詩人にして哲学者、そして大阪漫才師――『夏物語』(3)

もう麦茶でのうて、ビールがええな、とNやん。僕は片側が麻痺していて、動けないので、Nやんに言って、冷蔵庫から勝手に持ってこさせる。

「この作品は、『乳と卵』の第二バージョンが第一部で、それから8年後の、2016年夏から、19年夏までの3年間が、第二部や」

「最初に主人公と絡むのは、文芸編集者の仙川涼子やけども、この人は編集者として、一本筋が通ってる。夏子の小説を、テレビで取り上げたから、偶然6万部を超えるヒットになったわけやけども、それを見て連絡してくるのが、仙川や」

「そこで、こんなことを言うんや。
『あの小説の何が素晴らしかったのか。どこにあなたの署名があったのか。それは設定とかテーマとかアイデアとか、死者とか震災以後とか以前とか、そういうものじゃないんです。それは、文章なんです。文章の良さ、リズム。それは強い個性だし、書きつづけるための何よりも大きなちからです。あなたの文章には、それがあると思う』
ちょっとお前が言いそうなセリフや」

「俺は文芸編集者じゃないから、表立ってそういうことは言わん」

「それでも、著者として立って行くには、必要なこととして、文体が絶対の条件や、と思てるんと違うか」

「それはまあそうや。人文書の場合は、文体ということは、表だって正面には出てこん。せやけどたとえば、養老孟司さんを見てみいや。何が魅力か、一目瞭然や」

「ほんなら、著者を選ぶ際に、それとは知られずに、二重の基準をかけるわけやな」

「さあ、そこは難しい。内容が独創的であれば、文体は、俺の方で直して、つまりリライトしてしまう、ということもある。人文書の場合は、そういう原稿手入れやゲラの直しに、かなりの時間をかけることがある」

「お前が編集した、鷲尾賢也さんの『編集とはどのような仕事なのか』の中で、原稿の毛羽立ちを整えていくのは、編集者の重要な作業であり、またそれにかかる時間も、厖大なものや、というのは、そうゆう意味なんやな」

「まあ、そうや。それにしても、仙川編集者というのは、第一級の役者やね。
『私が言ってるのは……実のある、持続力のある、強くて信頼するに足る運です。わたしはあなたの作品のために、それを用意できる。わたしとなら、もっといい作品を一緒につくれると思う。それで――会いに来たんです』
一度でも言うてみたかったセリフや」

「お前は言わんでも、全身から、そういう空気を発散してたけどな」

「いや、そんなことはない。やっぱり一抹の不安は、拭えんかった。この著者は、僕でええんやろか、ということや。養老孟司さんや、池田晶子さんや、森岡正博さんや、島田裕巳さん……どの著者にも、そういうところは見せんかったけども、でも考えてみたら、いつも、何というか、緊張してたなあ」

「それはまあ、仕事ちゅうのはそういうもんやないか。それよりも、編集者とおおてるときの、夏子の心理が面白い。
『……こんなふうに編集者とときどき会うことにもあんまり意味がないと思わなくもないのだけれど、しかしそれとなく水をむけられて、今はこういう部分を書いている、というようなことを独りごとみたいにぽつぽつと話したりするうちに、ごちゃごちゃと絡まって停滞していた部分が整理されたり、そうだったのかと気づいたり、自分でも意識していなかった流れを発見するようなこともあったりして、それはとてもありがたいことなのだった』
これはもう、編集者にしてみたら、涙が出るくらいうれしいもんやと思う」

「ここはほんまに、川上未映子の本音やろうね」
posted by 中嶋 廣 at 14:49Comment(0)日記