深いところから――『武蔵丸』(4)

「私」は昭和36年春、姫路西高校の入試に失敗し、そのあげく飾磨高校に回された。姫路地方には、公立私立合わせて14の高校があったが、世間の評価では、姫路西は一番上、飾磨高校は一番下であった。
 
私は、長吉の少しのちに、姫路の中学・高校に通ったのだが、私立の中・高一貫校だったので、高校入試に失敗したときのことは知らない。
 
しかし姫路西を失敗したものが、自動的に飾磨に入ることになるとは、面妖ではないか。
 
それはともかく、そういうふうになってしまったのだ。

「私は烈しい屈辱を覚えた。一つの苦痛が軀の中にうずくまった。受け容れたくない現実を、受け容れざるを得ないところへ追い詰められたのである。」
 
これは、かなり強烈な経験だったようだ。
 
とんなに嫌な経験でも、慣れるということがあるが、長吉の場合は高校入試の失敗が、ついに終生のトラウマになった。

「何か悪夢の中に自分が生きているような気がした。十五歳の春である。のちになって考えて見ると、私は現実剥離を起こしていたのである。」
 
この現実剥離は、大学を出てもついて回った。

「その時、ただ一つ信じることの出来た現実は、いまにおいてもなお、生々しく私の中に息をしている苦痛だった。これだけが、私のただ一つの生きるよすがとなった。無論、苦痛は七年前の苦痛だけではない。幼少期以来、私の身に沁みたすべての苦痛が、絶えざる現在として、立ち上がって来た。この精神過程は今日においても、基本的には何も変っていない。」
 
こう見てくると、高校入試の失敗は、必然的なものだ、という気にもなる。
 
またこの本で言えば、「白痴群」で、なぜ子供時代を書かねばならないか、が分かる。
 
近親者に5人の自殺者を出した車谷長吉は、文学によって以外は、救われない人だったのである。
 
しかし「私」は、その高校で、「立花得二先生」に出逢った。

「他に類を見ない、鬱然たる魂を秘めた、魅力的な人だった。魅力の魅は、魑魅魍魎の魅である。生きながらにして、すでに死者となった人の魅力である。」
 
そんな人が現実にいたのだ。

「似たような人としては、夏目漱石の小説『こゝろ』の『先生』以外には思い当たらない。」
 
そこで、まったく類を見ない人だということが、読者の頭に刻み込まれる。