詩人にして哲学者、そして大阪漫才師――『夏物語』(1)

長い梅雨が明けると、突然、真夏日がやって来る。そんな中をNやんが、大坂からやってきた。

「いや、どうも暑いなあ」
 
と僕が言うと、そんなことには構わず、

「ミエちゃんの、読んだか」
 
どうもすごい勢いである。

「ミエちゃんて、川上未映子かいな」

「うん。関西ではみんな、未映ちゃんと呼んでる。それで読んだんか」

「読んだ」

「どや」

「『夏物語』、傑作やね、それも超の付くような」

「せやろ。せやからお前と、じっくり語り合おう、思うて来たんよ」

「しかし『乳と卵』のときは、これを焼き直して、第一部として、もう一回使おうとは、考えてないはずやから、そうすると、主人公の夏子ちゅう名前は、なんというか、奇跡的やなあ、うーん、『夏物語』か」

「そうやけど、今度のは、『乳と卵』の登場人物だけを借りて、なんとなく、別の物語になってると思わへんか」

「うん。まあ、一言でいうと、古代ギリシャのシュンポシオンやね」

「むむっ、なんやそれは」
 
Nやんは、ちょっと戸惑う。

「主人公も含めて、女が子どもを産むことについて、登場人物が一人ずつ、限界まで喋り倒すわけや。シュンポシオンは、『コトバンク』によれば、『プラトンが,酒席で行われた〈愛〉をめぐる討論を内容とする著書(《饗宴》)の題名にシュンポシオンの語を用いてから,親しい雰囲気のなかで行われる論議をこう呼ぶようになった』とある」

「なるほど、未映ちゃんは、哲学者にして詩人やから、ドンピシャやね」

「哲学者にして詩人、そんでもって大阪の漫才師や」
 
Nやんが、そこでニヤリと笑った。

「ほんまに、おもろうておもろうて、どもならん」

「オレが笑いが止まらんのは、二か所。初めのところと、大詰めのクライマックスや」

「せや。まず第一部やけど、これもやっぱり、母親の巻子と、娘の緑子が、自分の頭を卵かけにしてまう、第一部のクライマックスの少し前や。しかしその前に、第一部は『乳と卵』を作り替えて、使うてるけども、これについてはどう思う」

「ええんとちゃう。作り替えるというても、実に繊細に手を入れてて、『乳と卵』とは、はっきり言うて、微妙に、というか、かなり違う。それに時期も、『二〇〇八年 夏』と特定してある」

「うん、なによりも、小見出しをつけることによって、話が立体的になったわ」

「それに『乳と卵』とは違って、こんどは夏子の意志は、文章を書いて生きてゆくことや、とはっきりしてる」

「そこ、読むで。
『……そんなもやのなかを歩いていると、おまえはこのまま進むのか、それとも引き返すのかを問われているような、そんな気がしてしまう。もちろん世界の側がわたしに関心があるなんてことはないのだから、これはどこにでもある自己陶酔だ。何を見ても、見なくても、感傷的な物語を立ちあげてしまうこの癖は、わたしが文章を書いて生きていきたいと思うこの気持ちの、足をひっぱるものなのか、それとも応援するものなのか。今はまだよくわからない。でも、いつまでわからないでいられるだろう。それもまだわからない』
どや、ええやろ」

「うむ、見事なものや。これ、川上未映子の本音と違うか」
posted by 中嶋 廣 at 08:59Comment(0)日記