忘れられた老人たち――『銀齢の果て』

筒井康隆『老人の美学』に、著者の書いた例として、『敵』、『わたしのグランパ』、『愛のひだりがわ』、『銀齢の果て』などが挙がっていた。
 
このうち、『銀齢の果て』は読んだことがなかったので、読むことにする。

「どうして、こんなストーリーを思いついたのだろう」と、著者本人が言うとおり、実に殺伐とした話だ。

「ご承知のように、二年前から全国で実施されております老人相互処刑制度、つまり俗にシルバー・バトルと言われておりますこの殺しあいは、今回は日本全国九十カ所の地区、都内では三カ所で一斉に開始され、そのひとつがこのベルテ若葉台なのであります。ひひひひひ。いや失礼」と、厚生労働省の役人が言う。

「老人は老人であることそのものが罪であるという思想」に基づき、肥大化した老人人口を調節し、破綻寸前の国民年金制度を維持するために、特定の町内会で、老人に殺し合いを命じ、最終的に町内で1人の老人のみが、生きることを許される。その殺し合いの過程を描いたものだ。
 
あまりに殺伐として、読んでいて嫌になる。

殺しの過程はあっさりしていて、血反吐は出るけれど、吐き気を催すことはない。ここら辺は例によって、筒井康隆の文体であるから、滑るように走ってゆく。軽快である。
 
でも、いつものように快感は伴わない。ただひたすら砂をかむようで、苦いものが残り続ける。
 
たぶんそれが、筒井康隆の狙いなのだろう。
 
そういうわけで、読み終わって、はっきりいやなものを読んだなあと、これはこれで筒井康隆の術中にはまるところだが、今回は時期が時期だけに考えてしまった。
 
今は新型コロナウイルスが原因で、全国の小・中・高校が、ほぼ休校になりそうである。そのまま春休みに雪崩れ込んでいきそうだ。
 
スポーツも、プロ野球をはじめほとんどが、観客なしでやっている。催しもディズニーランドやユニバーサルスタジオジャパンをはじめ、次々と中止になった。
 
北海道では今週土日、知事が外出を自粛してほしいと述べていた。ほかの所でも、用事がない場合には、外出を控えようという感じだ。
 
ところが老人向けのデイサービスは、僕の通っている2カ所では、これまで通り朝から夕方までの約8時間、ほとんど密室の中で、食事をしたり、レクリエーションをしたりといった具合だ。
 
この2カ所をAとBとすると、どちらもだいたい20人で、どちらも80歳以上が6割を占める。
 
そのうちAは、マスクをしているのが、僕と女の人が一人いるだけ。
 
Bは、4割はマスクをしてくるが、昼ご飯を食べると、そのままマスクを取ったままだ。
 
別にマスクは、大した予防にはならない、ということは分かっている。しかし感染した人が、マスクをするのには意味がある。
 
でもそういうことは、もう大抵の人にはわからない。20人のうち、半分近くの人は、認知症とまではいかなくても、ボケている。
 
そうであれば、同居人がなんとかしてやらなければ、いけないんじゃないか。
 
でもたぶん、子どものことが心配で、年寄りにまでは手が回らないのだろう。

とにかく一刻も早く、施設を閉じてやることだ。でもみんな、一箇所に集められた老人のことは、忘れている。
 
厚生労働省の役人は、あるいは、「肥大化した老人人口を調節し、破綻寸前の国民年金制度を維持するために」、これ幸いと知らん顔をしてるのかもしれない。とにかく80歳以上の老人は、いったん広まりだせば、たちまち命の危険が迫る。
 
明日、月曜日からはまた毎日、朝の10時から夕方の5時まで、動物実験よろしく、マスクもせずに、密室に年寄りを閉じ込めるだろう。
 
しかし忘れられた老人は、忘れられたままにはなっていない。

もちろん僕は、この騒動が終わるまで、デイサービスには行かない。新型コロナウイルスをうつされるのも嫌だけれど、僕が感染源になってうつしてまわるのは、もっと嫌だから。

(『銀齢の果て』筒井康隆、新潮社、2006年1月20日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 16:13Comment(0)日記