書物快楽主義者の幸福な伝記――『龍彦親王航海記ー澁澤龍彦伝ー』(1)

著者の磯崎純一は編集者。最晩年の澁澤龍彦に会い、澁澤が亡くなった後、『書物の宇宙誌 澁澤龍彦蔵書目録』(国書刊行会)を編纂している。

「あとがき」にいわく、この伝記は、「澁澤龍彦の生涯と作品について書かれ、語られた膨大な文章(もちろんそこには澁澤本人のものがもっとも多い)に、あたうかぎり目を通し、それらを選択して、編集配列することにより成った『伝記』である。」
 
だから非常に明晰で、分かりやすい。

「〔著者の〕役目は〈福音史家〉なのだから、福音史家がみずから朗々と歌う愚は厳につつしんだつもりであるし、いわんや、ロマネスクな想像力などといったものは、本書の叙述にはいっさいもちいられていない。」
 
そういうわけで、この伝記は、周囲の人の織りなす言葉を一次資料とし、それを著者が、切り張りしたものだと言える。もちろん、著者が直接、澁澤に会ったときの話も混じっている。
 
でもとりあえず、著者が朗々と歌わず、一切のロマネスクな情熱を禁じているのであれば、あとはひたすら、外側からの証言をもって、外壁を固めることになるわけだ。

しかしそうすると、澁澤龍彦の文学とは何であったか、という内側からの理解が、じつはよく分からなくなる。
 
私は1972年に大学に入り、その年と次の年に、澁澤龍彦をかなり読んだ。2年後に、仏文に行こうと思っていたのだ。

しかしその内容は、ほとんど忘れてしまった。

もちろん本そのものは覚えている。特に桃源社の本などは、装幀がありありと浮んでくる。しかし内容は、きれいさっぱり忘れてしまった。
 
だから、澁澤文学の内容に、相渡ることのないこの伝記は、初めはちょっと退屈だった。
 
しかし全部を読み通してみると、自分でも意外なことに、ずしんと深奥に来るものがある。深く感動しているのだ。
 
著者が、ロマネスクな想像力を駆使しないことが、意外やこういう効果をもたらしたのである。
 
正面切っての伝記なので、読んでいただくしかないのだが、それでもところどころ、強く印象に残るところがある。
 
澁澤は東大仏文に入る前に、鎌倉に住んでいた今日出海から、フランス語の翻訳の下請け仕事をもらっている。澁澤の母の節子が、今夫人と友人だったらしい。
 
それはジョルジュ・シムノンの推理小説、『霧の港』だった。

「翻訳が完成して得意顔で原稿を持って行くと、今日出海はパラパラ原稿用紙をめくってから、『なんだい、こりゃ。わけが分からん。きみ、シュールレアリスムのつもりで訳しちゃ困るよ。一般読者に分からなければだめだよ』と苦笑を浮かべて言った。
『のちに翻訳をたくさんやるようになった私だが、このときの今さんのことばはいつも自戒のことばとして私の耳にひびいている』と、澁澤は述べている。」
 
翻訳名人の澁澤にして、先人の直接の教えのあったことが、ほほえましい。
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腹にガツンと一撃――『最後の秘境 東京藝大ー天才たちのカオスな日常ー』(5)

第10章には「先端芸術表現科」の、村上愛佳(まなか)さんと植村真さん(大学院)が登場する。

「先端芸術表現科」は、美術の油画から分離した科である。油画に進みながら、油絵ではないものをやりたい人たちを、まとめた科なのである。
 
だから、いろいろなメディアを扱って、作品を制作していくという。

「何でも一通りやります。例えば工作。電子工作もやるし、砂糖でウサギの人形作ったりとかもします。それからデザインもするし、あとは写真、映像、コンピュータ、身体表現……音も扱いますね。気になる音を録音してこい、みたいな課題で。プロジェクションマッピングもやります」。
 
これはそもそも、油画とは何の関係もないじゃないか、とついつい思ってしまう。

それで「先端芸術表現科」と名乗るのは、苦しいとみるか、とつぜん開けた新しい沃野とみるか、難しいところだ。

「先端芸術」の教授陣も、肩書を並べただけでも、「美術評論家、美術史家、現代美術家、演劇評論家、写真家、作曲家、彫刻家、メディアアーティスト、キュレーター……。加えて、今活躍しているアーティストを外部から呼んで講義をしてもらうこともある。美術家に限らず、お笑い芸人やミュージシャンが候補に挙がったりもするそうだ。」
 
著者は、教授陣の肩書だけでも凄いというけれど、見方によっては、ごった煮の闇鍋状態ともいえる。
 
ここは突き詰めていけば、なにがアートかということも含めて、けっこう大変なことになる。

「毎年病んでしまう人が最低一人はいますね。何をすればいいのかわからなくなったりして……休学して、来なくなっちゃったり。なんか外国へ旅に出ちゃったり。」
 
徹底的に、ひたすら徹底的に自由にやっていいといえば、そうなるんだろうなあ。
 
その意味では逆説的に、「先端芸術表現科」は、十分に内実のある科ともいえよう。
 
植村さんが、穏やかな顔をして言う。

「ちゃんと役に立つものを作るのは、アートとは違ってきちゃいます。この世にまだないもの、それはだいたい無駄なものなんですけど、それを作るのがアートなんで」。
 
それで、国立の東京藝大が今日在る意味が、おぼろげにわかった気がする。
 
およそ偏差値で受験生を輪切りにするのが、現代社会に沿うものだとすると、東京藝大だけは、そこからはみ出ている。教師と生徒が一体となって、何かを生み出していければいい、という夢物語をどこかで信じている。僕にはそういうふうに読めた。

(『最後の秘境 東京藝大ー天才たちのカオスな日常ー』
 二宮敦人、新潮社、2016年9月15日初刷、11月15日第8刷)
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腹にガツンと一撃――『最後の秘境 東京藝大ー天才たちのカオスな日常ー』(4)

彫金に出てくる「鏨」は「たがね」、そう言われれば納得したような気にはなるが、でも現物に当たって見なければ、よく分からない。
 
第8章では、器楽科の四人がインタビューを受ける。そのなかで「器楽科打楽器専攻」の、沓名(くつな)大地さんが可笑しい。
 
打楽器は、アイデア次第で何でもありだという。

「ティンパニという太鼓を、バチではなくマラカスで叩くとか、ティンパニの上にタンバリンを載せて演奏するとか。『ここで打楽器奏者が踊る』って、大真面目に書かれてる楽譜もあります」。
 
これは大変だ。著者は、「なんて自由なんだ」と感動しているけれど、最後の「打楽器奏者が踊る」は、その音色とは関係ないんじゃないか。

「曲の最後に、打楽器奏者がティンパニの鼓面を叩き割って、上半身を突っ込むっていう楽譜もありますからね。」
 
うーむ、そもそもそれは楽譜だろうか。

「自由でいいんですけど……変なことは打楽器奏者にやらせとけばいい、みたいなイメージがついちゃうのも、ちょっと困りますねえ」。
 
これはもう、言葉がありません。もちろん沓名さんが、ヘンだということはない。

「先生の演奏を聴いていると、本当に、涙が出てくるほど感動するんですよ。打楽器だけの演奏で、ですよ? どこまで音を突き詰めるか、どこで妥協してしまうのか……自分との戦いで、人生に通じるところがあります」。
 
ふーん、そういうものなんだねえ。
 
第9章は、立花清美(絵画科油画専攻)と井口理(さとる)(声楽科)。ここは、立花清美がブッ飛んでいて、おかしい。
 
藝大の構内を歩いていると、仮面ヒーロー、「ブラジャー・ウーマン」に出くわす。これが美貌の立花清美さんだ。

「ブラジャーを仮面のように顔につけ、唇と爪は赤く彩られ、上半身はトップレス。乳首の部分だけ赤いハートマークで隠し、その上にピンクのパンツをはいている」。
 
これが藝大の外であれば、職務質問まちがいなしだ。
 
正義のヒーロー、ブラジャー・ウーマンは、悪の組織、ランジェリー軍団と日々戦っている。特にその大将である、Tバック・ウーマンと死闘を繰り広げている。
 
もちろんこれは、自分と戦い、自分の芸術を、とことんまで問い詰めた結果なのだ。そこはちょっと、僕にはうまく要約できないが。
 
ブラジャー・ウーマンこと立花清美さんは言う。

「みんな好き勝手してるんですけど、ちゃんとルールは守ってるんです」。
 
それでブラジャー・ウーマンかい!
 
だいたい油画は、藝大でいちばん自由なのだ。

「絵画科油画専攻の大きな特徴の一つとして、油絵を描かなくてもいいという点がある。嘘みたいだが本当だ。油画専攻の展示などを見に行くと、油絵以外の展示物があまりに多くて驚いてしまう。」
 
これは教える方の問題だろう。著者には、教師の側のインタビューもしてほしい。
posted by 中嶋 廣 at 09:38Comment(0)日記

腹にガツンと一撃――『最後の秘境 東京藝大ー天才たちのカオスな日常ー』(3)

ほかのお二人は、工芸科漆芸専攻。漆芸は「うるしげい」ではなく、「しつげい」と読む。知ってました? 僕は知らなかったよ。
 
その漆芸専攻の大変なところ、すごいところは、本文を読んでいただくことにして、面白いところを見ていこう。
 
語るのは大崎風実さん。

漆と言えば、そう、かぶれる。漆芸専攻では、「かぶれは友達」だという。

「工芸科って年に一回バレーボール大会をやるんですよ。そこでも、漆芸専攻がトスしたボールで、他の専攻の人がかぶれちゃったりしますから。教室でも、あんまり近くに座んないでって言われたりとか。迫害されてます」。
 
しかし、どれほど嫌われようとも、大崎さんは、漆芸の無限の可能性に魅せられているのだ。

「なんと一度固まった漆は、酸でもアルカリでも温度変化でも、ほとんど劣化しないという。そのため、縄文時代の漆製品がほぼそのままの姿で出土したりするそうだ。使っていた人がとっくの昔に死んでいても、何千年も残り続ける漆製品……ロマンである。
『やっぱり、宇宙の果てから生まれてきた物体ですよね』
 大崎さんは、しみじみと言うのだった。」
 
漆が、宇宙の果てからやってきて、一人の少女を魅了する。そういうことの方が、僕には奇跡のように思える。
 
第7章では、工芸科の3人、山田高央(たかお)(鍛金専攻)、岩上満里奈(彫金専攻)、城山みなみ(鋳金専攻)が登場する。

それぞれ専攻の違いを答えよ、と言われたら、答えられるだろうか。
 
その前に、藝大の工芸科は、基礎課程と選考過程に分かれ、2年の夏までは基礎課程で、全専攻にかかわる授業が行われる。

そこから先は、1つを選んで専攻する。専攻の数は6つ、陶芸、染織、漆芸、鍛金、彫金、鋳金である。
 
このうち、後半の「金三兄弟」、すなわち鍛金(たんきん)、彫金(ちょうきん)、鋳金(ちゅうきん)が、よく分からない。
 
最初に言っておくと、これらはすべて、金属加工の技術である。そして、日本の金属加工技術は、基本的にこの3つに分類される。

「鍛金は簡単に言うなら、鍛冶屋だそうだ。金槌を持ち、金床があり、金属を叩いたり、切断したり、あるいは熱してくっつけたりして、望んだ形に変える。」
 
ということなのだが、他の2つとの違いはどうか。

「彫金は、主に装飾品や飾り金具を作る技術だそうだ。金属をねじって曲げ、磨いてピアスにしたり、鏨という鋼鉄でできた鉛筆型の器具で金属板に複雑な模様を彫り上げたりする。」
 
もひとつよくわからんが、「村の鍛冶屋」の鍛金にくらべると、彫金の方が、ずっと細かくて、場合によっては、プラチナなど貴金属を使うので、高級な感じがする。
 
途中、「鏨」という言葉が出てくるが、読み方も意味も全然分からない。あとで、漢和辞典で見てみよう。
 
最後の鋳金は、1人ではできない作業だという。チームワークが必要になるのだ。

「鋳金は、型を使って金属を加工する技術である。例えば壺なら壺の鋳型を作り、そこに溶かした金属を注ぎ込む。冷えてから型を取り除くと、金属の壺のできあがりというわけだ。」
 
もちろん大きな壺の中で、1000度とかで溶かしてゆくのは、ちょっと想像を超える。
 
だいたいこれで、「金三兄弟」の違いが、おぼろげに分かった。というか、分かったことにしておこう。
 
それで、ここに出てくる3人の学生が、燃えるような情熱をもって、金属の制作に励んでいるかというと、そんなこともない。
 
ただ自然に惹きつけられて、気がつくと、金属制作をしているのだという。

「鍛金の自由の女神像、彫金の日本刀の龍、鋳金の大仏……」
 
モノ作りは、人生そのものだから、そういうものを夢見て、今日も制作に励んでいるのだ。
 
すごく感動したけど、でもやっぱり、よくわからんぞ。
posted by 中嶋 廣 at 15:39Comment(0)日記

腹にガツンと一撃――『最後の秘境 東京藝大ー天才たちのカオスな日常ー』(2)

第3章から後は、ノンフィクションにふさわしく、実名、仮名を交えながら、藝大生がインタビューに答えている。
 
これらの藝大生のうち、何人かの専攻がよくわからない。音楽や美術のジャンルの名称で、こんなに戸惑ったことはない。
 
たとえば、「本庄彩(仮名/楽理科)」の「楽理」って何。
 
器楽科や声楽科が、「音」を使って音楽をするのに対し、楽理科が使うのは、「言葉」だという。

「コンサートのパンフレットに、解説文があるでしょ? ああいうのを書くのが、私たちなの」
 
なんとなくわかったような、わからないような……。それを書くために、藝大に行くのか。

「音楽は幅が広い世界で、謎がいっぱい。
 どうして、この和音の組み合わせは心地よく聞こえるのか?
 どうして、こんな楽器があって、こんな歌が作られたのか?
 どうして、ゴリラは人間そっくりの鼻歌を歌うのか?
 そんな不思議すべてが、楽理科の守備範囲なのだった。」
 
あまりに広すぎて、よくわからない。
 
参考までに、本庄彩(仮名)さんが書いたレポートを、見せてもらう。

「後日、送られてきた資料は二つ。『幻想交響曲におけるベートーヴェンの影響』と『諏訪大社御柱祭で歌われる「木遣り唄」に関する研究計画書』だ。
 ベートーヴェンから諏訪大社まで。音楽に関することなら、何でもあり!」
 
これでは何もわからない。
 
第4章は「青柳呂武(ろむ)(音楽環境創造科)」と「佐野圭亮と大崎風実(ふみ)(ともに工芸科漆芸専攻)」の、三人のインタビューである。
 
音楽環境創造科はすでに、「ホルンで四コマ漫画」の入試問題で出てきた。
 
青柳さんは、口笛を、クラシック音楽に取り入れることを目指して、頑張っている。

彼は2014年の、「国際口笛大会」成人男性部門の、グランドチャンピオンである。ふーん、そんなコンテストがあるとは、全然知らなかったよ。

「ええと、高校一年生くらいから世界大会を目指して本格的に練習を始めました。高校三年生になって進路に悩んでいたら、親が『口笛をもっと極めてみたら』と藝大を勧めてくれたんです。音楽環境創造科という学科なら、そういうことができそうだよと。」
 
ふつう親は、そんなこと言わないでしょう。これは親の方にインタビューしてみたい。どうして音楽環境創造科が、口笛と相性がいいのか、まったく謎である。
 
ちなみに青柳さんは、口笛で藝大に入った、最初で最後の人になるだろう、と言われている。
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腹にガツンと一撃――『最後の秘境 東京藝大ー天才たちのカオスな日常ー』(1)

「こりゃ、面白いぞ」、と書店で見たときは心が躍った。
 
なにしろこのタイトルで、オビの背は「話題沸騰!/品切点続出(涙)」とあり、オビの表には、「謎に満ちた/『芸術界の東大』に潜入した/前人未到、捧腹絶倒の探検記。」とあって、さらにそこにフキダシを付けて、「卒業後は/行方不明者多数?」。これは、期待しない方が無理というものだ。
 
書き出しは、こんなふうである。

「僕の妻は藝大生である。
 一方の僕は作家で、よくホラー小説やエンタメ小説を書いている。」
 
妻に聞いてみると、藝大はひどく面白いらしい。そういういうわけで、東京藝大に潜入した。
 
ちなみに僕は、著者である二宮敦人の書くものは、『郵便配達人 花木瞳子が顧みる』以下、タイトルすら一つも聞いたことがない。
 
でも最初に言っておくと、このノンフィクション潜入記は、ものすごく面白い。その面白さは、軽薄な笑いではなく、腹にガツンとくる面白さだ。
 
外側の装幀を、いかにも軽薄に、面白そうに工夫した上で、本当の面白さを追求し、実現する。この編集者は、プロである。
 
東京藝大は美術学部と音楽学部に分かれている。それぞれ「美校」と「音校」と呼ばれているが、生徒の性質(たち)は相当に違う。
 
しかしまず問題は、奇妙奇天烈な入試である。
 
藝大の入試は、「音校」なら演奏技術、「美校」ならデッサン力などは、できて当たり前、なぜなら本人の努力で、何とかなる次元のことだから。

「藝大が求めているのは、それを踏まえたうえでの何か、才能としか表現できない何かを持った学生だ。」
 
そういうことで、試験管を唸らせるのは、ひどく難しい。
 
たとえば音楽環境創造科には、「自己表現」という科目がある。なんでもいいから自己表現しろ、という入試問題だ。

「『私の友達は、ホルンで四コマ漫画をやったわ』
『えっ、どういうこと?』
『四コマ漫画を画用紙に書いて、持ち込んだの。それで一枚ずつめくりながら、ホルンで台詞の部分を吹いたんだって。台詞っぽく聞えるようにね』
『……その人はどうなったの?』
『合格したわ』」
 
うーん、これは難物だ。正解のない入試、こんなことがあるんだねえ。

「『こんな課題もあったって聞いた。鉛筆、消しゴム、紙を与えられてね、好きなことをしなさいって言われるの』
『それは何となくアートっぽいね』
『うん。私の友達は、黙々と鉛筆の芯を削り出した。それからその芯を細かく砕いて、顔にくっつけていったの』
 雲行きが怪しくなってきたぞ。
『最後に、紙を顔に叩きつけた。パーンって。紙に黒い跡がつくでしょ。それを自画像って主張して提出したんだって』
『……その人はどうなったの』
『合格したわ』」
 
これはちょっと、僕には、言葉がない。
 
著者の感想は、ただ一行。

「たとえ思いついたとしても絶対に実行できない。」
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思わず口ずさみたくなる――『ラストダンスは私にー岩谷時子物語ー』(3)

1964年の暮れ、岩谷時子は第6回日本レコード大賞で、「ウナ・セラ・デイ東京」と「夜明けのうた」の2作品で、女性として初めて作詞賞を受賞した。

「1965(昭和40)年と1966(昭和41)年は、歌謡曲だけでも年間50曲近く作詞している。その他にミュージカル、リサイタル、CM、テレビ番組……ほぼ毎日が締切りだった。」
 
こういう感覚は、当事者でなければわからない。出版の方では、昔は「流行作家」と呼ばれる人種がいて、座って書くと眠ってしまうので、立って書いたそうだが。
 
ちなみに岩谷は、どのくらい稼いでいたかというと、「今月も著作権協会からは印税215万円が振り込まれていたが、もう通帳に印字される金額にも驚かなくなっていた。」
 
僕の計算では、怪しいところで申し訳ないが、今ではざっと4倍強くらいだとして、毎月1千万円近い印税が、入ってくる計算になる。
 
これはもう日常を超え、リアルを超えた、通帳の上だけの数字ですね。
 
岩谷は第8回レコード大賞で、「君といつまでも」と「逢いたくて逢いたくて」で、2年ぶり2回目の作詞賞を受賞した。「逢いたくて逢いたくて」もいい曲だった。
 
1968年には、いずみたくとのコンビで、新人のピンキーとキラーズのために書いた「恋の季節」が大ヒットし、これは270万枚が売れた。
 
69年には、佐良直美が歌った「いいじゃないの幸せならば」(作曲・いずみたく)が、第11回レコード大賞を受賞した。
 
これは「スキャンダルを執拗に追い回す昨今のマスコミに対して、時子自身の口から思わずこぼれたひとことだった」、というのが可笑しい。
 
そういえば佐良直美のデビュー曲、「世界は二人のために」も、いずみたくと岩谷時子のコンビではなかったか。僕はこの歌が、あっけらかんとしていて、好きだった。
 
著者は、坂東玉三郎と岩谷時子との、仕事を通じた友情にも、よく筆が届いている。

玉三郎のアルバムのタイトルは「春の鏡」、これは楽曲ではない。1973年、玉三郎23歳の誕生日に発売された、岩谷時子との共作で、14篇の詩を収める。
 
この仕事で、34歳の年の差を越えて、稀有な友情が育まれ、そして長く続いた。どちらも、溢れるばかりの才能があり、その場合に年の差は、まったく問題ではなかった。
 
もちろん、越路吹雪との、曲折を経た友情物語が、この本の柱であり、それは実に読みごたえがあるものだ。

しかしそれを脇に置いといても、こんなに話題がある。そういうことを言いたかったのだ。
 
岩谷時子は90歳を超えるまで、現役の作詞家として活躍した。これも驚くべきことだ。そして2013年、97歳で亡くなった。
 
最後に編集部に文句を言いたい。これは編集者が、まったく仕事をしていない。例えば254ページから次のページにかけて。改行の1字下げが、1.5倍下げになっている。あるいは234ページ、改行が天ツキになっている。組み体裁は、最初に編集者が気をつけるべき、初歩の初歩ではないか。
 
また三島由紀夫が、越路吹雪の推薦文を書いていて、「そこに彼女のセックな持味があり」というところ。「セック」は「シック」かどうか、よくわからない。あるいは「セックスの持味が」、かもしれない。

だいたい三島のこの文章は、全体としてよくない、と見当はずれの文句まで付けたくなるほど、ひどい。
 
装幀もひどいものだ。女二人がなにものであるのかが、全く分からない。もちろん一人は越路吹雪だが、それはどこにも書いていない。
 
帯の表と裏も、そっくりそのまま入れ替えなければダメだ。表には岩谷時子がどういう人かが、まったく書いてないのだ。
 
こういう力作を村岡恵理が書いても、何にもならない、実に虚しい。光文社の校閲は、たぶん崩壊している。装幀部(あるいは制作部)も機能していない。
 
光文社のような大手が、単行本を作れなくなっているということが、今の出版界の惨状を、如実にあらわしている。

(『ラストダンスは私にー岩谷時子物語ー』村岡恵理、光文社、2019年7月30日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 10:13Comment(0)日記

思わず口ずさみたくなる――『ラストダンスは私にー岩谷時子物語ー』(2)

岩谷時子は越路吹雪のマネージャーを、越路が死去するときまで続けた、それも報酬抜きで。それは友情の証しだった。
 
あるとき岩谷は、森山加代子のデビュー曲、「月影のナポリ」の訳詞を依頼された。

歌手のデビュー曲は緊張するが、傑作なのは、この歌はレコード会社の方針として、森山加代子とザ・ピーナッツの競作が、決まっていたことである。
 
つまり岩谷は、同じ曲に別の言葉で歌詞を書き、森山加代子盤とザ・ピーナッツ盤の、二つを競わせたのだ。それは相乗効果を狙う試みだった。
 
今でもこんなことをするんだろうか。ちなみにザ・ピーナッツ盤の作詞は、千家春というペンネームを使った。
 
レコードの売り上げは、50万枚を売った森山加代子に軍配が上がったが、ザ・ピーナッツもよく健闘し、岩谷時子は大いに株を挙げたという。
 
岩谷時子はフリーになると同時に、「ニッセイ名作劇場」という、子ども向けミュージカルを、作詞の面から協力していくことになる。日生劇場の責任者は浅利慶太、岩谷は浅利と契約を交わした。

「ニッセイ名作劇場」の第1回公演は1964年5月、アンデルセンの『裸の王様』だった。脚本・寺山修司、作曲・いずみたく、そして作詞は岩谷時子である。
 
僕はこれを、学校から観に行っている。東京の小学校にいた4年間の、最後の6年生のとき、学年で観ている。
 
どうしてはっきり覚えているかというと、まずミュージカルというものを見たのがはじめてで、そして全く面白くなかったのである。そういうことを、学校に帰って、作文に書いた覚えがある。
 
何回かミュージカルを見ていなければ、劇場で自然に入っていくことは難しい。そう思いませんか。

僕がミュージカルに開眼するのは、リバイバル上映された『サウンド・オブ・ミュージック』まで、待たなければならなかった。
 
それはともかく、脚本・寺山修司、作曲・いずみたく、作詞・岩谷時子、うーん、すごい面子である。
 
以後は年配の人なら、歌を通して、自分のことも思い出さざるを得ないだろう。ザ・ピーナッツ「ふりむかないで」「恋のバカンス」「ウナ・セラ・デイ東京」、岸洋子「夜明けのうた」……。

そして弾厚作、すなわち加山雄三とのコンビ、「君といつまでも」「お嫁においで」等々。「君といつまでも」は、350万枚を突破した。

子どものころの記憶では、あるとき、テレビのベストテンのうち7曲が、作曲・弾厚作、作詞・岩谷時子だった記憶がある。
posted by 中嶋 廣 at 09:14Comment(0)日記

思わず口ずさみたくなる――『ラストダンスは私にー岩谷時子物語ー』(1)

岩谷時子は、初め宝塚歌劇団の出版部に入り、その後、越路吹雪のマネージャーを続け、一方、作詞家として一世を風靡した。
 
僕は、この人をよく知らなかった。一昨年、テレビ朝日の昼オビで、『越路吹雪物語』を放映し、そのとき越路吹雪のマネージャーとしての、彼女を知ったのだ。
 
ちなみにそのときは、木南晴夏が岩谷時子を演じたのだが、いま本書の口絵に載っている写真を見ると、二人はよく似ている、そっくりである。
 
僕は、岩谷時子に急速に惹かれていくと同時に、木南晴夏のファンにもなってしまった。
 
村岡恵理のこの本は、力作である。読んでいるときは、なぜこんなに、岩谷時子の内面に入って行けるのだろう、と不思議だったが、「あとがき」を読んで、克明に付けられた日記があることがわかった。
 
もちろん日記をどう踏み台にしたかは、難しいところがあるのだが、そういうことも含めて、とにかく読み物として抜群に面白かった。
 
岩谷時子は、遠縁に詩人の千家元麿がいる。もちろん、だから作詞家として大成した、とは言えないけれど。
 
また従兄には、「日本を代表する人文地理学の学者」、飯塚浩二がいて、岩谷は飯塚がフランスへ留学するとき、神戸港まで見送りに行っている。
 
岩谷時子は、そういう家系の人である。
 
越路吹雪が、宝塚から外に向かって、飛翔するのに従って、岩谷も、マネージャーとして、活躍の場を広げていった。
 
作詞はほんの偶然だった。最初はシャンソンの訳詞だった。プロに頼めば金がかかる。越路吹雪から、あなた、やってよ、と言われたのだ。

岩谷時子は、これにハマった。

黛敏郎のピアノを伴奏に、エディット・ピアフの『愛の讃歌』の訳詞を付けていくところは、とりわけいい。

「脳裡にはステージの中央、スポットライトの中の越路の姿が浮かんだ。マイクをゆったりと口元に運ぶ。
『あ…なた…の燃える手で……』
 前奏に身を委ねていると、ふっと、突然何かが降りて来たように、無意識のうちに時子の口元から言葉がこぼれ始めた。
『わたし…を抱きしめて……ただふ…たりだけで…生きていたいの』
『そのまま続けて』
 ピアノの音色に押し出されるように言葉が続いた。」
 
この歌は、カラオケで何度も歌った。もう店には行けないけれど、それでも思わず口ずさみたくなる。
posted by 中嶋 廣 at 12:25Comment(0)日記

ひたすら朗読――『身体巡礼ードイツ・オーストリア・チェコ編ー』

このところ脳出血のリハビリ用に、『夫・車谷長吉』(高橋順子)、『街と山のあいだ』(若菜晃子)、養老孟司の書いたものを、繰返し朗読している。それぞれ、人と、自然と、何だか解らぬものに対する感覚を、再建するためのものである。
 
養老さんの書いたものは、僕が昔、編集した、『カミとヒトの解剖学』や『日本人の身体観の歴史』、それに『脳が読む 本の解剖学Ⅰ』『本が虫 本の解剖学Ⅱ』を、繰返し読む。
 
ほかに新潮社の『考える人』に連載され、後に単行本にまとめられた、『身体巡礼ードイツ・オーストリア・チェコ編ー』『骸骨考ーイタリア・ポルトガル・フランスを歩くー』などを読む。
 
今回、『身体巡礼』の3回目か4回目を読み直していて、気づいたところがある。
 
養老さんは旅行をして大勢の人に会うが、そうやって出会った人が、家族の問題で悩んでいたりする。
 
特に子どものことは、深刻な悩みになっている。

「子どもには怖いところがあって、親自身の考え方に問題があると、それが子どもという形で現実化する。当たり前だが、親子は自他という関係の根源である。」
 
そういう親子関係に悩んでいる人が、大勢いるという。
 
これは本当に怖い。子どもが小さいうちは、無我夢中で、あるいは、ときにぼんやりしたまま育てているが、実際のところ、絵にかいたようなとは言わないまでも、一応良好な関係を保っている親子は、どのくらいいるのだろうか。
 
僕のところでも、僕は一応、関係は良好と思っているが、子どもたちの方にしてみれば、成人したのちは、そんなことをゆっくり話すこともないから、心の奥までは分からない。
 
つい先日、官僚のトップ、元次官が息子を殺して自首し、裁判の判決は、6年か7年の実刑であった。
 
こういう事例には、本当に言葉がない。
 
息子を殺す父親と、殺される息子は、そこに至る道筋で、第三者の介入を許さないものが、あったのだろう。
 
子どもが生まれたとき、あるいは子どもが小さかったときには、思い出せば、笑っていたこともあったはずだ。
 
でも結局は、この夫婦に子どもさえいなければ、普通の暮らしができただろうに。
 
考えてみると、子どもがいるために不幸な顚末をたどる夫婦は、どのくらいいるのだろう。
 
もちろん、夫婦だけではなく、子どもも一緒に、不幸の道連れになる、そういう家庭は、案外多いような気がする。本当は半ばの家庭がそうだったりして。
 
人の家庭はもちろんわからない。人の家庭ではなく、自分の家庭にしてからが、実はよく分からなかったりする。
 
今回ほかに、養老さんが挙げている本で、内田樹の『私家版・ユダヤ文化論』は、ぜひ読んでみたいと思った。
 
内田樹は昔、何かの拍子で、素通りすることになったのだった。それはもう、脳出血以前の「前世」だから、なぜ嫌うことになったかは忘れた。

そういう意味では、江藤淳は脳梗塞以後の自分は、自分にあらずと言って自殺したが、僕の場合は、ときに脳溢血にも意味がある。

(『身体巡礼ードイツ・オーストリア・チェコ編ー』
 養老孟司、新潮社、2014年5月30日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 11:06Comment(0)日記