斎藤美奈子の孤独な闘い――『日本の同時代小説』(6)

読み方が変わったのは、僕の方の問題だろうか。

「八〇年代のさまざまな実験を経て、九〇年代初頭、文学界の周辺では『もう書くことは残っていない』とさえ囁かれていました。しかし、有形無形の壁にはばまれ、差別と偏見の中にいる女性には、書くべき材料がいくらでもあった。書かれていないことだらけだった、といってもいいでしょう。」
 
そういう女性作家に共感するだけの力が、僕にはなかったということか。
 
個人的なことを言えば、90年代は、2人いる子どもは小学生だった。会社は、京都の法蔵館という仏教書の出版社で、僕はその東京事務所で、仏教書とは微妙にずれたものを編集し、それを売り、正直、悪戦苦闘していた。小説どころではなかった。
 
というのは、言い訳だろうか。
 
しかし男の作家も、苦労してはいる。

「……コギャルブームに便乗し、村上龍は『ラブ&ポップ』(一九九六)なんていう、オッチョコチョイな小説まで書いてしまった。『ラブ&ポップ』は渋谷の女子高生に取材した、論評のしようがないオヤジ目線の風俗小説です。」
 
そんなことはなかった。これは、ふかふかな、またひりひりする、手触りのある小説だった。
 
僕もまた、「オヤジ目線」の小説に毒されているのかと、田中晶子に聞いてみると、『ラブ&ポップ』は名作だと押していた。
 
ただし、こういうのもある。

「丸谷才一『女ざかり』(一九九三)も忘れられません。女性の社会進出という掛け声に便乗したか、『女ざかり』は新聞社の女性論説委員を描いた長編小説です。しかし主人公の南弓子は論説委員とも思えぬ妙な発想の持ち主で、これもまた失笑ものだった。ま、よくも悪くも、女性が注目された時代だったということです。」
 
この小説は、おぼろげにしか覚えていない。つまらなかったのだ。

それにしても、丸谷才一までもが便乗するとは、しかも失笑を買うやり方で。とはいっても、丸谷才一であれば、そういう珍妙な発想になってしまうのは、さもありなんか。

「九〇年代」の小説について、斎藤美奈子は、独特の言い方で捉えている。

「『進化の袋小路』という言葉をご存じでしょうか。進化のしすぎとでもいうか、アンモナイトの巻き方が複雑怪奇になったり、マンモスの牙が異常に長くなったりする現象をさします。今日の生物学では否定されつつある説のようですが、進化しすぎた生物は、自分で自分の首を絞め、生活がしづらくなって絶滅への道をたどるといわれていた。
 文学にも似たところがあります。」
 
1990年代の目だったところを、少し上げておく。
 
石原慎太郎『弟』(1999)、乙武洋匡『五体不満足』(1998八)、大平光代『だから、あなたも生きぬいて』(2000)、柳美里『命』(2000)、飯島愛『プラトニック・セックス』(2000)、妹尾河童『少年H』(1997)、R・J・ウォラー『マディソン郡の橋』(1993)、渡辺淳一『失楽園』(1997)……。
 
文学であるのも、ないのもあるが、文学作品といっても、『命』を除けば、低級で、チンケなものだ。

それよりも、どれもが凄まじい売れ行きを記録している。瞬間的なベストセラーは、ろくなものではない、という、読書する人が、すべからく持っていた、健全な常識というものが、このころまったく崩れ去ったのだ。
 
その代わり、安っぽい「涙と感動」の嵐が襲ってきた。すぐれた文学は、外に向かって涙を噴き上げる代わりに、内側でじっと静かに、何ものかに耐えているということが、忘れ去られたのだ。
posted by 中嶋 廣 at 15:18Comment(0)日記

斎藤美奈子の孤独な闘い――『日本の同時代小説』(5)

1989年に昭和天皇が亡くなり、平成時代が始まる。90年には、株価は下降傾向に転じ、92~93年ころには不況が実感され、「失われた二〇年」が始まる。バブル経済の崩壊である。
 
91年にはまた、アメリカ中心の国連多国籍軍が、イラクを攻撃する。日本ではこれに対し、柄谷行人、中上健次、島田雅彦、高橋源一郎ら16人が発起人となり、「湾岸戦争に反対する文学者声明」を発表する。
 
文学者が、政治的な声明を発表するのは、60年安保のとき以来だったが、もちろん、政治的には敗れる。というよりも、声明を発表することそのものに、意義があるということだ。
 
こうして見てくると、90年代は本当に、国の内外が、音を立てて変化している。
 
1989年には、東欧の動乱が始まり、ベルリンの壁が崩壊し、米ソ首脳がマルタで会談し、40年以上にわたる東西冷戦を終わらせている。
 
国内では93年に、細川護熙を首相とする、非自民八党連立政権が成立、自民党と社会党が補完勢力としてタッグを組んだ、「五五年体制」が崩れ去る。
 
こう書いてくると、90年代は文学が凋落していく始まり、と僕はぼんやりと考えていたのだが、現実がこれほど目まぐるしく変わると、文学もついて行くだけで、容易なことではない。
 
戦後すぐに始まり、そのまま90年代まで持続してきた「五五体制」は、考えてみると、大枠は非常に分かりやすかった。大半の文学者は、というか戦後ずっと、大物の文学者は、一方の極にいて、そこで創作していればよかった。
 
それが、そうではなくなる。文学史を書く斎藤美奈子の孤独な闘いも、このあたりから始まる。

「そんな時代に日本文学はどのように推移したでしょうか。
 答えを先にいってしまうと、九〇年代は女性作家の時代でした。」
 
取り上げる作家は、見出しだけ挙げていくと、「超現実を操る――笙野頼子、多和田葉子、松浦理英子」、「現実と対峙する――高村薫、宮部みゆき、桐野夏生」、「日常と非日常の狭間で――川上弘美、小川洋子、角田光代」。
 
僕が読まない作家もいる。ほとんど全作品を読んでいる作家もいる。代表作と思しき作品だけは読んでいる作家もいる。
 
ただそれまでとは、どの作家のものを読んでも、自分の力の入り方が違う。うまく言えないが、自分の全体重を乗っけて読む、という読み方ではなくなった。それはなぜ?
posted by 中嶋 廣 at 09:24Comment(0)日記

斎藤美奈子の孤独な闘い――『日本の同時代小説』(4)

その前に、第3章「八〇年代」の話を、もう少し続ける。
 
斎藤美奈子が言うように、「八〇年代の文学界は小説の実験場のような趣」があった、ということだ。
 
以下に挙げる作家たちも、さまざまではあるが、どれも現実からは、高低の差はあれ、飛翔している。
 
核戦争後を見据えた、安部公房『方舟さくら丸』(1984)、どこまでも小説が脱線する、後藤明生『吉野大夫』(1981)、『首塚の上のアドバルーン』(1989)、正常と病んだ精神の境目も、生死の境もはっきりしない、古井由吉『槿』(あさがお、1983、これは全然わからなかった)など、どのくらい分かったか怪しいものだが、しかし読んでいるときは、『槿』以外は、面白かった。
 
80年代はまた、「笑い」が復権した時代だった。
 
小林信彦がW・C・フラナガン名義で出した『ちはやふる奥の細道』(1983)、パスティーシュ(文体模写)を駆使して、ホントに面白かった清水義範『蕎麦ときしめん』(1986)、『国語入試問題必勝法』(1987)、「春って曙よ!/だんだん白くなってく山の上の空が……」の橋本治『桃尻語訳枕草子』(1987)、そしてトリは、酒見賢一のデビュー作、偽史『後宮小説』(1989)である。
 
斎藤美奈子は、次の文章で、この章を締め括っている。

「八〇年代は、出版文化が戦後もっとも輝いていた時代でした。八〇年代の後半にワープロは普及しましたが、携帯電話もパソコンもまだ希少。紙メディアが文化の最先端を走っていた。文学の『お遊び』が歓迎されたのは、そんなバックグラウンドとも無関係ではありません。意外にも、バブルは文学も後押ししたのです。」
 
問題は最後の一文である。「意外にも、バブルは文学も後押ししたのです」とは、どういう意味か。
 
読者は潤沢に、本を、文学を、購入することができたのだろうか。作家は、収入という後顧の憂いなく、文学上の冒険ができたのだろうか。
 
このころ文学作品は、本当は陰りが見えていたはずだ。80年代までは、まず雑誌に掲載され、その後、単行本になり、そうして文学全集に収録され、または文庫になったのである。
 
一片の作品が、三度または四度、稿料・印税の支払いを受けたのだ。
 
それが80年代には、文学全集の終焉を見る。
 
90年代半ばには、出版は、雑誌の不振による、構造不況に突入するのだから、やはり80年代は、頂点を極めるのと同時に、満月が欠けるのを見るように、そこから衰退していったのである。

出版は不況に強い、という、言われなき「馬鹿の一つ覚え」を、合唱していた時代が懐かしい。
posted by 中嶋 廣 at 18:21Comment(0)日記

斎藤美奈子の孤独な闘い――『日本の同時代小説』(3)

次の「一九七〇年代」も面白いが、戦後から今に至るまでを見渡してみれば、文学の頂点は、「一九八〇年代」にあった、と僕は思う。
 
80年代の文学は、しばしば「ポストモダン(脱近代)文学」と言われるが、そうして作品によっては、そういう側面もあるにはあるが、しかし、それを超えた、もっと大きなものが聳え立っている。
 
章分けの必要上から「八〇年代」に入れてあるが、70年代から活躍を始めた人に、中上健次、村上龍、村上春樹がいる。
 
この三人が揃った第3章「八〇年代」が、日本の戦後文学の頂点だったと思う。
 
中上健次はむしろ70年代だが、『岬』を突破口に、『枯木灘』、『知の果て 至上の時』を書き継いだ。
 
村上龍は『限りなく透明に近いブルー』で、いわゆる「衝撃的なデビュー」を果たしたが、僕には退屈だった。それが、1980年に『コインロッカー・ベイビーズ』を発表した。
 
これは本当に衝撃だった。立て続けに2回読んだが、いろんな思いがごった煮になるのとは別に、なにか突き抜けた、爽快な感じがした。
 
村上春樹の79年のデビュー作、『風の歌を聴け』は、会社から帰った金曜日の深夜に読み始め、そのまま7回繰り返して読んだ。読み終わると、土曜日の正午になっていた。こんなことは、後にも先にもこの一回限りだ。
 
80年代に入ると、長編第一作の『羊をめぐる冒険』(1982)や、上下巻で200万部を超えるベストセラー、『ノルウェイの森』(1987)があるが、僕にとって何ものにも代え難いのは、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(1985)だ。
 
この作品は、謎が謎を呼ぶ村上春樹の、最初の、そして最も鮮やかな世界を、提示していると思う。

80年代は、それ以外にも、小説の面白い時代だった。

大江健三郎『同時代ゲーム』(ちょっと遡って1979)、井上ひさし『吉里吉里人』(1981)、丸谷才一『裏声で歌へ君が代』(1981、ただしこれは、僕には駄作だった)、筒井康隆『虚航船団』(1984)……。小説の充実した時代だった。

斎藤美奈子はこれを総称して、80年代の文学は、「反リアリズム小説」に席巻されていた、と書く。

そして、さらに進んで、こんなことを述べる。

「八〇年代前半に『国家論的小説』が書かれたのは、おそらく平和だったからでしょう。換言すると、作者は『国家』にも『小説』にも危機感を持っていなかった。」
 
たしかに、これだけ大胆なことができるのは、小説を信じ、同時に、己の才能を信じていなければ、成り立たないだろう。
 
しかし、「国家」に危機感を持ってはいなかっただろう、というのは、そう言ってしまっていいものかどうか。僕は疑問を感じる。
 
しかし問題は、曲がり角に差しかかる「九〇年代」だ。
posted by 中嶋 廣 at 09:04Comment(0)日記

斎藤美奈子の孤独な闘い――『日本の同時代小説』(2)

斎藤美奈子の『日本の同時代小説』は、中村光夫の『日本の現代小説』とは、はっきり違う点がある。

「第一に、作家ではなく、作品を中心に考えました。第二に、純文学にいちおう重点を置きつつも、エンターテインメントやノンフィクションも対象に含めました。」
 
戦後、作家は、政治学者や経済学者などと、緩やかに連帯し、世の中を、ある方向に持って行くために、努力をした。
 
それが、60年代くらいから、協同ですることが無くなった。文学史を書く上で、作家本位に考えたところで、作家は執筆している以外に、特に何もない。
 
だから、作家ではなく、作品を中心に考えなければ、しょうがないのだ。
 
かなり単純化して言っているので、すぐに異議を唱える向きも、あるかと思うが、大枠はこのように動いてきた、と僕は思う。
 
もう一つの、エンターテインメントやノンフィクションを、この中に入れるについては、そういうものが、だんだんに隆盛を迎え、本の世界が広がったということがある。
 
純文学、エンターテインメント、ノンフィクションと、厳格に分けることが、難しくなってきたのだ。
 
逆に言えば、日本の文学は、それだけ豊かになってきたともいえよう。
 
しかし、上記二点の変化は、全体をとらえるだけでも、なかなか大変で、だから今のところ、斎藤美奈子以外には、やろうという人がいないのだ。
 
もちろん、もう一つの理由は、それを書いても、読む人は激減している、ということがある。
 
この本全体は、先にも述べたように、1960年代から2010年代まで、10年ごとに章で括って、全部で6章立てにしてある。

第1章の「一九六〇年代 知識人の凋落」は、60年安保闘争と、その敗北が、大きな節目になる。これは60年代のみならず、その後の今に至るも、日本の社会を根本から規定している。

そして端的に言って、それまでと、それからあとは、文学の位置が変わった。

「『政治の季節』の終焉と、文学の危機。二つの現象は無関係に見えて密接につながっています。六〇年代初頭まで、文学と政治は、いまよりずっと近い位置にあったからです。」
 
これは経験していなければ、分からない。当時と今とでは、作家が、読者として意識する人々と社会が違う。

「当時の知識人(大学生などの知識人予備軍を含む)にとって、文学はけっして趣味でも娯楽でも暇つぶしでもなく、『人はいかに生くべきか』『社会はいかにあるべきか』などの問題意識と結びついた大きな関心事だった。」
 
それが、安保闘争の敗北を契機に、音立てて壊れていったのだ。
 
最初の章でも、斎藤美奈子は、いろんな作品を取り上げているが、ここでは高橋和巳『悲の器』、柴田翔『されど、われらが日々――』、庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』を上げておけば、章の趣旨は分かるはずだ。
 
いずれも、「知識人の特権と使命が失効した時代に知識人いかに生くべきか」を模索して、しかしついには、はっきりとした生き方を、提示できなかったのである。
posted by 中嶋 廣 at 08:52Comment(0)日記

斎藤美奈子の孤独な闘い――『日本の同時代小説』(1)

これは出てすぐに読んだ。斎藤美奈子の文体に乗って、気軽に読み飛ばせばよい、と思っていた。
 
ところが、さにあらず。
 
1960年代から、10年ごとに章を立て、2010年代まで全6章あるうち、1990年から2000年にかけては、文学が、というよりも小説が、はっきり変質する。
 
そうして変質していった結果、これを追っていくことが、斎藤美奈子以外には、やる人がいないのではないか、そう思うようになってきた。
 
それで一度読んで、半年たって、気合を入れて読み直した(まあ、僕が気合を入れ直したところで、あまりどうということはないのだが)。
 
具体的には、「90年代」の、「進化の袋小路」に入っていたポストモダン文学と、「2000年代」の、インターネットから生まれた『電車男』などの「商品」(あえて「小説」とは呼ばない)と、「ケータイ小説」の爆発ぶりが、転機になっている。
 
何の転機かというと、僕の場合は、真面目に小説を読もうという意欲が、薄れる転機になったのだ。
 
その結果、ある時期の小説全体を俯瞰して、その批評を読もう、という気も無くなった。すくなくとも僕は、無くなった。
 
そういう中で、斎藤美奈子だけは、なお読むに値するのだ。
 
ということは、斎藤美奈子だけが、孤独に、誠実に、小説執筆の営みに、批評を武器に向かい合っているのだ。

「はじめに」の冒頭は、次の文章で始まる。

「明治以降の小説の歴史を知りたい人にとって、岩波新書の中村光夫『日本の近代小説』(一九五四)、『日本の現代小説』(一九六八)は親切な入門書、かつ便利なガイドブックです。前者は明治大正の、後者は昭和の文学史です。」
 
そう書いてあるから、中村光夫の後を継いで、1960年代から後の小説の歴史を、気楽に、というか、楽しく辿ればよいのだな、と思っていると、途中から、そうではなくなってくる。
 
その前に、中村光夫の『日本の現代小説』には、何種類か類書がある。

奥野健男『日本文学史――近代から現代へ』、篠田一士『日本の現代小説』、ドナルド・キーン『日本文学史――近代・現代篇』などがそれだが、いずれも60年代の末で終わっている。

つまり日本の小説の歴史は、1960年代末までは、広く読書人に共有されるものであったのだ。

それが今では、1960年代から今までのところは、斎藤美奈子のほかには、書く人がいなくなったのだ。それはなぜだろう。
posted by 中嶋 廣 at 10:50Comment(0)日記

類推と逆説は危ない――『宗教なんかこわくない!』(4)

先に述べたように、橋本治の手法で特徴的なことは、二つある。一つは「類推」であり、もう一つは、広い意味での「逆説」である。

「類推」は、どこまで行っても、深いところには届かない。水平に流れてはいくけれど、垂直運動はしない。横に流れていくだけで、対象を切り裂き、真ん中に飛び込むだけの、いってみれば、自分をかけて勝負する、ということはない。
 
これは言わば、一杯飲んでからやる、男の井戸端会議みたいなものだ。どんなに話したところで、そこから、我知らず飛翔する、または沈潜する、ということはない。

「逆説」の方も、一つの話題を、「これを反対側から見れば」と言って、微妙に論点をずらして、話を続けることができるだけだ。

「類推」と「逆説」は、本を書くための推進力にはなっても、そこに自分が飛び込んでいくための、後押しする力にはなりえない。
 
それでもときどき、僕は橋本治を読むだろう。

「近代以後の日本人に必要なことは、〝自分の頭でものを考えられるようになること〟で、〝「自分の頭でものを考えなさい」と命令する宗教を信仰すること〟ではないのである。今は〝鎌倉時代〟じゃないんだから。」
 
自分の頭がくたびれてきて、こういうふうに、言いたくなるときがある。

でも、そこで踏ん張ることが必要だ。自分の頭でぎりぎりまで考え抜き、最後に自分を、ある大きなものに、結果を含めて、任せる必要があるのではないか。

これはもちろん、任せる必要がないかもしれない。どちらになるかはわからない。

しかしそれは、麻原彰晃というふうな、チンケなものではない、けれども、人間の知力を超えたもの、であるかもしれない。

あるいは、人間には想像もつかない、美とか何とかというものかもしれない。その可能性は、いつも開いておかなければ、と思う。

橋本治は、その上手なおしゃべりによって、反面教師にはなるのだ。

(『宗教なんかこわくない!』橋本治、ちくま文庫、1999年8月24日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 09:04Comment(0)日記

類推と逆説は危ない――『宗教なんかこわくない!』(3)

橋本治の間違いは、端的に言って、次のようなところだ。

「宗教とは、近代合理主義が登場する以前のイデオロギーである。だから、近代合理主義が登場した段階で、宗教の生命は終わるのだ。」
 
この「だから」というところが、曲者だ。
 
宗教もまたイデオロギーである、それはいい。しかし、それ故に、近代合理主義も、一部の宗教も、同等のイデオロギーとして、我々の前に並べられてあるのだ。
 
そういうふうに考えなければ、日本ではなく世界の問題を解くときに、足掛かりになる方法が、なくなってしまう。
 
橋本治のもう一つの方法は、物事を逆に見てみる、ということである。つまり逆説ということ。

「よく考えてみればわかるのだが――『どんな宗教を信じるのも自由』ということは、ある特定の宗教が特別な力を持っていた時代にはまったく考えられないような、〝ヘンなこと〟なのである。なぜかと言えば、『どんな宗教を信じるのも自由』ということの裏には、『なぜならば、もうどんな宗教にも特別な力はない』という理由しかくっつかないからである。」
 
これは逆説というか、対偶関係というか。

A、B、C……の宗教の、いずれを信じてもいい、ということを、反対の方向から見れば、どれもドングリの背比べ、信頼するに足りない、というのだ。
 
これはもちろん、そういうことも、あるかもしれないが、しかしまた逆に、どれも信頼するに足りる、という言い方もできる。
 
これは、宗教の中身に関わることではなく、その宗教に関わってゆく主体の問題、つまり自分の問題である。
 
ただし次の問題は、よく考えなければいけない。

「宗教法人法によって免税特権を受けるということは、その〝宗教法人法〟なるものを存在させている日本国憲法の下に入るということだ。宗教は、税金を払わないことによって、自分から〝現実を超えないこと〟を認めた。宗教とは、現在そのようなあり方をするものになっているのだ。」
 
別に宗教法人法に従うからといって、日本国憲法に膝を屈したことにはなるまい、と考える人もいるだろう。
 
しかし税金の問題は、微妙だ。税を納めているならともかく、宗教法人法によって、税を納めなくてよい、というところがミソなのだ。
 
それは宗教家にとって、特権であると同時に、痛いところでもあるのだ。
 
その結果、場合によっては、次のような見方もできる。

「だから現在の〝宗教〟は、信者の親睦会であり、勉強会であり、残された古い遺跡を守る文化団体であり、『これがなくなるとどうしたらいいか分からない』と言うであろう人間のパニックをなくすための暫定機関なのである。」
 
まったくの言いたい放題、小気味よい放言で、宗教家でも、エセやもどきの類は、顔色なしである。

でも的を射ているのは、エセやもどきの宗教家の類だけだ。
posted by 中嶋 廣 at 09:19Comment(0)日記

類推と逆説は危ない――『宗教なんかこわくない!』(2)

オウム真理教は、金を稼ぐ宗教であった。

「バブルの日本を背景にした、『金さえあればなんでも出来る』という愚かな日本人の裏側を見せつける事件なのだ。」
 
たしかに、そういうことも言える。
 
そこから類推すると、オウム真理教はちゃちな会社そのものだ、と橋本は言う。

「本当に彼等は、会社日本の申し子みたいだ。……〝社員の忠誠心〟という点では、麻原彰晃という卓越した経営者の作った新しい会社〔ヴェンチャービジネス〕は、かなりのものだった。
 オウム真理教は、急速に発展して、その発展途中で無茶な業績拡大をして、そのためにあっという間に破綻した、バブル時代の〝妙ちきりんな会社〟のようなものなのだ。」
 
なるほど、読んでいくと、いかにもそういう気がする。確かにそうだなあ。
 
けれども、よく考えてほしい。外側が、いかにも〝妙ちきりんな会社〟のようだとして、では中身はどうか。
 
橋本治は、そこは全く触れていない。類推して、三流会社とオウムは、外側がよく似ているとわかっても、そこからは一歩も踏み込んでいない。
 
それはなぜか。なぜ宗教には、触れ得ないのか。

「『宗教などというものは、もう遠い昔にその存在理由を失っている』と思う私には、この事件の〝宗教〟という要素は、ただ事件の背景を混乱させるためだけのものだとしか思えない。」
 
そういうことなのである。
 
だから、全財産を投げ打って、オウムに飛び込んで、「修行」をし、果ては他人の命を殺(あや)めても、そもそも橋本には、それは考慮すべきことではない。あるいは、どういうふうに考えていいかわからない、ということになる。
 
もちろん、もろ手を挙げて、橋本治に賛成するところもある。

「あれを平気でやれるあの集団が〝都会的なセンスの持ち主〟でないことだけは確かだろう。私がオウム真理教を恐怖するとしたら、その理由は、あの信じがたいほどの美意識の欠落にあるのだけれど、それをそうとは思わない人間達も、また一方には大勢いるのだろう。」
 
そこは本当にそう思う。第一印象が、汚い、限りなく汚い、というのは、心に深く留め置いていいことだ。
 
けれども橋本治は、そこから類推して、田中角栄が総理大臣になったとき、メディアが、万歳の大合唱をしたことを思い出す。だから田中角栄的人間を、「信仰」する人間は嫌いなのだ、というところに話を持ってゆく。
 
橋本治の本を読む人間は、たいてい田中角栄的人間が嫌いだから、そんなところへ話を落としこんではどうしようもない、とは思わないのか。
 
著者と読者が、自分はこれが嫌い、というところで、肝胆相照らしていても、しょうがないのだ。
posted by 中嶋 廣 at 11:57Comment(0)日記

類推と逆説は危ない――『宗教なんかこわくない!』(1)

橋本治は、野間賞を受賞した『草薙の剣』が、あまりに面白くないので、もうやめようかと思った。

しかし、何百冊も著書があるのに、これ一本で、そう決めるのはあんまりだと思い、もう一冊、読んでみることにする。
 
こんどは、オウム真理教事件を扱ったもの。この本は、新潮学芸賞を取っている。
 
僕は法蔵館にいるころ、『オウム真理教事件』(『別冊・仏教』8号)と、森岡正博さんの『宗教なき時代を生きるために』を作り、トランスビューに移ってからは、創業第一弾として、島田裕巳さんの『オウムーなぜ宗教はテロリズムを生んだのかー』を出版した。
 
森岡さんの本は、今年になって、『完全版 宗教なき時代を生きるためにーオウム事件と「生きる意味」ー』として、「完全版へのまえがき」と「二〇一九年のあとがき」を付して出版された。書き下ろしの(というのも変だが)、「二〇一九年のあとがき」は、力作で読ませる。
 
島田さんの『オウムーなぜ宗教はテロリズムを生んだのかー』は、創業第一弾ということもあり、書評もあちこちに出てよく売れたが、しかしあまりに大部なので、『オウム真理教事件Ⅰ 武装化と教義』、『オウム真理教事件Ⅱ カルトと社会』の、2分冊として出し直した。
 
以上のことから、このテーマについては、ある程度、自分の目で読めそうだと思ったのである。
 
では、さっそく読んでいこう。

「オウム真理教事件は、『宗教とはなにか?』という、普通の日本人ならまず考えないような問題を提起してしまった。」
 
これが大前提である。これはおおむね正しい、と僕は思う。
 
僕は、法蔵館という仏教書の出版社にいたために、オウム真理教をめぐって考えることになったが、法蔵館にいなければ、たぶん横目で見て、素通りしていたことだろう。
 
オウムなんて、まるっきりインチキな、いかがわしい、宗教とも呼べない宗教じゃないか、そう思っていたに違いない。
 
しかし続く段落で橋本が、宗教というものについて、結論を出しているのは、自分とは違う。
 
橋本はこう述べる。

「宗教とはなにか?
 宗教とは、この現代に生き残っている過去である。」
 
どうして宗教が、過去のものになったかというと、西欧で科学が起こり、それが日本にも入ってきたために、科学的思考が起こり、宗教は過去のものになったのである、というのが、橋本治の考え方である。
 
僕は、そうは考えない。
posted by 中嶋 廣 at 14:52Comment(0)日記