書物快楽主義者の幸福な伝記――『龍彦親王航海記ー澁澤龍彦伝ー』(5)

さらに断片的なことを書きつけておく。

1972年7月に『偏愛的作家論』が出る。装幀は高麗隆彦。
 
高麗さんは、私が法蔵館にいるころからお世話になり、島田裕巳『戒名』や、養老孟司『カミとヒトの解剖学』、『日本人の身体観の歴史』などの装幀をお願いした。
 
トランスビューに移ってからは、森岡正博『無痛文明論』、山中和子『昭和二十一年八月の絵日記』、島田裕巳『オウムーなぜ宗教はテロリズムを生んだのかー』、ノーム・チョムスキー『チョムスキー、世界を語る』など、柱になるものの装幀をお願いした。
 
トランスビューを立ち上げるとき、アルファベットのロゴマークを作っていただいた。いくらくらいお支払いすればいいか、と申し上げたところ、こういうのはただなんだ、と。
 
このことはすでに何回か、書いたことがある。しかし何回でも、書かずにはおられない。
 
トランスビューのロゴマークを見たとき、瞬間的に、この会社はうまくいくと思ったのだ。しかしこれは、いよいよ澁澤と関係がなくなる。
 
1974年10月に、『ユリイカ』連載の「ミクロコスモス譜」を改題した、『胡桃の中の世界』が刊行された。
 
著者自装のこの本は、外側はよく覚えている。でも本として覚えているだけで、中身は全部、忘れた。ただこの本は、重厚だけれども、明るかったことだけは覚えている。
 
澁澤もこの本は、「七〇年代以後の私の仕事の、新しい出発点になった」と回想している。

「エッセーを書く楽しみをみずから味わいつつ、自分の好みの領域を気ままに飛びまわって、好みの書物から好みのテーマのみを拾いあつめる」という澁澤本来の、書き手にマッチした方法であった。
 
澁澤にとっても会心の出来栄えだったが、書評も続々と出た。丸谷才一、高橋英夫、出口裕弘、中田耕治、田中美代子、日影丈吉……、中でも英文学者の富士川義之の、長文書評が新鮮だった。

「それまで異端、暗黒、オカルト等々のおどろおどろしい概念だけで安直にくくられることの多かった澁澤の文学が本来持つ、『全体として明徴で端正な古典主義的な特性』を明確に指摘した最初の澁澤論と言えるだろう。」
 
たしかにそうかもしれないけれど、しかしこの本によって、澁澤が新しい、明るい境地に出たことは、特筆大書されていい。
 
のちに澁澤は、別の時に、「わが著書を語る」という副題のついた文章で、次のように語っている。

「私は学者でもないので、自分の仕事を堅苦しい文学研究の一種だとは思われたくない。そういう誤解はぜひとも訂正しておきたいと思う。つまり、私はエッセイストとして、読者に楽しい読書体験を味わってもらえればそれで十分なのである。」
 
ここに澁澤の全貌が出ている。
 
読者の中には、澁澤にないものねだりをする人もいる。後で見る浅田彰のような。しかし澁澤はここで、そういう人を問題にしないと言っているのだ。
posted by 中嶋 廣 at 18:19Comment(0)日記