斎藤美奈子の孤独な闘い――『日本の同時代小説』(6)

読み方が変わったのは、僕の方の問題だろうか。

「八〇年代のさまざまな実験を経て、九〇年代初頭、文学界の周辺では『もう書くことは残っていない』とさえ囁かれていました。しかし、有形無形の壁にはばまれ、差別と偏見の中にいる女性には、書くべき材料がいくらでもあった。書かれていないことだらけだった、といってもいいでしょう。」
 
そういう女性作家に共感するだけの力が、僕にはなかったということか。
 
個人的なことを言えば、90年代は、2人いる子どもは小学生だった。会社は、京都の法蔵館という仏教書の出版社で、僕はその東京事務所で、仏教書とは微妙にずれたものを編集し、それを売り、正直、悪戦苦闘していた。小説どころではなかった。
 
というのは、言い訳だろうか。
 
しかし男の作家も、苦労してはいる。

「……コギャルブームに便乗し、村上龍は『ラブ&ポップ』(一九九六)なんていう、オッチョコチョイな小説まで書いてしまった。『ラブ&ポップ』は渋谷の女子高生に取材した、論評のしようがないオヤジ目線の風俗小説です。」
 
そんなことはなかった。これは、ふかふかな、またひりひりする、手触りのある小説だった。
 
僕もまた、「オヤジ目線」の小説に毒されているのかと、田中晶子に聞いてみると、『ラブ&ポップ』は名作だと押していた。
 
ただし、こういうのもある。

「丸谷才一『女ざかり』(一九九三)も忘れられません。女性の社会進出という掛け声に便乗したか、『女ざかり』は新聞社の女性論説委員を描いた長編小説です。しかし主人公の南弓子は論説委員とも思えぬ妙な発想の持ち主で、これもまた失笑ものだった。ま、よくも悪くも、女性が注目された時代だったということです。」
 
この小説は、おぼろげにしか覚えていない。つまらなかったのだ。

それにしても、丸谷才一までもが便乗するとは、しかも失笑を買うやり方で。とはいっても、丸谷才一であれば、そういう珍妙な発想になってしまうのは、さもありなんか。

「九〇年代」の小説について、斎藤美奈子は、独特の言い方で捉えている。

「『進化の袋小路』という言葉をご存じでしょうか。進化のしすぎとでもいうか、アンモナイトの巻き方が複雑怪奇になったり、マンモスの牙が異常に長くなったりする現象をさします。今日の生物学では否定されつつある説のようですが、進化しすぎた生物は、自分で自分の首を絞め、生活がしづらくなって絶滅への道をたどるといわれていた。
 文学にも似たところがあります。」
 
1990年代の目だったところを、少し上げておく。
 
石原慎太郎『弟』(1999)、乙武洋匡『五体不満足』(1998八)、大平光代『だから、あなたも生きぬいて』(2000)、柳美里『命』(2000)、飯島愛『プラトニック・セックス』(2000)、妹尾河童『少年H』(1997)、R・J・ウォラー『マディソン郡の橋』(1993)、渡辺淳一『失楽園』(1997)……。
 
文学であるのも、ないのもあるが、文学作品といっても、『命』を除けば、低級で、チンケなものだ。

それよりも、どれもが凄まじい売れ行きを記録している。瞬間的なベストセラーは、ろくなものではない、という、読書する人が、すべからく持っていた、健全な常識というものが、このころまったく崩れ去ったのだ。
 
その代わり、安っぽい「涙と感動」の嵐が襲ってきた。すぐれた文学は、外に向かって涙を噴き上げる代わりに、内側でじっと静かに、何ものかに耐えているということが、忘れ去られたのだ。
posted by 中嶋 廣 at 15:18Comment(0)日記