書物快楽主義者の幸福な伝記――『龍彦親王航海記ー澁澤龍彦伝ー』(7)

編集者による伝記は、澁澤龍彦への批判に対しても、目配りが効いている。

本当は、そんなことはどうでもいいことなのだが、せっかく取り上げてあるから、一、二、話題にしておく。
 
澁澤文学が、いわゆる人間の内面を欠落させたものである、という批判である。

人間の内面を追求することをやめると、代わりに、「ディレッタントの文学」、「たんなるメルヘン」、「現実遊離の文学」、「遊びの文学」、といったレッテルが用意される。

「そもそも、澁澤自身が、『人間の魂の領域を扱う作家は、私にはどうも苦手なのである』などと堂々と書きしるしているが(「ヴァルナーの鎖」)、……この『澁澤の内面のなさ』も、それ自体を単純に批判として否定的にとらえるか、あるいは反対に賛辞として肯定的にとらえるかで、一八〇度くらい違った評価がとうぜん出てきてしまう。」
 
人間の心の葛藤や深淵を見つめるのは、もちろん文学の本筋である。

しかし、本筋以外に道はないとなると、それは違うだろう。それ以外の方法やテーマも、もちろん認めるべきなのだ。それを認めなければ、文学は痩せ細ってしまう。

もし澁澤なかりせば、と考えるならば、現代文学は、どんなにつまらなくなっていたか、考えるまでもないであろう。
 
ただ一つ、浅田彰の発言だけは耳目を引く。
 
浅田は、澁澤の三島追悼エッセー、「絶対を垣間見んとして……」を題材に、次のように話している。

「信じがたく単純なこのエッセイを読んで感じるのは、澁澤龍彦というのがたかだか高度成長期までの文学者だったということだ。近代社会のタテマエがそれなりにしっかりしていたから、それにちょっと背を向けて見せれば『異端の文学者』を気取ることができた。それに、ヨーロッパがまだまだ遠く、洋書を手に入れるのも難しかったから、あの程度でも素人は眩惑できたという事情もある。」
 
なるほど、そうか。でも、プロである浅田彰はともかく、「素人」である私は、澁澤の文章を読んで、充分に眩惑されたのである。
 
1987年8月5日、都内の病院で頸動脈流が破裂し、澁澤は死んだ。享年59歳。

澁澤は十年以上も前に、同人誌のアンケートで、「あと一日で死ぬとしたら」という問いに、「いつものように本を読みます」と書いたが、まさにその通りだった。
 
著者は最後に述べている。

「不治の病いにおかされた体で執筆した『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』と『穴ノアル肉体ノコト』に二編は、たんにそれが傑作であるばかりでなく、澁澤龍彦という人間を考える際に重要な作品となっている。」
 
そういうわけで、この2作品は必ず読むことにする。

(『龍彦親王航海記ー澁澤龍彦伝ー』
 礒崎純一、白水社、2019年11月15日初刷、12月5日第2刷)
posted by 中嶋 廣 at 09:13Comment(0)日記