まるで下北沢・小劇場だな――『スタッキング可能』(2)

それでも女には、抽象的でない女には、生理がある。

「おかしいよね、私たち。毎月一週間も自分の下半身から血が流れているのをなんでもないみたいな顔して、いつもと変わりませんみたいな澄ました顔してオフィスで働いている。一回よく考えてみようよ。みてよ。ほら、おおごとだよ。一大事だよ。だってずっと血が出続けてるんだよ? コピーとったり、電話に出たり、大事な会議に出ながら、同時に血が流れてる。血を流している女がオフィスには点在している。血を流している女は週ごとに変わる。多分オフィスで誰からも血が流れていない日なんて一日だってないだろう。シュールすぎる。」
 
それは確かにシュールかもしれないが、しかし人間のうちの半分の、女が血を流す、という点では、それも「スタッキング可能」だ。
 
ただこの一篇を読むと、小説という感じは、なぜかしない。どこまでも、ときには怒りを込めて、「スタッキング可能」な例を挙げていっても、話は膨らまない。あるいは深み、というか陰翳といったものが、まったくない。
 
登場人物の一人が、コージーミステリを愛読している。コージーミステリとは、ハードボイルドなどとは違って、日常的な場面を舞台とし、事件にも人物にも、狭い範囲で親しみのあるミステリのことだ。
 
そのコージーミステリが、本文と同列に並べて、しかもゴチックで出てくる。

「確かにあなたがおっしゃる通りあなたの携帯電話も眼鏡のふちもその手ににぎりしめているタオルハンカチの色もすべてピンク色だ。とするとこのエコバッグは一体誰のものだというのか」
 
こういうのは、自分の家で読んでいるときには、勘弁してほしい。
 
こういう読書が、ピッタリ来るところがある。劇場、しかも、下北沢の小劇場あたりだ。

いったん芝居小屋に〝隔離〟され、快調なテンポで舞台を見ていれば、少々つじつまが合っていなくても、いやむしろ、つじつまが合っていない方が、高揚してみられる。〝隔離〟されている以上、とにかく目の前の出し物を、楽しむしかないじゃないか。

そういえば、この本の構成も、小劇場の舞台そのものだ。

「スタッキング可能    5
             93   ウォータープルーフ噓ばっかり!
 マーガレットは植える  105
             115  ウォータープルーフ噓ばっかり!
 もうすぐ結婚する女   133
             175  ウォータープルーフ噓ばっかりじゃない!」
 
細かいところまでは書かない。どれも読んでいると、ときどき面白いけれども、ときどき叙述に全く膨らみがなくて、いらいらする。
 
しかし「もうすぐ結婚する女」だけは、奇妙な奥行きと味わいがあって、面白かった。

「高校卒業後は別々の道に進み、社会生活の拠点をもうすぐ結婚する女も私も転々としたが、それでも半年に一、二回は必ず会っていた。そしてある時、もうすぐ結婚する女は、もうすぐ結婚する女になったと私に告げた。もうすぐ結婚する女が結婚するなんて、そして仕事帰りの居酒屋でそのことを報告されるなんて、私は自分がすごく大人になったような気がした。」

読んでいくうちにわかるが、「もうすぐ結婚する女」は複数、存在している。つまり複数形なのが、というか複数形なのも、面白い。
 
どちらにしても全体は、尖鋭な台本を読まされている感じがして、ときどきいらっとするけれど、でも面白いところもある。松田青子は、この人にしかこういう世界は書けない、という意味で面白い。

(『スタッキング可能』
 松田青子、河出書房新社、2013年1月30日初刷、2月20日第3刷)
posted by 中嶋 廣 at 15:09Comment(0)日記