ただ文章のみ――『星の子』

これはつまらない。

『こちらあみ子』、『あひる』、『むらさきのスカートの女』と、濃淡はあれ、いずれも面白かったのに、今回はどうしようもなく駄目だ。
 
これは野間文芸新人賞をもらっているが、今村夏子は、野間賞などにたぶらかされてはいけない。
 
主人公の少女は、両親と姉の四人で住んでいるが、この両親が宗教にはまってしまう。どうやら蓮っ葉なインチキ新宗教らしい。
 
姉はそのインチキを見抜いているらしくて、こんな宗教は願い下げだとばかりに家を出てしまう。

「翌朝、わたしが起きたときは、すでにまーちゃんは家をでたあとだった。『バイバイ。もう帰りません』と簡単なメモ一枚ちゃぶ台の上に残して。
 まーちゃんが帰ってこないのは今にはじまったことじゃないのに、これまでとはなにかがちがうと感じたのだろうか。両親は警察に連絡し、思いつくかぎりの場所を自分たちの足でくまなく探し回った。わたしも駅の周辺や公園を探した。生ごみ置き場に自然と目がいき、ふたり乗りのバイクを見かければ、後ろに乗っているのはまーちゃんじゃないかと観察して見るくせがついた。父も母も毎晩やつれた姿で帰ってきた。落合さんはじめ、教会の人たちから多くの助言が寄せられた。そのたびに滝に打たれたり、断食したりと、まーちゃんが無事に帰ってくるために、ふたりともできることならなんでもしていた。」
 
文章は、少しまったりしていて、しかもよどみがない。内容はなかなかハードなのに、読んでいて、少しも嫌な感じがしない。こういう文体は、希少価値である。
 
でもね、文体はそこに描かれている内容と、不可分の関係にある。
 
ここでは新興宗教の裏を探り、両親も巻き添えにして、その裏の裏までを剔抉しなければ、究極のところ、その文体は生きてはこないのだ。本当に、宝の持ち腐れだよ。
 
今村の文体は、宗教に巻き込まれた、平凡な家族の側面を描いても、独特の味わいがある、とか何とか、もっともらしいことを言って、野間賞をもらったのだろうが、そんなことで満足していては、絶対にダメだ。

最後は、その宗教の一大イベントがあって、両親と一緒に星を見に行くが、それがクライマックスとは、まったく情けない。
 
終りの方は、こうなっている。

「星がひとつ流れるたびに、父と母はそういって、わたしの体に回した腕に力をこめた。
 〔中略〕
 私のいる場所はあたたかく、目を閉じればそのまま眠ってしまいそうだった。
 このまま眠ってしまえばいいだろうか。そうしたら、薬を飲まされ、ICチップを埋め込まれ、催眠術をかけられて、明日の朝にわたしは変わっているだろうか……」
 
終わりの終わりに、つまらぬ疑問形で、作品全体を投げ出してしまうんじゃないよ。
 
次も必ず読むから、次の作品では、こういうことはないようにと願う。

(『星の子』今村夏子、朝日新聞出版、2017年6月30日初刷、2018年2月10日第7刷)
posted by 中嶋 廣 at 16:39Comment(0)日記