ユニーク、大谷崎――『陰翳礼讃・文章読本』(3)

「厠のいろいろ」でいちばん目を引くのは、これを書いている谷崎の、楽しそうな光景である。
 
どこどこでトイレに入ったときは、とあちこちの厠を紹介するのだが、それが楽しくってしょうがない、という具合だ。

「やんごとない上藹(じょうろう)などと云うものは、自分のおいどから出るものがどんな形をしているか知らない方がよく、譃(うそ)でも知らない振りをしていて貰いたい。」
 
やんごとなき方であろうとなかろうと、そんなこと谷崎はん、あんたに関係おまへんやろ、と言いたくなる。それに誰でも、出たものはじっくり眺めて、吟味したいではないか。

大便だけではない。小便も、所によっては味わい深い。それでもやはり、ちょっと困ることもある。

「小便所は、朝顔へ杉の葉を詰めたのが最も雅味があるけれども、あれもどうかと思うのは、冬だと夥しい湯気が立つのである。……放尿中生暖かい湯気が盛んに顔の方へ昇って来るのは、自分の物から出るのだからまだ辛抱ができるとしても、前の人のすぐあとなどへ行き合わせると、湯気の止むのを気長に待っていなければならない。」
 
何か冬の朝、ほっこりと股間から臭ってくるような文章である。さすがは大谷崎。
 
これに、翌朝、二日酔いで厠へ入った先人の後の、なんとも鼻の曲がりそうな臭いをつけ加えれば、僕としては言うことはない。
 
また中国、杭州のホテルに泊まった谷崎は、急に下痢になったので、中国人のボーイについてトイレに入った。ところがそこは、あいにく小便所しかなかったのである。

「私はハタと当惑した。なぜなら『大便所』と云う英語を教わっていなかったからである。で、『もう一つの方だ』と云ってみたけれども、ボーイは悟ってくれないのである。外のことなら手真似でも説明できようか、此奴(こいつ)は真似をする勇気がない。」
 
このあとを、谷崎は書いていないので、詳細は不明だが、でも困ったろうなあ。
 
ちなみにこの段のオチは、「こう云う場合に使う英語を覚えておこうと思いながら、実は今以て知らないのである。」
 
僕も知らない。さあ、困ったぞ。

「文房具漫談」は、書き損じの話。谷崎は毛筆を使うので、それに関するあれやこれやの工夫がある。
 
しかしもちろん、コンピュータの今となっては、平安の昔のようだ。

「岡本にて」は、関東大震災を逃れて、関西に移り住んで、結局、そちらに住み着いた話。岡本は、神戸市東灘区岡本である。
 
ここでは岡本のことよりも、谷崎が行く先々で揮毫を頼まれて、往生する話がおかしい。
 
これは、まず人のものを挙げてからかう。

「大臣や代議士なぞが変な漢詩を臆面もなく発表するのもハタ迷惑だが、書く文句がなくって『児童心理学』と書いたと云う緑雨の話にあるようなのも困りものである。」
 
筆をもって揮毫するのに、苦し紛れに「児童心理学」というのは、困りものというより、シュールといった方がいい。
 
そして次に、谷崎の番が来る。
 
これが書こうにも、適当な文句が浮かばないし、だいいち非常な悪筆だから勘弁してくれ、と言っても、先方は許してはくれない。

「文句がなければ自作の小説の標題なりとも記せと云う。仕方がないので処女作から順々に自分の小説集の目録のようなものを楷書で書いたのが、又運悪く、えりにえって拙く出来て、どう見ても小学校の一年生の習字のようだった。」
 
悪筆は悪筆なんだろうが、ここでは自分を、ぐっと突き放して見ているのがおかしい。

(『陰翳礼讃・文章読本』谷崎潤一郎、新潮文庫、2016年8月1日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 18:54Comment(0)日記