私もまた近似値、か?――『時間は存在しない』(3)

ところが唯一、熱に関しては、時間の矢、つまり時間の向きが登場するのだ。
 
どういうことかというと、「その核心は、熱は熱い物体から冷たい物体にしか移らず、決して逆は生じないという事実にある。」
 
これは「熱力学の第二法則」と呼ばれるものである。ちなみに「第一法則」は、あの有名な「エネルギー保存の法則」で、変化した前後でもエネルギーの総量は変わらない、というものだ。

つまり、時間の矢が現われる非可逆的な方程式は、これのみである、ということだ。
 
熱は熱いものから冷たいものへ移る、というのを、わざわざ法則として顕在化する、というのが、凡人には分からない閃きなのだろう。
 
だって冷たいお茶が、何もしないのに、熱いお茶に変わっていたら、どうしますか。台所に入るのは、ちょっとおっかなびっくりですな。
 
その後、エントロピーの話が出てくるが、ここまでくると、私にはうまく要約できない。

「熱という概念やエントロピーという概念や過去のエントロピーのほうが低いという見方は、自然を近似的、統計的に記述したときにはじめて生じるものなのだ。」
 
ここで言いたいのは、自然を近似的に見たときに、つまり正確に見ないで、ぼやけて見るときに、はじめて過去と未来が現われるということだ。

「事物のミクロな状況を観察すると、過去と未来の違いは消えてしまう。(中略)よく、原因は結果に先んじるといわれるが、事物の基本的な原理では『原因』と『結果』の区別はつかない。この世界には、物理法則なるものによって表される規則性があり、異なる時間の出来事を結んでいるが、それらは未来と過去で対称だ。つまり、ミクロな記述では、いかなる意味でも過去と未来は違わない。」
 
ミクロな世界とは、いかなるものなのか。著者は、「未来と過去で対称」なミクロの世界こそ、物理法則にのっとった真の世界だという。
 
でも、そうかなあ。

「重要なのは、熱、温度、お茶からスプーンへの熱の移動といった概念を使って記述すると、実際に起きていることを曖昧に見ることになるという点なのだ。そして、このような曖昧な見方をしたときにだけ、過去と未来が明確に異なるものとして立ち現れる。」

過去と未来が、違うものとして現われるのは、「曖昧な見方をしたときにだけ」、原因と結果が区別できるのは、そういう曖昧な見方をしたときだけである、と著者は言う。
 
そもそも、事物の基本的な原理に立ち返って考えたときには、というのは、つまりミクロの世界では、過去・未来など問題にならない。
 
ここでは、目に見える曖昧な世界と、事物の基本的な原理に立ち返った、ミクロの世界が対照されている。
 
そしてもちろん、目に見える曖昧な現実よりも、基本的な原理に立つミクロの世界が、より本質的で、重要である。
 
そういうことなんだ。これは養老孟司さんの言う、人によって、どちらに脳の重みを感じるか、ということだ。
 
私はもちろん、「目に見える曖昧な現実」の方が、「基本的な原理に立つミクロの世界」よりも、はるかに大事だと思う。それはたぶん、大半の読者も同じであろう。
 
ただ、「基本的な原理に立つミクロの世界」を重んじる物理学者は、ここからさらに、驚異的なところを突き抜けていく。

だからもう少し、お付き合い願いたい。
posted by 中嶋 廣 at 00:12Comment(0)日記