韓流!――『82年生まれ、キム・ジヨン』(2)

キム・ジヨン氏には弟がいるが、本当は、その前に妹がいた。
 
しかし妹は、生まれてくることができなかった。夫やその母親が、どうしても男の子が欲しいと言い、妹は望まれていなかったのだ。

「性の鑑別と女児の堕胎が大っぴらに行われていた。一九八〇年代はずっとそんな雰囲気が続き、九〇年代のはじめには性比のアンバランスが頂点に達し、三番め以降の子どもの出生性比は男児が女児の二倍以上だった。」
 
これは本当のことなんだろうか。本当、なんだろうね。
 
1982年には、女児100人に対し、男子106・8人、1990年には、男子116・5人となっている。
 
要するに、上が姉妹の場合には、下は倍以上の割合で男が生まれている。それだけ女は望まれていないのだ。

「母は一人で病院に行き、キム・ジヨン氏の妹を『消し』た。それは母が選んだことではなかった。しかしすべては彼女の責任であり、身も心も傷ついた母をそばで慰めてくれる家族はいなかった。」
 
男の子を望む、そういう雰囲気は、日本では何年くらいまで、あったのだろうか。あるいは、今もそうなのか。日本では、都会と田舎では違うと思うけども、どうなんだろうか。
 
いま、僕や僕の周りで、比較して女子よりも男子がいいと思う人間は、いないと思う、たぶん。しかし田舎の旧家あたりでは、いまも、どうなんだろうね。

それでも1980年代、90年代の韓国のようなことには、なってないんじゃないか、と思いたい。

ともかく韓国では、場合によっては生まれる前から、男女は生き死にの問題で、強烈に差別されている。

生まれてからもそうだ。

「炊き上がったばかりの温かいごはんが父、弟、祖母の順に配膳されるのは当たり前で、形がちゃんとしている豆腐や餃子などは弟の口に入り、姉とキム・ジヨン氏はかけらや形の崩れたものを食べるのが当然だった。」

「傘が二本あれば弟が一本使い、姉妹は一本で相合傘をする。かけ布団が二枚あれば弟が一枚かけ、姉妹は二人で一枚にもぐる。お菓子が二つあれば弟が一個食べて姉妹が残りの一個を分け合う。
 実際のところ幼いキム・ジヨン氏は、弟が特別扱いされているとか、うらやましいとか思ったことはなかった。だって、初めっからそうだったのだから。」

これでは、戦争前の日本ではないか。

こういうのは韓国では、いつごろまで続いたのだろう。それとも、まだやっていたりして。それはそれで、ぞっとする話だ。
posted by 中嶋 廣 at 09:28Comment(0)日記