私もまた近似値、か?――『時間は存在しない』(1)

これは朝日新聞のウェブ論座の「神保町の匠」で、幻冬舎の小木田順子さんと、角川書店の堀由紀子さんが、それぞれ「今年の収穫3点」に挙げていた。

『時間は存在しない』というのは、なんとなく古臭いタイトルだと思い込んでいたが、信頼する目利き二人が推薦するのであれば、読まないわけにはいかない。
 
それに書評もいくつも見た。そのどれももう一つ、というか、バシッと分かるものはなかったのだか。
 
それでは早速読んでいこう。と、意気込むと、たちまち腰砕けになる。

「なぜ、過去を思い出すことはできても未来を思い出すことはできないのか。」
 
そんなムチャ、言わんといてなあ。

過去と未来は、そもそもそういうふうにできている。過去を思い出せて、未来も思い出せれば、過去と未来は、ごっちゃになるではないか。

「時の流れに耳を澄ますとき、わたしはいったい何を聞いているのか。」
 
そりゃ、決まってまんがな、「時の流れ」でっしゃろ、と関西弁で茶々を入れたくなるほど、荒唐無稽な高みに立った、深い詠嘆を含む疑問文である。
 
しかし3ページ目まで読んだとき、こちらの頭を思いっきり殴られる。

「ふつうわたしたちは、時間は単純で基本的なものであり、ほかのあらゆることに無関係に過去から未来へと一様に流れ、置き時計や腕時計で計れると思っている。この宇宙の出来事は、時間の流れのなかで整然と起きる――過去の出来事、現在の出来事、未来の出来事。そして、過去は定まっていても、未来は定まっていない……ところが、これらはすべて誤りであることがわかった。」
 
これら全部が誤りだとすると、いったいどうすればよいのか。どこから、最初に考えればよいのか。何を考えればよいのか。

「時間に特有とされている性質が一つまた一つと、じつは近似だったり、わたしたちの見方がもたらした間違いであることが明らかになったのだ――ちょうど、地球は平らだとか、太陽が地球のまわりを回っているといった見方が間違いであったように。」
 
ああそうか、そういうことか。地球の自転も公転も、地球の表面にいる我々には、まったくわからないことだ。でも、現代の人間は、地球の自転も公転も、それはそういうものだとして、そのまま受け入れている。
 
ところで「過去は定まっていても、未来は定まっていない」とは、どういうふうに、逆転させればいいのか。見当もつかないではないか。

「わたしたちが『時間』と呼んでいるものは、さまざまな層や構造の複雑な集合体なのだ。そのうえさらに深く調べていくと、それらの層も一枚また一枚と剝がれ落ち、かけらも次々に消えていった。」
 
そういうことであるらしい。時間という概念は崩壊する。でもそこは、どんな世界なのか。著者のカルロ・ロヴェッリに聞いてみよう。

「わたしが取り組んでいる量子重力理論と呼ばれる物理学は、この極端で美しい風景、時間のない世界を理解し、筋の通った意味を与えようとする試みなのだ。」
 
いやあ、本当にゾクゾクするぜ、と言っておくしかないな。
posted by 中嶋 廣 at 09:11Comment(0)日記