他にはあと二篇、「功徳」と「一番寒い場所」が入っている。
「功徳」は、大学を出て、最初に就職をしたころの話。「一番寒い場所」は、三島由紀夫が自殺した頃、それに関連した右翼だか何だかわからん男と、関わり合いになる話である。
どちらも読みごたえが、あると言えばあるし、一篇の小説という点から言えば、どうにもまとまらない話ではある。
「功徳」には、大学を出たには出たが、何にもする気のない「私」の内面が、よく描けている。
「会社の仕事には何の興味も関心も持てなかった。会社での仕事は、TVのCMや新聞・雑誌広告の企画書を持ち歩いての、広告取りである。広告とは何か。その本質は資本主義社会の尖兵としての、誘惑と脅しと巧言令色である。」
学校で『論語』の「巧言令色鮮(スクナ)シ仁ト」を習いながら、それに逆らって、生きていくのは、学校を真面目に務めた人間には厳しいことだ。
この点では私も、出版という、自分の最良を生かす職業以外には、考えられなかった。
しかし「私」は、出版ではなく、広告会社を選び取る。
「日々、誘惑と脅しと騙しという悪をなしていた。そういう悪の上に築かれているのが現代社会だった。けれども、その悪を善と考えているのが会社というところだった。」
「私」は、周りから見れば困った人であり、むつかしい人であった。
「一番寒い場所」には、小説の筋に直接の関係はないが、編集者論が出てくる。車谷は、ここで、思いの丈をぶちまける。
「編輯者の原稿の催促は、恰かも債鬼の借金の取り立てにも似て、情け容赦のないものである。自分の都合だけを考えているから、そういうことが平気で出来るのだが、一つ終ればまた次と、こちらの生命のリズムのことなど一顧だにせず、次ぎ次ぎと『次ぎの原稿』を求めて来る。こちらの生命の井戸の水が涸れるまで、徹底的に汲み尽くそうという腹だ。」
新潮社や文春の編集者は、そういうふうに見られていたということだ。特に直木賞を取った著者の場合は、しょうがないなと思う。
「去年の夏の直木賞受賞以来、神経性の胃潰瘍に苦しめられ、隔週、浦和の精神病院で精神安定剤、抗鬱剤、胃潰瘍の薬をもらって服用しているものの、胃痛は治まらず、毎日、不機嫌な怒りに囚われている。編輯者という債鬼は、こちらの心の中の『一番寒い場所』を無神経につついて来るのである。」
でも著者のこういう不安なり、不満を読むと、元編集者としては、著者が頑張っているということを知って、なんとなく安心する思いがある。これも編集者の側の、歪んだ心根といえばいえると思うけど、どうしようもないことだ。
全体を読んでみて、高橋順子と同じく、やっぱり「武蔵丸」が一番いいと思う。
みんな私小説でありながら、「武蔵丸」だけは、広い世界、普遍的な世界の高みに達している。私は何となく、島木健作の「赤蛙」を思い出した。
(『武蔵丸』車谷長吉、新潮文庫、2004年5月1日初刷)