深いところから――『武蔵丸』(3)

この短篇集はどれも優れている。
 
最初の「白痴群」は、子どものとき、親戚にもらわれていったことを、書いたものだ。
 
ここに出てくる「佐伯の伯母」と、その子供で同年代の「久美ちゃん」というのが、いかにも都会じみていて、おかしい。
 
もちろん、嫌な親子ではあるのだが、しかし突き放しては書いていない。
 
というかここでは、「私」も含めて、「白痴群」なのだ。
 
あるとき、久美子が「私」に、風船を膨らましてくれ、と頼む場面がある。

「『もうええかあ?』
『いや、久美子がいいって言うまで、って言ったでしょ、もっと大きく』
 私はやけ糞になって空気を入れた。
 ……
『まだよ、もっともっと大きく』
 私はもう死んでもいいような気になって、もう一度ぐーんと吹いた。自分の頭蓋骨の方が爆発しそうだった。久美ちゃんは両の耳に栓をしていた。」
 
いかにも私小説といった具合に進んでゆくのだが、それでも、「自分の頭蓋骨の方が爆発しそうだった」というところは、久美ちゃんの両方の耳に栓、というところがあるので、よけい引き立っている。
 
もちろん、伯母の家に貰われていっても、自分の主張は、そこで人知れずおこなっている。

「伯母の、『は、まあなんですか、よく存じ上げませんけれども、わたくしどもでは……』という風な隠微な言葉遣いの裡に含まれる、人に敬語を強制するような生活態度には、自分の体温の芯が冷えて行くような、どうしても馴染めないものがあった。」
 
日本の伝統小説である私小説の、王道を行く感じだ。
 
特に言葉の問題で、「自分の体温の芯が冷えて行くような」、と体温に換算しているところ、たまりません。
 
しかし、あまりに私小説、それだけのものと言えば、言える。
 
それよりも、次の「狂」が面白い。
 
まず書き出しの1行が読ませる。

「平成二年七月二十四日朝、私の父・車谷市郎は播州飾磨の家で狂死した。」
 
その経緯を事細かに書く。

「……昭和六十年夏、長い間、軀の中にひそんでいた結核菌がふたたび活動を開始し、肺結核に罹病、喀血、青野ヶ原結核病院に収容された。が、医者に見捨てられ、自宅療養中、結核菌が脳に上って、気が狂うたのだった。」
 
これが公式の記録だが、家族の者は、人間の裏側までも見せられるような思いをしている。

「狂気してのちの父は、一日十八時間、家の中で毛物(けもの)のような声で喚き、みずからの糞尿を壁に投げ付け、……私が東京から見舞いに帰ると、無論、倅が帰って来たことには気づかず、母の間男が家の中に入って来たと思うて怒り、泣き、そのざまはまことに無慙を極めた。そういう日が六年続いた。」
 
ちょっと言葉がない。

しかし、書き出しの一ページで、すでに山場を迎えると思いきや、これは導入で、「狂」の主人公は、狂い死にした父のことではない。