ヴァップドゥビウビ――『不良老人の文学論』(1)

「巨匠14年ぶり、芳醇かつ物騒なるエッセイ集」とオビにあったので、飛びつくようにして買った。84歳になる筒井康隆のエッセイ集である。
 
しかし開けてみれば、ごくごく短いコラムと、書評、オビ、推薦文、それに谷崎賞選評、三島賞選評、山田風太郎賞選評、などである。
 
考えてみれば、力の入ったエッセイを、この年になって発表するわけがない。これは、飛びついた私がバカでした。
 
それでしばらく、読まずに放ってあった。
 
しかし読み始めると、やっぱり面白い。ページを繰るのももどかしく、といった按配である。
 
たとえば、亡くなった「井上ひさしのこと」の、末尾の一文。

「まったく、彼の死によってこんなに寂しくなるのだったら、自分が死んだらどんなに寂しいことか。」
 
思わずニヤリとする。井上ひさしだって、笑っている、ような気がする。
 
あるいは「情欲と戦争ーー蓮實重彦『伯爵夫人』」の冒頭の一行。

「江戸切子のグラスで芳醇なバーボンをロックで飲んだ。そんな読後感の作品である。」
 
私はもう、脳出血になって以来、酒は飲まない。浴びるように飲んだのは、前世である。それでも、酒の記憶が残っていて、思わず舌なめずりしそうになる。そういう表現だ。
 
これは一応、ポルノなのだが、そこを評言によって、うまく飛翔させている。

蓮實さんだって、芸もなくポルノを書いたつもりはないから、こういうふうに読後感を記されれば、我が意を得たり、というところではないか。

ちなみに、この作品は読んだことはなかったが、思わず買ってみようかと思った。思っただけで、買いはしなかったが。

「わが死にかたの指針ーー山田風太郎『人間臨終図鑑➃』」、これは面白い。

「七十四歳で死んだ久保田万太郎など、赤貝の握りを咽喉に詰めて死んでいる。どれだけ苦しかったことかと思い、この死にかただけは堪忍してほしいなどと思う。」
 
これはいかにも苦しそうだが、いくら堪忍してほしいと思っても、自分の番がどうなるかは、わからないものだ。
 
ちなみに、久保田万太郎が、赤貝をのどに詰まらせた話は、この巻にはなくて、別の巻にある。
 
また『人間臨終図鑑➃』には、鋭い考察もある。

「父親の死を看取る子が多く娘であること、娘に尊敬されている父親が多く、ほとんどの息子は父親と不仲であるという山田風太郎の指摘には、なるほどと思わせられる。」
 
こう言ってしまえば、誠にその通りである。たちまち、父親を描いた娘の回想記が、いくつも浮かぶ。
 
筒井康隆は、この箇所に続けて、こう言っている。

「息子に尊敬され、八十五歳で死んだニュートンみたいに、『あとには莫大な貯金』を残して死んでやりたいものである。」
 
父親としては、こんなことくらいしか、思い浮かぶことはない。だから結局、息子は父親とは不仲なのだ。
posted by 中嶋 廣 at 09:16Comment(0)日記