自由の風――『そばですよー立ちそばの世界ー』(1)

ご存じ、平松洋子の世界。今度は「立ち食いそば」である。

それを「立ちそば」と名付けたところが、まず秀逸である。立ち食いそばに、敬意を表してあることが分かる。
 
これを読んでいくと、僕はもうつくづく、立ち食いそばには、入れないと思う。半身不随のまま、立ち食いそばを食することは、女房がいれば、なんとかできるかもしれない。でもそれは、ふらっと入って、「天玉一丁!」と注文し、十分ほどで食べて店を出る、というのとは違う。
 
大げさに言えば、そこには自由の風に似たものが吹いていた。

でもそれはなくなった。ほんとうにもう、「一身にして二生を経る」だなあ。
 
その頃僕は週に1回、午後6時半から8時まで、東大の情報学環で、出版のあれこれを教えていた。もちろんトランスビューの仕事は、通常通りにこなしながら。
 
6時前に本業を終え、東大へ向かう途中、本郷三丁目の駅を出たばかりのところで、立ち食いそばを、よく食べた。
 
考えてみれば、あの隙間の時間に、他に何を食べられたろう。
 
そのとき立ちそばは、小腹を満たしただけでなく、本業ともう一つの仕事をつなぐ役目も、してくれたのだ。僕はそのとき、何というか、小さな自由も味わっていたのだ。
 
平松洋子の取り上げる立ちそばは、チェーン店ではなく、個人や一家でやっている独立系の店である。富士そばや小諸そば、ゆで太郎は取り上げない。インディペンデント系でないと、一店ずつ違うそばの特徴が、摑みにくいということだ(でも僕は、チェーン店のそばも好きだけどね)。
 
著者の文章は、例によって躍動している。たとえば、本郷三丁目の「はるな」の場合。

「さあ、そばですよ。お膳を持って細長いカウンターに席を取る。ふんわり、だしのいい香り。丼を持ち上げ、まず熱い汁をちゅっと啜ると上品なつゆが喉をつたい、はあぁ~とおいしい息が洩れた。角がきりりと立った柳腰の細いそば。きれいなそばだなあ。間を置いてのせたかき揚げからじわ~んとうまみが汁に浸み出て、こくが深まってゆく。」
 
思わず舌なめずりする。
 
この本には、中ほどに2箇所、8頁ずつのカラー写真が入っている。客が並ぶ店の外とか、中で店の人がそばを用意するところとか、てんぷらとか、いなりとか。それは、湯気が立つような、絶妙のカラー写真だ。まるで、本の中から匂ってくるような。
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労作をジャンピングボードにできるか――『日蓮主義とはなんだったのかー近代日本の思想水脈ー』

これは大変な労作である。本文600ページ、註160ページ。読み始めは、少し硬くてちょっと苦労するが、すぐに夢中になる。
 
実はこの著者、大谷栄一さんは、およそ20年前に、処女作を法蔵館の、東京事務所で出している。
 
題名は『近代日本の日蓮主義運動』(2001年)、直接の担当者は林美江さん、私は所長として最初の原稿と、最後の責了紙を読んだ。
 
今度の本のあとがきにも、林美江さんと私に、最初の本のことで礼が述べてある。これはあまり例がない。
 
最初の本では、明治中期の1880年代から、昭和初期の1920年代までを扱い、田中智学と本多日生を中心として、その思想と運動の全体を描いたものだった。
 
処女作は端的に言って、面白かった。日蓮主義というのが、中世の日蓮の主張を巡るものではなく、近代に成立したものであり、これは田中智学が、大きく関わっていることを解き明かしていた。
 
そもそも日蓮主義が、なぜ近代に、まるで噴火のごとく、いろいろな人を巻き込み、新たな運動を起こしていったのかが、初めて分かったような気がした。
 
そして19年経って、今度の本である。
 
今度は敗戦後まで、扱う範囲が広がっている。田中智学、本多日生に加えて、石原莞爾や妹尾義郎、宮沢賢治を中心に、多数の人物が入り混じって、日本近代史の一側面が、骨太に描き出されている。
 
それはそうなのだが、しかし戦後まで来ると、「日蓮主義」というものに、ある決着をつけなくてはいけない。私はそう思う。
 
著者の大谷栄一さんの、最後の一段はこういうものだ。

「田中智学の国立戒壇論は、現代にも伏流水のように存在しているのである。日蓮主義が戦前のような幅広い影響力をもつ日はふたたびくるのだろうか。」
 
これでは、きつい言い方をすれば、著者は距離をおいたところから、ただ見ているだけだ。
 
私は、妹尾義郎が戦後、近代的な日蓮主義の政党を作ろうとして、夢破れたところで、日蓮主義のある終焉が来ていたと思う。
 
もう一度、日蓮主義が、突然噴火のようなことを起こしても、たぶんそれはそれで、消し止めねばならないと思うのだ。
 
それよりも大谷栄一さんには、とりあえず終わった日蓮主義をスプリングボードに、新しい日本近代史を構想してもらいたいのだ。

(『日蓮主義とはなんだったのかー近代日本の思想水脈ー』
 大谷栄一、講談社、2019年8月20日初刷)
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最後に残る素朴な疑問――『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(3)

ブレディみかこはこの本で、息子の中学を舞台に、様々な問題を取り上げ、「地べたから」出発して、現代の大きな問題、イギリス全体やEUにかかわる問題、また日本に帰ったときは、日本の問題を、やはり「地べたから」論じている。
 
その筆致は躍動し、スケールの大きさは、読んでいるときは、テンポの速さもあって、心躍る鮮やかさだ。そして、そうでありながら、その文体は、襞の奥まで手触りがあり、しかも緻密だ。
 
息子が、白人労働者の子どもたちの中で、育っていく姿は、それを距離をおいて、見つめている著者の、ときに心の震えまでも感じられる(まるで日本の最良の私小説のようだ)。
 
しかしそうであれば、一点、どうにもよく分からないところがある。

「ユニフォーム・ブギ」と題する第7章で、著者はボランティアとして、制服のリサイクルを行なう女性教員と保護者たちを、手伝うことになる。
 
これは中古の制服を、保護者たちから集め、日本円でいえば、50円とか100円で販売するもので、その際にほつれていたり、破れていたりすれば、それを繕う人を募集していた。
 
そういうことを実地にやってみると、実際にこれは今のイギリスのことだろうか、という事態に直面してしまうのだ。
 
生徒たちからは親しみを込めて、「ミセス・パープル」というあだ名で呼ばれている教員が語る。

「まったく、もう30年以上、中学の教員の仕事をしているけど、サッチャーの時代でもこんなにひどくはなかった」。
 
ミセス・パープルは、ブルネットの髪の一部に、紫のメッシュを入れているから、こう呼ばれる。

「制服を買えない生徒たちが大勢いるのよ。……ちょうど5,6年前になる。大きなサイズの制服が買えなかったり、制服が一着しかないから洗濯して乾いてなくても着て来なきゃいけない子たちが出てきて、いったいいつの時代の学校なんだと思った」。
 
これはどういうことだろう。

「でも本当は制服だけじゃ足りない。女性の教員の中には生理用品を大量に買って女生徒に配っている人もいる。私服を持ってないから私服参加の学校行事に必ず休む子もいて、スーパーでシャツとジーンズを買ってあげたこともあった」。
 
これ、教師のやることじゃないでしょう。
 
以前の労働党政権は、子どもの貧困をなくすべく、着実に手を打っていた。ところが、2010年に政権を奪回した保守党政権が、大規模な緊縮財政を敷くようになって以来、その影響がもろに貧しい層に現われた。

「2016~17年度では、平均収入の60%以下の所得の家庭で暮らす子どもの数が410万人に増えていた。これは英国の子どもの総人口の約3分の1になる。」
 
子どもの3人に1人は、貧困家庭……。これ、おかしいでしょう。
 
こんなことをしていて、なぜ保守党政権がずっと多数を取れるのか。

「昨日の夕食は食パン一枚だったって話している子の言葉を聞いちゃったらどうする? 朝から腹痛を訴えている子のお腹がぐうぐう鳴っていたらどうする? 昼食を買うお金がなくて、ランチタイムになったらひとりで校庭の隅に座っている子の存在に気づいたらどうする? 公営住宅地の中学に勤める教員たちは、週に最低でも10ポンドはそういう子たちに何か食べさせるために使っていると思う。」
 
教員は、政治運動をやらないのかね。
 
僕がブレディみかこの本を読んで、いつも疑問に思うのは、緊縮財政をそれほど目のかたきにするなら、そしてそれが、誰の目にも明らかであるなら、どうして保守党から労働党に、政権が移らないのか、ということだ。
 
大方この10年は、中流・上流階級が、多数を占めてきたからなのか(そんな馬鹿な)。子どもの貧困は、それが多ければ多いほど、最も争点になるはずだし、またそうしなければならない。

「バス代がなくて学校に来られなくなった遠方の子のために定期代を払った教員の話、素行不良の生徒を家庭訪問した教員がその家に全く食べ物がなかったことに気づいてスーパーで家族全員のための食料を買った話、ソファで寝ている生徒のために教員たちがカンパし合ってマットレスを買った話。」
 
もちろん現場では、常に待ったなしで、解決しなければいけないことだ。
 
でもそれだけでは、永遠に堂々巡りでしょう。民主主義の教科書・イギリスではこういうときは、どうするのかね。選挙はやらないのか。
 
それとも、保守党を支持しなければいけない、子ども以上の、もっと大事なことがあるのか。
 
ブレディみかこの本は、これまでは身に染みることが多かった。そうであればよけいに、その政治体制に関する記述は、一面の真実を、書いていないのではないか、と思わざるを得ない。僕のような、ヨーロッパの政治に疎い人間には、そんな気がしてならない。

(『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』
 ブレディみかこ、新潮社、2019年6月20日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 19:25Comment(0)日記

最後に残る素朴な疑問――『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(2)

著者の子どもは、地元でナンバー1のカトリックの公立中学へは行かず、「元底辺中学」と著者が呼ぶところの公立中学へ行った。
 
これは著者が、その学校を気に入ってしまったことも大きい。息子と学校を見学に行ったとき、大変感じがよかったのだ。

「先生たちも、カトリック校と違ってフレンドリーで熱意が感じられた」
 
著者にとっては、そういう生の意見が大事なのだ。元底辺校は学力の点でも、真ん中あたりまで上昇していた。

「何よりも、楽しそうでいい。だから子どもたちも学校の外で悪さをしなくなったんだろうね。学校の中で自分が楽しいと思うことをやれるから」
 
イギリスの田舎町には今、「多様性格差」と呼ぶべき状況が生まれている。
 
近年、移民の生徒の割合は、上昇の一途をたどっており、その移民が、白人の労働者階級の学校へは、子どもを通わせなくなっている。白人労働者の学校は、レイシズムがひどくて荒れているという噂が、一般的になってきたのだ。そういう話は、育児サイトの掲示板に行けば、簡単に情報が得られる。

「人種の多様性があるのは優秀でリッチな学校、という奇妙な構図ができあがってしまっていて、元底辺中学校のようなところは見渡す限り白人英国人だらけだ。」
 
そういうところへ、「イエローでホワイト」の息子が、行くことになったのだから、ちょっとドキドキする。
 
しかしそれにしても、イギリスは階級社会だなあ。
 
元底辺中学の大講堂で、クリスマス・コンサートが開催されたときのこと。
 
ジェイソン・ステイサム(というアクションスター)に似た、全身が細長く、眉毛のない、爬虫類に似たコワモテの少年が、ステージに上がった。
 
楽器も持ってなくて、何をやるんだろうと思っていたら、ラップで、自分の書いたクリスマス・ソングをやるという。

「父ちゃん、団地の前で倒れてる/母ちゃん、泥酔でがなってる/姉ちゃん、インスタにアクセスできずに暴れてる/婆ちゃん、流しに差し歯を落として棒立ち

 七面鳥がオーブンの中で焦げてる/俺は野菜を刻み続ける/父ちゃん、金を使い果たして/母ちゃん、2・99ポンドのワインで潰れて/姉ちゃん、リベンジポルノを流出されて/婆ちゃん、差し歯なしのクリスマスを迎えて/どうやって七面鳥を食べればいいんだいってさめざめ泣いてる/俺は黙って野菜を刻み続ける」
 
これはなかなかのもんだ、と著者は思い、そして周りを見渡してみれば、保護者たちは、おかしそうに笑っている人と、すごく嫌そうにしている人に、完全に二分されていた。
 
ラップはまだ続く。

「姉ちゃん、新しい男を連れてきて/母ちゃん、七面鳥が小さすぎるって/婆ちゃん、あたしゃ歯がないから食べれないって/父ちゃん、ついに死んだんじゃねえかって/団地の下まで見に行ったら/犬糞を枕代わりにラリって寝てた」
 
中学校のクリスマス・コンサートでやるラップとしては、非常にハードで、エグくて、僕が活字で読んでも、ちょっと感動的だ。
 
ダークすぎるクリスマス・ソングの、ラップの終わりに来て、テンポが急にスローになる。眉毛のないコワモテのあんちゃんが、詩を朗読するようにゆっくりと言った。

「だが違う。来年はきっと違う。姉ちゃん、母ちゃん、婆ちゃん、父ちゃん、俺、友よ、すべての友よ。来年は違う。別の年になる。万国の万引きたちよ、団結せよ」
 
これを聞いた著者は、鳥肌が立った。

「万国の万引きたちよ、団結せよ」というのは、伝説のバンド、ザ・スミスの有名な曲だという。

もちろん僕は、そんなことは全く知らないけれど、でも著者の感動は十分に伝わる。

「何よりも強く記憶に残っているのは、講堂の両端や後部に立っていた教員たちの姿だ。校長も、副校長も、生徒指導担当も、数学の教員も、体育の教員も、全員が『うちの生徒、やるでしょ』と言いたげな誇らしい顔をしてジェイソンに拍手を贈っていたのである。」
 
ブレディみかこが、息子の後ろで手を引いて、この学校を選んだわけが、分かるというものだ。
 
しかしそれでも、半分の保護者は、しかめっ面をしていたのだった。
posted by 中嶋 廣 at 16:22Comment(0)日記

最後に残る素朴な疑問――『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(1)

これはブレディみかこが、新潮社の『波』に連載しているもので、それは評判になり、今も継続している。切りのいいところで、とりあえず一冊にしたわけだ。
 
書名は、著者が、息子の机を片付けているとき、中学校に入ったばかりの彼が、ノートの隅に落書きしているのを、そのまま持ってきたものだ。

「青い色のペンで、ノートの端に小さく体をすぼめて息を潜めているような筆跡だった。

 ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー。

 胸の奥で何かがことりと音をたてて倒れたような気がした。
 何かこんなことを書きたくなるような経験をしたのだろうか。」
 
実にうまい。
 
著者の息子は、カトリックの小学校に通っていたのだが、いろいろな学校を見てまわるうちに、「元底辺中学校」と著者が呼ぶところの学校に、入ることになった。

「英国では、公立でも保護者が子どもを通わせる小・中学校を選ぶことができる。公立校は、Ofsted(英国教育水準局)という学校監査機関からの定期監査報告書や全国一斉学力検査の結果、生徒数と教員数の比率、生徒ひとりあたりの予算など詳細な情報を公開することが義務付けられていて、それを基にして作成した学校ランキングが、大手メディア(BBCや高級新聞各紙)のサイトで公開されている。」
 
イギリスも、結構あっけらかんと、子どもの学校を競わせるんだな。
 
しかし次のやり方はどんなものか。

「子どもが就学年齢に近づくと、ランキング上位の学校の近くに引っ越す人々も多い。人気の高い学校には応募者が殺到するので、定員を超えた場合、地方自治体が学校の校門から児童の自宅までの距離を測定し、近い順番に受け入れるというルールになっているからだ。そのため、そうした地区の住宅価格は高騰し、富者と貧者の棲み分けが進んでいることが、近年では『ソーシャル・アパルトヘイト』と呼ばれて社会問題にもなっているほどだ。」
 
これは実にばかばかしい。校門から自宅までの距離を測り、近い順に受け入れるというのは、正気かね。これって最終的には、親の収入次第ということでしょう。
 
子どもではなく、親の意見で学校が決まるというのは、日本でも同じことかもしれない。でも教育の世界なんだから、もう少し、なんというか、建前を尊重してはどうかね。

たとえば、子どもを立てて試験をするとか(親の試験じゃないですよ)、あるいは地域を限って、そこに住む子どもは、一括で入学を許可するとか、もう少しやりようがあると思うけど。
 
これを、ソーシャル・アパルトヘイトと呼ぶという。冗談ではない。わざわざ呼び名を付けなくても、その前に何とかしろよ。
posted by 中嶋 廣 at 14:48Comment(0)日記

韓流!――『82年生まれ、キム・ジヨン』(6)

先に上げた伊東順子の「解説」から、もう少し引いておく。

「この小説の特徴は、キム・ジヨンをはじめ、母親のオ・ミスク、祖母のコ・スンブンをはじめ、女性が皆フルネームで登場することだ。これは特別な意味を持つ。韓国社会では結婚と同時に女性は名前を失い、『○○さんの母』と単に家族の機能のように扱われる。
 ……この小説では、それぞれの女性にきちんとした名前を与えることで、彼女たちを家族の機能から切り離し、独立した一個の人間として、リスペクトする態度を見せている。」
 
なるほど、それで女性は、くっきりと輪郭が与えられているのか。そうすると、名前に付した「氏」の意味も、なんとなく分かってきそうだ。

「それだけではない。この小説では、夫のチョン・デヒョン以外の男性には名前がない。父親も祖父も名前は書かれず、すべて親族名称のみで記されている。キム・ジヨンの姉キム・ウニョンや義妹チョン・スヒョンにまで与えられている名前が、弟には与えられない。ずっと『弟』のままだ。さらに職場の同僚も、病院スタッフも、女性だけが名前を持っている。」
 
これまでの文学が、ともすれば男だけのものだった、というのを照らし出す意味で、これは実に効果的である。
 
訳者の斎藤真理子が、あとがきに書いている。

「小説らしくない小説だともいえる。文芸とジャーナリズムの両方に足をつけている点が特徴だ。リーダブルな文体、ノンフィクションのような筆致、等身大のヒロイン、身近なエピソード。統計数値や歴史的背景の説明が挿入されて副読本のようでもある。『文学っぽさ』を用心深く排除しつつ、小説としてのしかけはキム・ジヨンの憑依体験に絞りこんで最大の効果を上げている。」
 
訳者だから当たり前と言えば言えるけれど、この小説の効果を、十全に語って過不足がない。
 
最後に一つ、キム・ジヨンという名前について、印象に残る話がある。

「これは、一九八二年に出生した女の子の中でいちばん多い名前がキム・ジヨンだったことから決まった名前である。」

「訳者あとがき」の最後を飾るにふさわしい話だ。
 
いま韓国と日本は、第二次大戦の徴用工や従軍慰安婦のことで亀裂が入り、それが日韓の輸出入の問題や、果てはアメリカを巻き込んだ防衛問題にまで拡大し、そのあげくに検察と敵対して、韓国の法務大臣の疑惑が取りざたされている。
 
個々の局面では、日本と韓国で、いろんな人がいろんなことを言いたいのは判る。しかし大枠のところで見れば、日本人の僕にしてみれば、文在寅〔ムンジェイン〕大統領は本当にダメな奴だ、とついつい言いたくなる。
 
しかしこれは、ネットのニュースが、もっぱら世論をリードしているので、実は危うい。
 
池上彰が、『令和を生きるー平成の失敗を越えてー』の中で語っていたように、ネットのニュースは圧倒的に産経新聞が強い。だから知らない間に、そちらへ流されてしまう。
 
そういうときに、チョ・ナムジュの『82年生まれ、キム・ジヨン』を読むのは、韓国を知るのと同時に、振り返って日本を見、どちらからも距離をおいて、頭を冷やすには格好の読書だといえる。

(『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ、斎藤真理子・訳
 筑摩書房、2018年12月10日初刷、2019年3月5日第7刷)
posted by 中嶋 廣 at 09:17Comment(0)日記

韓流!――『82年生まれ、キム・ジヨン』(5)

会社の中でも、キム・ジヨン氏は努力した。企画チームの新たなプロジェクトは、会社の中核を担うと思われていたから、ぜひともやりたかった。

でも社長は、同期の二人の男性を入れて、キム・ジヨン氏と、もう一人の女性をはずした。
 
社長は、女性にとって業務と結婚生活や、特に育児との両立が、難しいことを知っていた。だから女性社員は、初めから外したのだ。
 
女性が働きやすくするために、福利厚生に力を入れるよりも、男性社員をそのまま働かせた方が効率的だ、というのが社長の判断だった。

「事業家の目標は結局お金を稼ぐことだから、最小の投資で最大の利益を上げようとする社長を非難はできない。だが、すぐ目の前に見える効率と合理性だけを追求することが、果たして公正といえるのか。公正でない世の中で、結局何が残るのか。残った者は幸福だろうか。」
 
ここは短く書かれているので、これだけだが、実はかなり深い議論を、やろうと思えばやれる、ということである。
 
この社長は、目先の効率と合理性を追求して、どこまでもそれで行こうとするが、果たしてそれでよいのだろうか。資本主義が成熟していないところでは、しばしはそれで、企業は転ぶ。
 
利いたふうなことを言っているが、僕が出版社の社長としてやっているときも、今からみれば、「すぐ目の前に見える効率と合理性だけを追求」して、他には何も見えなかったことが多々ある。最終的に、自分にとっての本、という形を目指していたので、それほど大きな間違いはしなくて済んだが、今思えば冷や汗が出る。
 
社長の言の後半に、世の中の「公正」という問題が出てくる。これについては、議論することが、本当にワンサカある。

著者の言う「公正でない世の中で、結局何が残るのか。残った者は幸福だろうか」というのも、そのうちの大きなテーマである。でも本書は、そちらへは流れていかない。

キム・ジヨン氏は、やがて妊娠する。夫婦は生まれてくる子どもを、男女どちらでもよいと思っているが、親や親戚は男の子を願っていた。

「おなかの子が娘であることがわかった瞬間、これからストレスがたまるだろうなという予感がして、ちょっと気が重くなった。キム・ジヨン氏の母はすぐさま、次に息子を産めばいいよと言い、チョン・デヒョン氏の母は大丈夫と言った。そんなこと言われたら、全然大丈夫ではない。」
 
最後の言葉、可笑しいですね。
 
いずれにせよ、キム・ジヨン氏の行く手には、どよんと大きな塊が、これからもついてまわることだろう。
 
これは、日本人の女の場合も、そして見方を変えれば、男の場合も、同じことだ。日本の場合も、男女は同権ではない。
posted by 中嶋 廣 at 08:50Comment(0)日記

韓流!――『82年生まれ、キム・ジヨン』(4)

キム・ジヨン氏は2005年に大学を出たが、就職では本当に苦労した。ある就職情報サイトが、100余りの企業を調べたところによると、女性の新入社員の比率は、なんと29・6パーセントだった。

「キム・ジヨン氏はすっかり霧に閉ざされた狭い路地に立っているような気分だった。企業が下半期の公開採用を始めると、霧は雨に変わり、素肌めがけて降り注いできた。」
 
このあたりはなかなか、就活の苦しさがよく出ている。

「それ以後も何度となく面接を受け、ときに外見のことを言われたり、服装について下品な冗談を言われたりし、体の特定の部位へのいやらしい視線や不要な身体接触なども経験した。そして就職は決まらなかった。」
 
すっかり気落ちしたキム・ジヨン氏に、父はこう言った。

「おまえはこのままおとなしくうちにいて、嫁にでも行け。」
 
キム・ジヨン氏は、もうご飯も喉を通らなくて、どうしようもなかった。
 
そのとき突然、母のオ・ミスク氏が激怒する。

「……がん、と固い石が割れるような音がした。母だった。母は顔を真っ赤にして、スプーンを食卓にたたきつけた。
『いったい今が何時代だと思って、そんな腐りきったこと言ってんの? ジヨンはおとなしく、するな! 元気出せ! 騒げ! 出歩け! わかった?』
 母があまりにも興奮しているので、キム・ジヨン氏はとりあえず激しくうなずき、心の底からの同意を表すことで母をなだめた。父はうろたえたのか急にしゃっくりをしはじめたが、そういえば父がしゃっくりをするのを見たのはこのときだけだ。」
 
ここはなかなかいい場面だ。この物語の中心に、母のオ・ミスク氏がいることが、強烈に印象付けられる。
 
この本を型にはまったフェミニズム小説、と片付けられないのは、著者がこういう場面で、冴えを見せるからだ。
 
苦労した果てに、キム・ジヨン氏は、小さな広告代理店に職を得る。しかしまた、ここでも難ありなのだ。
 
相手先の広報部長と打ち上げで飲んだとき、キム・ジヨン氏は屈辱に耐えねばならなかった。

「キム・ジヨン氏は顔の形もきれいだし鼻筋も通っているから二重まぶたの手術さえすればいいなどと、ほめているのかけなしているのかわからない外見の話が延々と続く。恋人はいるのかと聞いたかと思えば、ゴールキーパーがいてこそゴールを決める甲斐があるとか、一度もやったことのない女はいるが一度しかやったことのない女はいないとか、笑えもしない十八禁のジョークを連発する。そして何より、ずっと酒を強要する。」
 
かなり下品だけれとも、これなら日本人も負けてない。上には上が、いや、下には下がいるものだ。これは世界中、どこも同じことのような気がする。
 
だからまあ、#MeToo運動が、世界中で起こったんだろうが。
posted by 中嶋 廣 at 09:21Comment(0)日記

韓流!――『82年生まれ、キム・ジヨン』(3)

学校へ行くようになっても、大変なことは起こる。

「学校さえ安心できなかった。無理やり腕の内側に手を入れてつねったり、すっかり育ちきった女子生徒のお尻をたたいたり、ブラジャーの紐が横切っている背中の真ん中を撫でたりする男性教師が必ずいたからだ。」
 
うーん、これは本当かなあ。小説用の脚色じゃないかな。そう思いたい。

もちろん少数の変態教師は、いつでもいるだろうけど。そしてそれを、野放しにしておいちゃいけない、とは思うけど。
 
またバイトをしようとすれば、時にきわどいことになる。

「服装や勤務態度を理由に、バイト代を盾にとって接近してくる雇い主や、商品と同時に若い女をからかう権利も買ったと錯覚しているお客が山のようにいたからだ。女の子たちは自分でも気づかないうちに、男性への幻滅と恐怖を心の奥にどんどんためこんでいった。」
 
これは#MeToo運動が、アメリカやヨーロッパで盛り上がってくると、それに呼応して韓国でも、社会の様々なところに、浮かび上がってきたのだろう。

日本でもありそうなことだが、あまり聞かない。あるいは、僕だけが知らないのか。
 
伊東順子がこの本の「解説――今、韓国の男女関係は緊張状態にある?」を書いていて、これが優れている。僕なんかの知らないことだらけだ。そこに、#MeToo運動のことが出てくる。

「文在寅〔ムンジェイン〕大統領の新政権が発足した年の年末から始まった#MeToo運動は、その発祥の地である米国をはるかに超える破壊力をもって、韓国社会を席巻したのである。
 米国ではハリウッドから始まった運動が、韓国では権力の中枢である検察から始まった。その後に芸能界、政界、大学、映画、演劇、文学等、韓国社会のあらゆる分野を巻き込んだ。次期大統領候補は政治生命を断たれ、人気の俳優は自ら命を絶った。ノーベル文学賞候補とも言われた詩人の作品は教科書から削除された、だけじゃない。それ以外にも、多くの人々が告発を恐れて活動を停止したり、発言を控えるようになった。」
 
こういうことは、日本では、大々的には起こらなかった。その理由は判らない。
 
この本は、こういう大きな流れをよくとらえているが、著者のチョ・ナムジュが本当に優れているのは、些細なことを忘れずに書き留めるところだ。
 
夜遅くなったキム・ジヨン氏が、バス停で男子学生と揉め事を起こしそうになる。そこを、女の人に助けられる。
 
あとで、その女の人に、お礼を言おうと思ったとき、こういう言葉をかけられる。

「でもね、世の中にはいい男の人の方が多いのよ。」
 
さりげない一言だが、キム・ジヨン氏だけではなくて、僕、すなわち読者の方も救われる。
posted by 中嶋 廣 at 09:13Comment(0)日記

韓流!――『82年生まれ、キム・ジヨン』(2)

キム・ジヨン氏には弟がいるが、本当は、その前に妹がいた。
 
しかし妹は、生まれてくることができなかった。夫やその母親が、どうしても男の子が欲しいと言い、妹は望まれていなかったのだ。

「性の鑑別と女児の堕胎が大っぴらに行われていた。一九八〇年代はずっとそんな雰囲気が続き、九〇年代のはじめには性比のアンバランスが頂点に達し、三番め以降の子どもの出生性比は男児が女児の二倍以上だった。」
 
これは本当のことなんだろうか。本当、なんだろうね。
 
1982年には、女児100人に対し、男子106・8人、1990年には、男子116・5人となっている。
 
要するに、上が姉妹の場合には、下は倍以上の割合で男が生まれている。それだけ女は望まれていないのだ。

「母は一人で病院に行き、キム・ジヨン氏の妹を『消し』た。それは母が選んだことではなかった。しかしすべては彼女の責任であり、身も心も傷ついた母をそばで慰めてくれる家族はいなかった。」
 
男の子を望む、そういう雰囲気は、日本では何年くらいまで、あったのだろうか。あるいは、今もそうなのか。日本では、都会と田舎では違うと思うけども、どうなんだろうか。
 
いま、僕や僕の周りで、比較して女子よりも男子がいいと思う人間は、いないと思う、たぶん。しかし田舎の旧家あたりでは、いまも、どうなんだろうね。

それでも1980年代、90年代の韓国のようなことには、なってないんじゃないか、と思いたい。

ともかく韓国では、場合によっては生まれる前から、男女は生き死にの問題で、強烈に差別されている。

生まれてからもそうだ。

「炊き上がったばかりの温かいごはんが父、弟、祖母の順に配膳されるのは当たり前で、形がちゃんとしている豆腐や餃子などは弟の口に入り、姉とキム・ジヨン氏はかけらや形の崩れたものを食べるのが当然だった。」

「傘が二本あれば弟が一本使い、姉妹は一本で相合傘をする。かけ布団が二枚あれば弟が一枚かけ、姉妹は二人で一枚にもぐる。お菓子が二つあれば弟が一個食べて姉妹が残りの一個を分け合う。
 実際のところ幼いキム・ジヨン氏は、弟が特別扱いされているとか、うらやましいとか思ったことはなかった。だって、初めっからそうだったのだから。」

これでは、戦争前の日本ではないか。

こういうのは韓国では、いつごろまで続いたのだろう。それとも、まだやっていたりして。それはそれで、ぞっとする話だ。
posted by 中嶋 廣 at 09:28Comment(0)日記