鍛え上げられた文体――『時に佇つ』(1)

青木正美の『古本市場が私の大学だった』を読んだとき、「佐多稲子覚え書」が強烈に印象に残った。
 
佐多稲子は、なにも読んだことがなかったので、青木正美の取り上げた『時に佇つ』を読んでみた。
 
これは12の短編が載っており、「その十一」で、別れた元夫の、死んでゆく様を描いて、川端康成賞を受賞した。
 
全体を読んだ印象を一言でいうなら、こういう作品は、一度も読んだことがない。
 
人生の晩年に回想して、あのときはこうだったと、点描してゆくのだが、それが、その場その場で、小さな劇的効果を上げている。
 
しかも驚くべきことに、中心にあることは書き込まずに、まわりの描写だけで、中心にある事柄を際立たせる。
 
佐多稲子は小学校を中退し、そこからは有為転変、一人で五生分くらいの人生を生きてきた。
 
結婚も繰り返したし、戦争中は共産党の組織で働いている。

そして戦争末期には、そこから転向し、中国にいる兵士の慰問にまで行っている。しかし、転向は擬装に近い。
 
そういう場面を振り返って、激的な一点に集中して書くのだ。面白くないわけがない。
 
ただし問題は、文体である。これがなかなか大変なのだ。

「恒子に夫がいる、というそのこと自体に触れながら、私の観念は、するりと実体を取り落としていた。それは、当時の私たちの何かを、象徴することかもしれなかった。」(その二)
 
このうち、「私の観念は、するりと実体を取り落としていた」というところが、新鮮である。自分に対して単刀直入、鋭敏だが、しかし気負ったところはない。
 
次の場面は長崎の、自分が生まれた場所で。

「いつもの私なら、ここに立つのは、ひたすら、母恋いなのだ。この二階を見上げて私の目に浮かべるものは、十五歳の女学生の必死な出産の姿であり、前後のその少女の胸中なのである。生まれてきた嬰児などはどうでもいい。」(その三)
 
文体がすっくとしていて、まったくブレがない。書かれている重い事柄に比して、これは本当に見事だ。
 
しかしそれにしても、15歳の母親から生まれてくるのは、自分ではないか。