書物快楽主義者の幸福な伝記――『龍彦親王航海記ー澁澤龍彦伝ー』(2)

澁澤龍彦と小笠原豊樹の、濃密な関わりと、離れて行くところも、奇妙でおかしい。そんなことがあったのかと、ちょっと驚く。
 
翻訳家・小笠原豊樹は、詩人・岩田宏でもある。
 
翻訳家としては、ロシア語のマヤコフスキー、ソルジェニーチィンが有名だが、個人的には、ハードボイルド作家のロス・マクドナルド、「リュー・アーチャー」ものが懐かしい。『ウィチャリー家の女』や『さむけ』など、思い出してもゾクゾクする。
 
岩田宏としては、詩集の『いやな唄』や『グァンタナモ』、小説の『踊ろうぜ』、『なりななむ』などが、強く印象に残っている。

「当時の小笠原は、澁澤の家から歩いて十分ほどのところに住んでおり、車中でブルトンの原書を読んでいる澁澤に小笠原が声をかけたのが、二人の出会いの最初だったという。」
 
澁澤が20歳代前半のころだという。
 
1956年に刊行された、岩田宏の処女詩集『独裁』の出版記念会には、当然澁澤も出席している。
 
2人は20歳代前半、輝かしい出会いになるはずであった。
 
しかしそれ以降、2人の間は急速に離れていく。何があったのかは、分からない。
 
著者は、「くらしの詩人」岩田宏と、澁澤は、意外な取り合わせであるというが、どちらも語学の達人で、小説も書く。長吉ふうに言えば、貫目は、どちらがどうともいえない、将来の横綱大関クラスである。
 
岩田宏もまた、澁澤に負けないスタイリッシュな詩人である。しかし、そのスタイルは微妙に違う。その違いが、じつは決定的な違いなのだろう。

「澁澤は一九六六年(昭和四十一)に『岩田宏詩集』が刊行された際に書評を書いていて、彼我の違いを微妙に述べたこの書評は生前の澁澤の単行本には収録をみなかった。」
 
大塚譲次という人が、次のように語っている。

「小笠原君と澁澤君は、両方とも才人だし、博学だったけれども、資質が違うんだな。お互いに批判もあったらしいけれど。」
 
これでは何もわからないけれど、しかし興味は尽きない。
posted by 中嶋 廣 at 10:38Comment(0)日記