類推と逆説は危ない――『宗教なんかこわくない!』(4)

先に述べたように、橋本治の手法で特徴的なことは、二つある。一つは「類推」であり、もう一つは、広い意味での「逆説」である。

「類推」は、どこまで行っても、深いところには届かない。水平に流れてはいくけれど、垂直運動はしない。横に流れていくだけで、対象を切り裂き、真ん中に飛び込むだけの、いってみれば、自分をかけて勝負する、ということはない。
 
これは言わば、一杯飲んでからやる、男の井戸端会議みたいなものだ。どんなに話したところで、そこから、我知らず飛翔する、または沈潜する、ということはない。

「逆説」の方も、一つの話題を、「これを反対側から見れば」と言って、微妙に論点をずらして、話を続けることができるだけだ。

「類推」と「逆説」は、本を書くための推進力にはなっても、そこに自分が飛び込んでいくための、後押しする力にはなりえない。
 
それでもときどき、僕は橋本治を読むだろう。

「近代以後の日本人に必要なことは、〝自分の頭でものを考えられるようになること〟で、〝「自分の頭でものを考えなさい」と命令する宗教を信仰すること〟ではないのである。今は〝鎌倉時代〟じゃないんだから。」
 
自分の頭がくたびれてきて、こういうふうに、言いたくなるときがある。

でも、そこで踏ん張ることが必要だ。自分の頭でぎりぎりまで考え抜き、最後に自分を、ある大きなものに、結果を含めて、任せる必要があるのではないか。

これはもちろん、任せる必要がないかもしれない。どちらになるかはわからない。

しかしそれは、麻原彰晃というふうな、チンケなものではない、けれども、人間の知力を超えたもの、であるかもしれない。

あるいは、人間には想像もつかない、美とか何とかというものかもしれない。その可能性は、いつも開いておかなければ、と思う。

橋本治は、その上手なおしゃべりによって、反面教師にはなるのだ。

(『宗教なんかこわくない!』橋本治、ちくま文庫、1999年8月24日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 09:04Comment(0)日記