篤実な評伝だが――『江藤淳は甦える』(6)

江藤淳が博士号を取得した『漱石とアーサー王傳説』については、夥しい誤記や、引用文を意図的に改竄したことも述べられており、著者はここでも、容赦がない。
 
なぜ江藤は、博士論文の執筆、提出、出版を、急ぐ必要があったのか。

「江藤にとって、博士号は東工大での発言力を強めるための、いわばパスポートだったのではないか。二十年間の東工大時代に、江藤は文系教授がつけるポストとしては一番上の評議員となって、大学行政に励んだ。」
 
うーん、江藤淳というのは、実に詰まらぬ男ではないか。
 
もちろん人間は多面的であり、相矛盾する性質も、当然持っている。だから、詰まらぬところもあれば、そうではないところもある。

しかし、それにしては、江藤淳の性格、人格は、特に激しく矛盾することもなく、外見を気にするだけの、ガッカリするほど卑小な人間ではないか。
 
江藤は自民党政治の中枢にも、深く食い込んでいた。

「江藤は福田内閣時代、政府の仕事をずいぶん手伝っている。自筆年譜の昭和五十二年の項には、七月に東南アジア五ヶ国に出張し、『各国との文化交流促進の可能性を探るのを使命とす』とある。翌五十三年の項には、『日中平和友好条約批准書交換に先立ち、安倍晋太郎内閣官房長官の要請にて北京に出張、鄧小平副総理その他の要人と会談』とある。福田事務所には、この時の『報告書』のコピーが残っていた。」
 
その報告書では、鄧小平と江藤淳が、一対一のサシで話しており、これはこれで政治的に興味深い。ここでは江藤は、一国を背負うかのごときである。
 
江藤は『海は甦える』の、伊藤博文と李鴻章の、下関講和条約のやりとりを描いていたに違いない、と著者は言う。
 
それはいいが、そこに記された、著者の記述はどうなんだろう。

「『報告書』は『江藤淳全集』刊行の折りには是非とも別巻に収録されるべき『作品』である。」
 
私はむしろ、こういうことをしているから、『江藤淳全集』は、すでに古臭くなり、年を追うごとに、その可能性はなくなりつつあると思うのだ。

「この時の江藤と鄧小平が並んで歩く写真も残っている。……この時に限らず、一九七〇年代の江藤の写真を見ると、その前、その後とは違って、悪相に写っている。文士の顔というより、『政治的人間』の顔なのか。それとも中年太りで、顔面にお肉がつき過ぎたためだけなのか。」
 
著者も、非常によくわかっているではないか。

文士の顔、というよりも、著述をする顔がどういう顔なのか、私などよりもはるかに、よくお分かりのはずではないか。
posted by 中嶋 廣 at 10:42Comment(0)日記