆や創作の可能性もあって、確実に推古朝のものとは言えないが、第一条が『礼記(らいき)』による「和を以て貴と為す」で始まり、礼の秩序によって豪族の統合体を統御しようという方針が示される。それに加えて、第二条の「篤く三宝を敬え」で、「万国の極宗」である仏法への帰依を示して、文明国の構築を目指している。」
 
これだけ、中国にある典拠がはっきりしていると、聖徳太子の十七条憲法は、後世の捏造だと明らかになってしまう。
 
しかしながら、聖徳太子の十七条憲法に託して、「和を以て貴と為す」と言い、「篤く三宝を敬え」で仏教に帰依したのは、もう少し後の朝廷であることは確かだ。思想の歴史は、観念の歴史であり、それは一筋縄では収まらないところが、面白いのだ。
 
こういう本を読んでいると、法蔵館で『上山春平著作集』を編集していたころを思い出す。もう20年以上前のことだ。
 
上山先生は、碩学だった。本当に巨大な知識人だった。その人が言うのである。「日本の歴史は天皇制の歴史である」と。

これはたしか藤原不比等を扱った、『埋もれた巨像ー国家論の試みー』の一節ではなかったか。
 
僕はそういうふうに言い切ることについては、わずかに疑問があった。先生にそういうことを申し上げた。

ほんとの碩学に対しては、自分の疑問を躊躇なく言えた。相手があまりに巨大すぎて、僕などは、こんなことを聞いてもいいかな、と躊躇する間がなかったのだ。
 
先生は、「これは僕の意見やからねえ」と、真面目にお答えになった。その後、どんなやりとりがあったかは、もう忘れた。
 
大伝統と中伝統の分かれ目は、明治維新にある。それまでは武家と朝廷が、距離をおいて並列していた。

「皮肉なことに、明治維新は律令の大本に戻って太政官・神祇官の二官制度の復活を旗印にしたが、国郡制度を廃止し、官位を廃止することで、逆に律令制度にとどめを刺すことになった。それによって大伝統が終わり、中伝統の時代となるのである。」
 
そういうことか。大伝統から中伝統へは分かりやすい、ような気がする。
 
そこから小伝統までの、民主主義の世の中というのが、断裂があって分かりにくいのだ。
posted by 中嶋 廣 at 23:01Comment(0)日記