戦後を体現した編集者の死――『いま、言わねばー戦後編集者としてー』ほか(6)

もう一本のコラムは、憲法九条を守るために奮闘している、Aさんという女性を巡ってである。
 
Aさんは九条を守る、ある運動体に所属しており、松本さんは、おおかた30年ほど親しくさせていただいている。

そのAさんが、あるとき安倍首相を取り上げて、「インポテンツの男の子」のようだと表現した。
 
これはAさんが、ある政治学者がそういうふうに表現したのを、「我が意を得たり……安倍を語る時これほど的確な表現はない」と書いたのだ。
 
松本さんは、これにまったく納得できず、抗議の意味の手紙を出した。

「これは相手をメクラ、ツンボといっているのと同じなのです。どんなに我慢できない安倍首相であっても、肉体的欠陥で相手をさげすむ姿勢は、在日朝鮮人にあらん限りのヘイト・スピーチを投げかける連中と、同次元にたつことになります」。
 
するとAさんからは、おっしゃる通り、ヘイト・スピーチと同じ次元に立っていた、自戒します、という返事が来た。
 
それはいいのだが、その返事に、こんなことが書いてあった。

「Aさんは、戦後七〇年、戦争に向かう根っこを断絶できるか、かなりのエネルギーがいるとのべて、『結局は選挙に行かなかった人々の無責任な行為のツケを、今、こうむっていると云う事か』と書いているのです。」
 
つまりは、こういうことなのである。本当にAさんは、そういうふうに、思っているのだろうか。

「これは『上から目線』どころか、社会運動者としてのみずからの責任のほかへの転嫁以外の何物でもありません。……自己批判のない運動体は、弱体化するしかありません。」
 
社会正義を押し立てて、運動している人たちには、この手の人が大勢いる。

また別に、М・Tさんは80歳で、八王子駅頭で、民主主義の危機を訴えて、ビラ配りをしている。年齢を考えると、これは本当に頭の下がることである。

しかし、そのビラの終わり近くに、M・Tさんは、こんなことを書いている。

「米軍の事情で天から降ってきたような平和憲法で守られたことが理解できない民度の低い、思考停止族と一緒にすり鉢の底へ行きたくない」(大意)。
 
これもさっきの、自分の意見とは異なる人に、責任を押し付けるのと一緒である。

「ビラなどに関心を示さない、あるいは『五割の沈黙者』に対し、民度の低い思考停止族とは、よくも言えたものです。……このような傲慢な発言をみとめるわけにはいきません。わたしたちに問われるのは、他に責任をなすりつけることではなく、自己批判を恐れず、失敗を直視し、一人でも多くの人びとと連帯する道を歩むことではないでしょうか。」
 
松本昌次さんは、救急車で緊急搬送された後も、死ぬ直前まで、この本のゲラを直していたという。
 
私もそんなふうに死にたい、と思う。

(『いま、言わねばー戦後編集者としてー』松本昌次、一葉社、2019年3月15日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 13:52Comment(0)日記