詩人にして哲学者、そして大阪漫才師――『夏物語』(4)

「『夏物語』は全編が、静かな、押さえた調子で、540頁の中で、破綻したところが全くない。まあ未映ちゃんはプロの書き手やから、当たり前といえば当たり前やけど、しかし全編、静かな、緊張を含んだ、詩的文章なんやね。それが後半、終わりに来て、ぐっと盛り上がってくるわけよ」

「夏子が、バイト先で同僚やった紺野さんと、再会するあたりやね。あれはなかなかのもんや。日本全国、どのくらいの女が、そういう環境におかれとるんやろな」

「紺野さんは子供がいて、亭主との仲は冷え切ってる。ほんで自分の親のことを、こういうふうに言うんや。
『「たとえばうちの父親っていうのがこれ、典型的な田舎の暴君だったの。男尊女卑とか女性蔑視なんて言葉が世間にあるってことも知らないで済むような、まんま地で生きてるようなそんなやつだったわけ。わたしらなんて物も言えない感じで育ったよね。子どもでおまけに女なもんだから普通に人だと思ってないし、母親の名前なんか呼んだの聞いたことないよ。……そう、私の母親って『まんこつき労働力』だったんだよ」
「すごいワードきたね」わたしは言った。
「そう?『まんこつき労働力』、わたしの母親はまじでそれだった。そのまんまだった。『まんこつき労働力』、ぜんぜん言うよ」
「『産む機械』的な物ですらなくて、もはや運動なのかっていう」』
ここはなかなか迫力のある対話や」

「産むということに対して、ある種の女は、なぜ徹底した拒否の姿勢を取るか、という理由やね。紺野さんは一児の母であり、しかし旦那との仲は冷え切っていて、それでも食べていくためには、旦那に依存せざるを得ない。紺野さん自身が、子どもから同じように、『まんこつき労働力』と見なされるのは、もう間違いないやんか」

「しかし問題は、夏子の気持ちや。逢沢潤という、AID(夫以外の精子による人工授精)によって生まれた人と、話をしている場面。
『逢沢さんは黙って話を聞いてくれた。それからわたしは、子どもが欲しいと思う気持ちについて話した。現実的に考えてみれば、相手はいないし、普通の性行為だってできないし、経済的なことはもちろん、今から親になる条件なんて何もひとつもそろっていないのに、それでもこの二年近く、ずっと子どもが欲しいと思うようになっていて、そのことばかり考えていることを話した』」

「それで夏子は、逢沢潤のことを好きになるんやけど、しかし性行為はできへんし、どないもなるわけではない。
『そもそもわたしの好きは、どこにも辿り着かず、何にもつながらないひとりよがりな感情なのだ。最初からひとりで、これからもひとりであることはじゅうぶんわかっていたことなのに、それでも――わたしはわたしでがんばらなあかんねんなとそう口にしてみると、手を伸ばしたくなるものなんて何ひとつない平坦な場所に、まるでひとりきりで置き去りにされてしまったように感じてしまうのだった』
ここが夏子の、今いる場所なんやけども、非常に明晰に描写されてて、しかも大阪弁で、感心したわ」
posted by 中嶋 廣 at 09:45Comment(0)日記