橋本治は、野間賞を受賞した『草薙の剣』が、あまりに面白くないので、もうやめようかと思った。
しかし、何百冊も著書があるのに、これ一本で、そう決めるのはあんまりだと思い、もう一冊、読んでみることにする。
こんどは、オウム真理教事件を扱ったもの。この本は、新潮学芸賞を取っている。
僕は法蔵館にいるころ、『オウム真理教事件』(『別冊・仏教』8号)と、森岡正博さんの『宗教なき時代を生きるために』を作り、トランスビューに移ってからは、創業第一弾として、島田裕巳さんの『オウムーなぜ宗教はテロリズムを生んだのかー』を出版した。
森岡さんの本は、今年になって、『完全版 宗教なき時代を生きるためにーオウム事件と「生きる意味」ー』として、「完全版へのまえがき」と「二〇一九年のあとがき」を付して出版された。書き下ろしの(というのも変だが)、「二〇一九年のあとがき」は、力作で読ませる。
島田さんの『オウムーなぜ宗教はテロリズムを生んだのかー』は、創業第一弾ということもあり、書評もあちこちに出てよく売れたが、しかしあまりに大部なので、『オウム真理教事件Ⅰ 武装化と教義』、『オウム真理教事件Ⅱ カルトと社会』の、2分冊として出し直した。
以上のことから、このテーマについては、ある程度、自分の目で読めそうだと思ったのである。
では、さっそく読んでいこう。
「オウム真理教事件は、『宗教とはなにか?』という、普通の日本人ならまず考えないような問題を提起してしまった。」
これが大前提である。これはおおむね正しい、と僕は思う。
僕は、法蔵館という仏教書の出版社にいたために、オウム真理教をめぐって考えることになったが、法蔵館にいなければ、たぶん横目で見て、素通りしていたことだろう。
オウムなんて、まるっきりインチキな、いかがわしい、宗教とも呼べない宗教じゃないか、そう思っていたに違いない。
しかし続く段落で橋本が、宗教というものについて、結論を出しているのは、自分とは違う。
橋本はこう述べる。
「宗教とはなにか?
宗教とは、この現代に生き残っている過去である。」
どうして宗教が、過去のものになったかというと、西欧で科学が起こり、それが日本にも入ってきたために、科学的思考が起こり、宗教は過去のものになったのである、というのが、橋本治の考え方である。
僕は、そうは考えない。