「獣姦」、または「動物性愛」――『聖なるズー』(1)

「動物との/性愛。/禁忌の先に、/何がある?」というのが、オビ表の文句。「獣姦」を正面から扱った本だ。
 
著者の濱野ちひろは、これで開高健ノンフィクション賞を受賞している。それももちろん、オビに大書してある。
 
でもなあ、開高健ノンフィクション賞は、謳い文句ほどは面白くないのだ。選挙の泡沫候補を描いた『黙殺』も、いまいちだったしなあ……などと逡巡していてもしょうがない。
 
濱野ちひろは19歳のときから、同棲する男に、性暴力を含む身体的、精神的暴力を振るわれていた。
 
その後、その男と28歳のときに結婚し、そして9か月後に離婚した。

男と結婚するのは、著者にとって賭けだった。そこでもし男が暴力を振るえば、離婚する理由ができ、別れられる。そして賭けに勝ったのだ。
 
ここまで、冒頭わずか5ページだけど、あまりにも男女の異様な核心に触れすぎていて、しかし一方わからないことも多すぎて、困ってしまう。ちょっとゲップが出る。

「そこまでに十年がかかった。離婚が成立してすぐに元気になれたわけではない。それからの十年は、これまでとはまた違う意味で苦しかった。なぜ逃げられなかったのかと自分を責め、なぜ暴力の対象となったのが自分だったのかと怒りを抱き続けていた。」
 
男と女の暴力のことは、よくわからない。僕だけではなくて、たいていの人にとっても、よくわからないんじゃないか。
 
おまけに著者が、「なぜ暴力の対象となったのが自分だったのかと怒りを抱き続けていた」というのだから、著者に分からないものが、他人に分かるはずがない。
 
著者は30歳を超えてから、ようやくこの問題と向き合い、本気で取り組むことにした。

そして試行錯誤したあげく、京都大学の大学院で、文化人類学におけるセクシュアリティの研究をしようと思う。
 
当初は、己れの浴びた性暴力の問題を扱うことも考えたが、それはまだ傷口が癒えていないような気がした。
 
そこで文化人類学という枠組みを考えたとき、指導教官と話す中で、「動物性愛」というテーマが、浮かび上がってきた。

「このテーマは私にとっての愛やセックスの問題と、必ずしもぴったりとは重なり合わない。だがこの問題の背景には、人間の性的欲望の不可解さが垣間見えるように感じられた。私の身に降りかかった現象とは異なってはいても、なにかしら重なる部分がありそうだという、直感としか言えない訴えかけがあった。」
 
ここは著者の言葉を、素直に聞いておくほかはない。いろいろな言葉や疑問が、渦を巻いて湧き起こってくるが、ともかく先へ進んでみるほかはない。
 
ただ、著者と話しているとき、最初に「獣姦」という言葉を発した指導教官の名は、著者は書いていないけれど、気にかかる。素晴らしい教官ではないか。
posted by 中嶋 廣 at 09:16Comment(0)日記