エロな話――『ペルーの異端審問』

これは筒井康隆『不良老人の文学論』に、「大らかで根源的な笑い」として、挙げてあった。聖職者のエロ話集である。

「禁欲の中で肉欲が燃えあがり、あまりの欲望ゆえに時には早漏気味の盛大な射精に至る聖職者たち。それらはまさに禁忌であるが故にこそ、あまりにも快美なのだ。」
 
さすがにうまいものです。さらに、

「異端審問官とて、夢魔や悪魔や聖職者たちと寝たという女を尋問する際の、全裸の彼女たちの陰部をいじりまわしたりもした上での、その供述を大いに楽しんでいる。」
 
読んでみたくなるじゃありませんか。

「巻頭言」として、筒井康隆の、この文章が載っている。
 
さらにその次に、マリオ・バルガス・リョサの「序文」までついている。

「『ペルーの異端審問』にはいずれの分野にも訴えるだけの素材が備わっている。その結果、読み手を楽しませつつも学ばせる一冊の本ができあがった。読者を幻想の世界へと誘うと同時に、恐怖と束縛が支配していた忌まわしい時代の現実にも直面させてくれることだろう。」
 
すみません、バルガス・リョサの懇切な導きにもかかわらず、エロな話のみ、探して読みました。
 
全部で17の掌篇が入っていて、全体を通して、筋はあると思うのだけど、よくわからなかった。
 
そのかわり、どういうところを読んだかというと、

「なかでも目を引くのは熟年クリオーリャの例だ。あろうことか無敵の解放者ボリーバルの手で恥毛を剃りあげられ、桃の実のような状態にされたという。」
 
クリオーリャは、中南米生まれのスペイン人女性のこと。
 
こういうところばかりを読んでいたので、筋はあるのかないのか……。
 
しかし、ペルーの聖職者がこの時代、暇に飽かせて、次から次へと貪欲に女を漁るのだけはよくわかった。
 
最後に、「エピローグ」から引いておく。

「彼らの不幸はテレビの時代ではなく、異端審問の嵐が吹く時代に生まれたことにある。もし今の時代に生まれていたら、拷問を受け、異端審問判決式でさらしものになる代わりに、有名人としてインタビューに応じ、世界じゅうから講演依頼が殺到し、自身の神秘体験を語ることで生計を立てられたかもしれないのに。それほどまでに僕らが暮らす二一世紀は、不信人が横行し、物質主義や技術革新にまみれた半ば異常な社会だとも言えよう。」
 
最後のこの部分を読むと、フェルナンド・イワサキも、半ば笑って艶笑譚を書いたような気がする。

(『ペルーの異端審問』フェルナンド・イワサキ、訳・八重樫克彦/八重樫由貴子
 新評論、2016年7月31日初刷)