書物快楽主義者の幸福な伝記――『龍彦親王航海記ー澁澤龍彦伝ー』(3)

私は大学に入った1972年に、『黒魔術の手帖』を読んだ。しかし出版されたのは1961年なので、あるいは古本で読んだのかもしれない。
 
これは強烈な体験であった。これまで読んできた本とは、決定的に違う本だった。

関西の地方都市から上京して、一年目に読んだ本である。

「A5判、貼函入り。函も黒、表紙の布クロスも黒、天地小口三方も黒塗という、素晴らしく凝った造本で、序文だけがグリーンのインクで刷られ、巻頭には白く浮かぶ澁澤の顔と書物の上に置かれたパルミジャニーノを思わせる巨大な手を合成した、魔術的な『著者照影』が掲げられている。この印象的なコラージュは、前年に知りあった野中ユリの手になるものだ。」
 
1960年代初頭といえば、オカルトは全く未知の分野で、そこに初めて切り込んだのだ。
 
私が70年代初めに読んだときでも、なおその印象は強烈だった。そこには、野中ユリの造本感覚が生きていたのだ。
 
また澁澤龍彦の家といえば、北鎌倉の瀟洒な洋館が有名である。壁の全面を書物が覆い、四谷シモンの人形が置かれた書斎は、雑誌の澁澤の特集号で、一度は見たことがあるはずだ。
 
しかし同じ鎌倉でも、その前の小町の、「質素でおんぼろな日本家屋」の方に、澁澤の本当の姿を見る人もある。

「〔この借家は〕『衣食住すべて質素な中で、観念世界だけが突出して』いたと出口裕弘は語っている。」
 
ここはもう少し細かく見ておこう。

「その晩年、澁澤の蔵書は一万五千冊を超えていたが、松山俊太郎によれば、小町での初めの頃の澁澤の蔵書は、せいぜい千冊くらいのものだったらしい。松山は書いている。『澁澤さんには、小町での、過激・困窮・清貧・閑雅と変遷する二十年があったからこそ、北鎌倉での、華麗な飛躍が可能となったのである』」。

「過激・困窮・清貧・閑雅と変遷する二十年があったからこそ」、というところが、何とも言えずいい。
 
澁澤も最初から、パイプは銜えていたにせよ、突出した才人ではなかったのだ。そのことを知るだけでも、何かほっとする。
 
この後に、小町の家を情感たっぷりに回想した、巖谷國士の文章があるが、それはもう引かない。

真正面からの、愚直な伝記を読む面白さは、このあたりにある。
posted by 中嶋 廣 at 00:09Comment(0)日記