もう一つ、経済学の教科書には、出ていないことがある。それはインターネットによる、ビットコインの話である。
「インターネットが到来すると、権威に反抗する進歩的な人々の中に、民主的で安全で正直で、物理的な形を持たずコンピュータとスマートフォンの中にだけ存在し、中央で統制する人のいないデジタル通貨の構想が生まれた。」
これだけでは、何のことかわからない。アルゴリズムが、どうたらこうたら書いてあるけども、よくわからない。
デジタル通貨の構想は、次のようなものらしい。
「ビットコインに参加するすべての人がそれぞれのコンピュータの処理能力を利用することで、全体として取引を監視できる。全員が自分以外の人のすべての取引を監視し、その正当性を担保しているが、誰の取引かを知ることはできないので、プライバシーは守られる。世界中の多くの人がこのアイデアに熱狂し、ビットコインに参加した。」
うーん、やっぱりよくは分からない。
ただコンピュータで取引を監視でき、全員が、自分以外の人のすべての取引を監視することができる、というのは、一見すばらしいことのようだが、僕は願い下げにしたい。
自分以外の人のすべての取引を、監視するなんて、そんなことしたいかね。自分の人生を、そういうふうに、金のために浪費したくはない。
でもそこから、新しい経済学が生まれてくることは、わかる気がする(あくまでも、気がする、だけですよ)。
著者は結局、どういうことを言いたいのか。
「いま、もし人間と地球を救う望みが少しでもあるとすれば、市場社会では認められない経験価値をもう一度尊重できるような社会にするしかない。」
これは、経済学の分野を、充分に超えた話ではないだろうか。
さらにその先には、こんなことも言う。
「市場社会は人間の欲望を永遠に生み出し続ける。
その最たる例がショッピングモールだ。その構造、内装、音楽など、すべてが人の心を麻痺させて、最適なスピードで店を回らせ、自発性と創造性を腐らせ、われわれの中に欲望を芽生えさせ、必要のないものや買うつもりのなかったものを買わせてしまう。そう考えると、どうしても嫌悪を感じざるを得ない。」
こういうのは、どういうものかね。たまの日曜日、父親と母親が子供の手を引いて、にこやかに笑いながら、ショッピングモールを、あれこれ覘いてみてまわる。ごく日常的な光景だ。
これを、「自発性と創造性を腐らせ」ることだ、といえるだろうか。欲望を芽生えさせ、買うつもりもなかったものを、買わせてしまう、悪魔のささやきなのだろうか。
僕はもう、脚が悪いので、駅前のショッピングモールを、楽しんで歩くことはできない。だからこれを、著者に倣って、嫌悪を感じる光景と呼んでもいいのだが、それはいかにも、いじけている。現代の人ではない。
「市場社会の求めに応じて行動するか、あるいは頑なにあるべき社会の姿を求めて行動するか、つまり、アルキメデスのように社会の規範や決まりごとから一歩外に出て世界を見ることができるかどうかが、決定的な違いになる。」
一歩外へ出て世界を見る、それは確かに極めて重要で、貴重な視点になるだろう。しかしそれは、もはや経済学ではない。
(『父が娘に語るー美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすいー経済の話』
ヤニス・バルファキス著、関美和訳、ダイヤモンド社、2019年3月6日初刷、4月17日第5刷)
これは反経済学か?――『父が娘に語る―美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい―経済の話』(2)
並みの経済の本とは違うものを、と言いながら、それにしては、「経験価値」のところを除いては、いかにも経済の本らしいことが並んでいる。
しかし一つだけ、目新しいことがある。
「……18世紀のイギリスで起きた『大転換』と同じくらい過激な社会変革が必要なのだ。
いま、われわれはそんな大転換の最中にいる。デジタル化と人工知能による機械化と自動化が社会を根本から変えている。」
これをどう考えるか。この劇的な大転換によって、格差や貧困は、なくなっていくのだろうか。
「ある意味、世界はそれとは逆の方向に向かっているようだ。機械は休むことなく働いて、驚くべき製品を大量につくりだしているが、われわれの生活は楽になるどころかますますストレスの大きなものになっている。」
これは、従来の経済学が、扱ってこなかった分野ではないだろうか。
「企業はイノベーションによる競争を強いられ、われわれのほとんどはテクノロジーに縛りつけられ、テクノロジーに追いつかなければとますます焦っている。
……われわれは回し車の中のハムスターのようだ。どれだけ速く走っても、どこにもたどりつかない。」
それは例えてみれば、テクノロジーが人間を解放し、自由にするのではなく、映画『マトリックス』のように、人間を奴隷の状態に置くことだ。
著者は、これは経済学のこととして、いろいろと解決策を出そうとしている。
でも僕は、これは経済学を超えていることだと思う。
しかし、まず著者の提言を聞こう。それは、すべての人に恩恵をもたらすような、機械の使い方について、である。
「簡単に言うと、企業が所有する機械の一部を、すべての人で共有し、その恩恵も共有するというやり方だ。たとえば機械が生み出す利益の一定割合を共通のファンドに入れて、すべての人に等しく分配してはどうだろう? それが人類の歴史をどんな方向に変えていくか、考えてみてほしい。」
これはうまくやれれば、素晴らしいことだ。
人間らしさを損なうことなく、一握りの権力者たちの奴隷になることもなく、自分たちが生み出した機械の主人に、みんながなれるようにすること。
でも、どういう道筋を通れば、そういうふうになれるのか。絵空事ではなく、そんなことができるんだろうか。
しかし一つだけ、目新しいことがある。
「……18世紀のイギリスで起きた『大転換』と同じくらい過激な社会変革が必要なのだ。
いま、われわれはそんな大転換の最中にいる。デジタル化と人工知能による機械化と自動化が社会を根本から変えている。」
これをどう考えるか。この劇的な大転換によって、格差や貧困は、なくなっていくのだろうか。
「ある意味、世界はそれとは逆の方向に向かっているようだ。機械は休むことなく働いて、驚くべき製品を大量につくりだしているが、われわれの生活は楽になるどころかますますストレスの大きなものになっている。」
これは、従来の経済学が、扱ってこなかった分野ではないだろうか。
「企業はイノベーションによる競争を強いられ、われわれのほとんどはテクノロジーに縛りつけられ、テクノロジーに追いつかなければとますます焦っている。
……われわれは回し車の中のハムスターのようだ。どれだけ速く走っても、どこにもたどりつかない。」
それは例えてみれば、テクノロジーが人間を解放し、自由にするのではなく、映画『マトリックス』のように、人間を奴隷の状態に置くことだ。
著者は、これは経済学のこととして、いろいろと解決策を出そうとしている。
でも僕は、これは経済学を超えていることだと思う。
しかし、まず著者の提言を聞こう。それは、すべての人に恩恵をもたらすような、機械の使い方について、である。
「簡単に言うと、企業が所有する機械の一部を、すべての人で共有し、その恩恵も共有するというやり方だ。たとえば機械が生み出す利益の一定割合を共通のファンドに入れて、すべての人に等しく分配してはどうだろう? それが人類の歴史をどんな方向に変えていくか、考えてみてほしい。」
これはうまくやれれば、素晴らしいことだ。
人間らしさを損なうことなく、一握りの権力者たちの奴隷になることもなく、自分たちが生み出した機械の主人に、みんながなれるようにすること。
でも、どういう道筋を通れば、そういうふうになれるのか。絵空事ではなく、そんなことができるんだろうか。
これは反経済学か?――『父が娘に語る―美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい―経済の話』(1)
著者のヤニス・バルファキスは、EUとの関係でギリシャ経済危機のとき、財務大臣を務めた人である。
このときはEUから、財政緊縮策を迫られたが、逆に、大幅な債務帳消しを主張し、世界的に話題となった。
国家間であれば、借りたものは必ず返す、と考えがちだが(そうでなければ最悪は戦争になってしまう)、そういう考え方は取らないらしい。
でも結局、財務大臣は、途中で辞めている。
オビには、「経済の本なのに、異様に面白い」とあり、カバー袖には、「読み終えた瞬間、世界が180度変わって見える――。」とある。
そこでやめときゃいいのに、カバー袖の最後に、「現代を生きるすべての人 必読の書!」とあって、ここまで来ると、眉に唾をつけたくなる。
ともかく読んでいこう。
「経済モデルが科学的になればなるほど、目の前にあるリアルな経済から離れていく……。そこでこの本は、経済学の解説書とは正反対のものにしたいと思った。」
誰もが、経済について意見を言えることが、よい社会の必須条件であり、真の民主主義の前提条件である、と著者は言う。
僕は必ずしもそうは思わないけれど、今はひとまず著者に従っておく。
第1章は、「なぜ、こんなに『格差』があるのか?」と題して、「債務」と「通貨」と「信用」と「国家」の複雑な関係を、「余剰」をキーに解き明かす。
「つまり、ユーラシア大陸の土地と気候が濃厚と余剰を生み出し、余剰がその他のさまざまなものを生み出し、国家の支配者が軍隊を持ち、武器を装備できるようになった。」
僕はこの辺から、だんだんうんざりしてくる。経済の本は、読んでいるときは、それなりに面白いが、読み終わってみると、それがどうした、読む前と後で、自分はちっとも変っていないぞ、と思ってしまう。
この本も、出だしは勇壮だけど、結局は大したことはない。
ただ価値については、交換価値と経験価値の、二面を言っているところが面白い。
「経験価値」は、通常は、経済学者が価値を置かないものだ。それは例えば、次のようなものだ。
「売り物でない場合、お笑いにもダイビングにも、まったく別の種類の価値がある。『経験価値』と呼んでもいい。海に飛び込み、夕日を眺め、笑い合う。どれも経験として大きな価値がある。そんな経験はほかの何ものにも代えられない。」
おやあ、経済学者にしては、経済に固有のフィールドから離れていくぞ。
「いまどきはどんなものも『商品』だと思われているし、すべてのものに値段がつくと思われている。世の中のすべてのものが交換価値で測れると思われているのだ。
値段のつかないものや、売り物でないものは価値がないと思われ、逆に値段のつくものは人の欲しがるものだとされる。
だがそれは勘違いだ。」
こうして著者は、経済の本から、ますます離れていってしまう。
このときはEUから、財政緊縮策を迫られたが、逆に、大幅な債務帳消しを主張し、世界的に話題となった。
国家間であれば、借りたものは必ず返す、と考えがちだが(そうでなければ最悪は戦争になってしまう)、そういう考え方は取らないらしい。
でも結局、財務大臣は、途中で辞めている。
オビには、「経済の本なのに、異様に面白い」とあり、カバー袖には、「読み終えた瞬間、世界が180度変わって見える――。」とある。
そこでやめときゃいいのに、カバー袖の最後に、「現代を生きるすべての人 必読の書!」とあって、ここまで来ると、眉に唾をつけたくなる。
ともかく読んでいこう。
「経済モデルが科学的になればなるほど、目の前にあるリアルな経済から離れていく……。そこでこの本は、経済学の解説書とは正反対のものにしたいと思った。」
誰もが、経済について意見を言えることが、よい社会の必須条件であり、真の民主主義の前提条件である、と著者は言う。
僕は必ずしもそうは思わないけれど、今はひとまず著者に従っておく。
第1章は、「なぜ、こんなに『格差』があるのか?」と題して、「債務」と「通貨」と「信用」と「国家」の複雑な関係を、「余剰」をキーに解き明かす。
「つまり、ユーラシア大陸の土地と気候が濃厚と余剰を生み出し、余剰がその他のさまざまなものを生み出し、国家の支配者が軍隊を持ち、武器を装備できるようになった。」
僕はこの辺から、だんだんうんざりしてくる。経済の本は、読んでいるときは、それなりに面白いが、読み終わってみると、それがどうした、読む前と後で、自分はちっとも変っていないぞ、と思ってしまう。
この本も、出だしは勇壮だけど、結局は大したことはない。
ただ価値については、交換価値と経験価値の、二面を言っているところが面白い。
「経験価値」は、通常は、経済学者が価値を置かないものだ。それは例えば、次のようなものだ。
「売り物でない場合、お笑いにもダイビングにも、まったく別の種類の価値がある。『経験価値』と呼んでもいい。海に飛び込み、夕日を眺め、笑い合う。どれも経験として大きな価値がある。そんな経験はほかの何ものにも代えられない。」
おやあ、経済学者にしては、経済に固有のフィールドから離れていくぞ。
「いまどきはどんなものも『商品』だと思われているし、すべてのものに値段がつくと思われている。世の中のすべてのものが交換価値で測れると思われているのだ。
値段のつかないものや、売り物でないものは価値がないと思われ、逆に値段のつくものは人の欲しがるものだとされる。
だがそれは勘違いだ。」
こうして著者は、経済の本から、ますます離れていってしまう。
村上春樹が準備するもの――「猫を棄てる――父親について語るときに僕の語ること」(2)
村上春樹の、父親追悼の言葉は続く。
「父はもともと学問の好きな人だった。勉強をすることが生き甲斐のようなところもあった。文学を愛好し、教師になってからもよく一人で本を読んでいた。家の中にはいつも本が溢れていた。僕が十代にして熱心な読書家になったのにも、あるいはその影響があったかもしれない。」
あったかもしれない、どころではない。読書家ではない父親を、春樹は持ったことはないのだから、これはどういっても、わかってもらえないけれど、僕のような人間からすれば、とにかくうらやましい。
息子が、村上春樹という作家になったことについては、父親は、どんなふうに思っていたのか。
「僕が三十歳にして小説家としてデビューしたとき、父はそのことをとても喜んでくれたようだが、その時点では我々の親子関係はもうずいぶん冷え切ったものになっていた。」
冷え切ったものになっていた、というのは、そういうことだろうが、それでも、父の喜びは、尋常のものではなかったろうと思われる。いや、そう思いたい。
学校の勉強に、身を入れることのなかった村上春樹は、ここでなぜ、父親のことを書いておきたかったか、という理由を説明している。
「僕は今でも、この今に至っても、自分が父をずっと落胆させてきた、その期待を裏切ってきた、という気持ちを――あるいはその残滓のようなものを――抱き続けている。」
もちろん、こういうことは仕方のないことだ、というのは、今にして分かる。
男の子と父親の関係は、これが正常なのだが、それでもどうしても、書いておきたかったのだ。
最後のところで村上春樹は、親と子に関して、不思議な考察をしている。
「……この僕はひとりの平凡な人間の、ひとりの平凡な息子に過ぎないという事実だ。それはごく当たり前の事実だ。しかし腰を据えてその事実を掘り下げていけばいくほど、実はそれがひとつのたまたまの事実でしかなかったことがだんだん明確になってくる。我々は結局のところ、偶然がたまたま生んだひとつの事実を、唯一無二の事実とみなして生きているだけのことなのではあるまいか。」
だから僕らは、名もない一滴の雨粒に過ぎないけれど、それは集合無意識と化して、何ものかになるだろう、というのだ。
これはどういうことだろう。ここが、僕には、すんなりと納得の行かないところだった。
だからこれが、どういう形の小説であれ、村上春樹の次に準備する作品ではないか、と思う。
(「猫を棄てる――父親について語るときに僕の語ること」
村上春樹、『文藝春秋』、2019年6月1日発行)
「父はもともと学問の好きな人だった。勉強をすることが生き甲斐のようなところもあった。文学を愛好し、教師になってからもよく一人で本を読んでいた。家の中にはいつも本が溢れていた。僕が十代にして熱心な読書家になったのにも、あるいはその影響があったかもしれない。」
あったかもしれない、どころではない。読書家ではない父親を、春樹は持ったことはないのだから、これはどういっても、わかってもらえないけれど、僕のような人間からすれば、とにかくうらやましい。
息子が、村上春樹という作家になったことについては、父親は、どんなふうに思っていたのか。
「僕が三十歳にして小説家としてデビューしたとき、父はそのことをとても喜んでくれたようだが、その時点では我々の親子関係はもうずいぶん冷え切ったものになっていた。」
冷え切ったものになっていた、というのは、そういうことだろうが、それでも、父の喜びは、尋常のものではなかったろうと思われる。いや、そう思いたい。
学校の勉強に、身を入れることのなかった村上春樹は、ここでなぜ、父親のことを書いておきたかったか、という理由を説明している。
「僕は今でも、この今に至っても、自分が父をずっと落胆させてきた、その期待を裏切ってきた、という気持ちを――あるいはその残滓のようなものを――抱き続けている。」
もちろん、こういうことは仕方のないことだ、というのは、今にして分かる。
男の子と父親の関係は、これが正常なのだが、それでもどうしても、書いておきたかったのだ。
最後のところで村上春樹は、親と子に関して、不思議な考察をしている。
「……この僕はひとりの平凡な人間の、ひとりの平凡な息子に過ぎないという事実だ。それはごく当たり前の事実だ。しかし腰を据えてその事実を掘り下げていけばいくほど、実はそれがひとつのたまたまの事実でしかなかったことがだんだん明確になってくる。我々は結局のところ、偶然がたまたま生んだひとつの事実を、唯一無二の事実とみなして生きているだけのことなのではあるまいか。」
だから僕らは、名もない一滴の雨粒に過ぎないけれど、それは集合無意識と化して、何ものかになるだろう、というのだ。
これはどういうことだろう。ここが、僕には、すんなりと納得の行かないところだった。
だからこれが、どういう形の小説であれ、村上春樹の次に準備する作品ではないか、と思う。
(「猫を棄てる――父親について語るときに僕の語ること」
村上春樹、『文藝春秋』、2019年6月1日発行)
村上春樹が準備するもの――「猫を棄てる――父親について語るときに僕の語ること」(1)
村上春樹が『文藝春秋』に、自分の父親のことを書いている。それだけでも大きな話題を呼ぶだろう。
と思ったが、しかしよく考えると、年寄り向けの『文藝春秋』だし、特に話題になることは、ないような気もしてきた。
それでも、買っちゃったものは、読まなければ。
父親は「甲陽学院という中高一貫私立校で国語の教師をしていた。」
村上春樹と父親は、大人になってからは、ほとんど断絶に近いような、間柄だったらしい。
しかし、父と息子については、ついこの前読んだ筒井康隆の言葉にもあるように、断絶に近いのが一般的だ。
それよりも、父親が甲陽学院の教師といえば、息子が村上春樹であるのは、改めて納得される。
ちなみに僕は、そのころ兵庫県の加古川に住んでおり、甲陽学院は、神戸方面ではエリート校として聞こえていた。
村上春樹と父は、たとえばこういう関係だった。
「……生前の父に直接、戦争中の話を詳しく聞こうという気持ちにもなれなかった。そして何も訊かないまま、そして何も語らないまま、父親は平成20年(2008年)に、……九十歳にして、京都の西陣の病院で息を引き取った。」
軍隊へ行った親と、その子の関係は、こういうものだろうと思う。
僕の場合も、こんなふうだった。
しかし村上の場合は、一つだけ、父親の方に、かなりショッキングな打ち明け話がある。
「一度だけ父は僕に打ち明けるように、自分の属していた部隊が、捕虜にした中国兵を処刑したことがあると語った。」
これは、小学校低学年だった春樹に、強烈に焼き付けられた。
「……父の心に長いあいだ重くのしかかってきたものを――現代の用語を借りればトラウマを――息子である僕が部分的に継承したということになるだろう。人の心の繫がりというのはそういうものだし、また歴史というのもそういうものなのだ。」
だから次に、村上春樹の書くものは、と、つい言いたくなってしまう。
「今度はガラリと趣向を変えて、志賀直哉ばりの私小説」、ということになると、これは間違いなく、並みのベストセラー以上の売れ行きが、約束されると思う。
と思ったが、しかしよく考えると、年寄り向けの『文藝春秋』だし、特に話題になることは、ないような気もしてきた。
それでも、買っちゃったものは、読まなければ。
父親は「甲陽学院という中高一貫私立校で国語の教師をしていた。」
村上春樹と父親は、大人になってからは、ほとんど断絶に近いような、間柄だったらしい。
しかし、父と息子については、ついこの前読んだ筒井康隆の言葉にもあるように、断絶に近いのが一般的だ。
それよりも、父親が甲陽学院の教師といえば、息子が村上春樹であるのは、改めて納得される。
ちなみに僕は、そのころ兵庫県の加古川に住んでおり、甲陽学院は、神戸方面ではエリート校として聞こえていた。
村上春樹と父は、たとえばこういう関係だった。
「……生前の父に直接、戦争中の話を詳しく聞こうという気持ちにもなれなかった。そして何も訊かないまま、そして何も語らないまま、父親は平成20年(2008年)に、……九十歳にして、京都の西陣の病院で息を引き取った。」
軍隊へ行った親と、その子の関係は、こういうものだろうと思う。
僕の場合も、こんなふうだった。
しかし村上の場合は、一つだけ、父親の方に、かなりショッキングな打ち明け話がある。
「一度だけ父は僕に打ち明けるように、自分の属していた部隊が、捕虜にした中国兵を処刑したことがあると語った。」
これは、小学校低学年だった春樹に、強烈に焼き付けられた。
「……父の心に長いあいだ重くのしかかってきたものを――現代の用語を借りればトラウマを――息子である僕が部分的に継承したということになるだろう。人の心の繫がりというのはそういうものだし、また歴史というのもそういうものなのだ。」
だから次に、村上春樹の書くものは、と、つい言いたくなってしまう。
「今度はガラリと趣向を変えて、志賀直哉ばりの私小説」、ということになると、これは間違いなく、並みのベストセラー以上の売れ行きが、約束されると思う。
どこまでも応援してるぞ――『うつ病九段ープロ棋士が将棋を失くした一年間ー』(4)
しばらくたって、今度は自宅で、研究会をしたときのことである。相手は中村太地。
一回目は、詰みを読み切って勝った。
「その詰みは美しかった。将棋には時に『美しい』ということがある。自然が時として人の心を揺さぶるほど美しいように、将棋の手にも美しさというものがある。……そのことをよく知っている棋士たちは、美しい手を盤上に発見した時に、芸術作品を見た時のような単純な喜びと自分がその美しさが分かるという喜びを同時に感じ、深い満足感を得るのだ。」
これは美しい文章である。
そしてこのとき、先崎は、自分は現役としてやっていけるのでは、と強く思ったという。
しかし、心配もあった。
先崎九段が、自分の将棋の中心に据えるもの、それは、いわば将棋の「感性」なのだ。それが、戻らないのだ。
「感性というのは実に曖昧なものなので説明しにくいのだが、美しい手を見た時に美しいと『感じる』能力といえるかもしれない。
……自分は棋士のなかでは感性を大事にするほうであり、修業時代からそれを中心に将棋の形を作ってきた。いわば一番の武器といえるわけで、だから大問題なのだ。」
これは先崎の、プロとしての、核心の部分である。核心の所だから、素人には判るはずもない。
しかしそれでも、この文章は感動を呼ぶ。
先崎九段は2019年の4月から、日本将棋連盟の棋士として、C級1組で指している。
今季の成績は、出だし3連敗して、やきもきさせたが、棋聖戦の一次予選で、勝利を挙げることができた。
プロの世界だから、うつだろうと何だろうと関係はないが、でも、どこまでも応援してるぞ。
(『うつ病九段ープロ棋士が将棋を失くした一年間ー』
先崎学、文藝春秋、2018年7月15日初刷、11月30日第10刷)
一回目は、詰みを読み切って勝った。
「その詰みは美しかった。将棋には時に『美しい』ということがある。自然が時として人の心を揺さぶるほど美しいように、将棋の手にも美しさというものがある。……そのことをよく知っている棋士たちは、美しい手を盤上に発見した時に、芸術作品を見た時のような単純な喜びと自分がその美しさが分かるという喜びを同時に感じ、深い満足感を得るのだ。」
これは美しい文章である。
そしてこのとき、先崎は、自分は現役としてやっていけるのでは、と強く思ったという。
しかし、心配もあった。
先崎九段が、自分の将棋の中心に据えるもの、それは、いわば将棋の「感性」なのだ。それが、戻らないのだ。
「感性というのは実に曖昧なものなので説明しにくいのだが、美しい手を見た時に美しいと『感じる』能力といえるかもしれない。
……自分は棋士のなかでは感性を大事にするほうであり、修業時代からそれを中心に将棋の形を作ってきた。いわば一番の武器といえるわけで、だから大問題なのだ。」
これは先崎の、プロとしての、核心の部分である。核心の所だから、素人には判るはずもない。
しかしそれでも、この文章は感動を呼ぶ。
先崎九段は2019年の4月から、日本将棋連盟の棋士として、C級1組で指している。
今季の成績は、出だし3連敗して、やきもきさせたが、棋聖戦の一次予選で、勝利を挙げることができた。
プロの世界だから、うつだろうと何だろうと関係はないが、でも、どこまでも応援してるぞ。
(『うつ病九段ープロ棋士が将棋を失くした一年間ー』
先崎学、文藝春秋、2018年7月15日初刷、11月30日第10刷)
どこまでも応援してるぞ――『うつ病九段ープロ棋士が将棋を失くした一年間ー』(3)
先崎を見舞いに訪れた、加藤桃子と渡辺和史の、二人の奨励会員が、目の前で将棋を指す。
「しばらく私はそばで見ていた。だが、将棋を見ても手を読むどころか、一手一手にまったく反応できないのだった。盤上に何が起きているか理解できない。異国のゲームを見ているようだった。」
先崎の脳の神経は、ずたずたになっていた。
恐ろしいのは、それで落ち込むだけの感情が、湧いてこなかったことである。
ここは本当に、息をのむ。負の感情すら、それが湧いてくるためには、エネルギーがいるのである。
それでも徐々に、良くなってはいたのである。それは、健康な自分と比べるのではなく、直近の、今よりも悪かった時期と、比べてみるのがよいのだ。
「うつ病はよくなっていると実感することがもっとも大切なのである。」
この本の価値は、先崎がよくなっていく過程で、プロの将棋に対する見方を、細かく書いていることにある。
これはたぶん、先崎も考えてなかったことだ。そしてひょっとすると、先崎には、まだこの本の本当の価値は、分かっていないかもしれない。
どういうことかというと、プロの将棋指しは、自分を作っていく過程で、いちいち自分を取り出して、見せたりはしないからだ。
たとえば、少し良くなったので、12月ごろ、思い切って将棋連盟に行くことにした。とりあえず、事務室で挨拶をして、対局室を覗いた。
「対局室に入った瞬間の感想は、空気がまだらだなあ、というものだった。静謐で澄んでいるのだが、盤の周りだけ鋭角的なエネルギーが充満している。こんなことを感じたのは初めてだった。」
そう、プロの将棋指しの周りは、このようであるらしい。
「そのうちに胸が苦しくなってきた。対局中の棋士のエネルギーは周りの人間を排除するのである。それは知ってはいたが、まさか自分がその対象になるとは思わなかった。」
これは、少し良くなってから、初めてプロの将棋を見るところである。
想い起こせば、僕も手術を終えて、3週間後に、虎の門病院から、小金井リハビリテーション病院に転院するとき、初めて車の中から外を見たときは、道路の車の列が恐ろしくて、震えあがったものだ。
これは先崎九段の場合とは、ちょっと違うけど、でも初めてということでは、共通するものがある。
「しばらく私はそばで見ていた。だが、将棋を見ても手を読むどころか、一手一手にまったく反応できないのだった。盤上に何が起きているか理解できない。異国のゲームを見ているようだった。」
先崎の脳の神経は、ずたずたになっていた。
恐ろしいのは、それで落ち込むだけの感情が、湧いてこなかったことである。
ここは本当に、息をのむ。負の感情すら、それが湧いてくるためには、エネルギーがいるのである。
それでも徐々に、良くなってはいたのである。それは、健康な自分と比べるのではなく、直近の、今よりも悪かった時期と、比べてみるのがよいのだ。
「うつ病はよくなっていると実感することがもっとも大切なのである。」
この本の価値は、先崎がよくなっていく過程で、プロの将棋に対する見方を、細かく書いていることにある。
これはたぶん、先崎も考えてなかったことだ。そしてひょっとすると、先崎には、まだこの本の本当の価値は、分かっていないかもしれない。
どういうことかというと、プロの将棋指しは、自分を作っていく過程で、いちいち自分を取り出して、見せたりはしないからだ。
たとえば、少し良くなったので、12月ごろ、思い切って将棋連盟に行くことにした。とりあえず、事務室で挨拶をして、対局室を覗いた。
「対局室に入った瞬間の感想は、空気がまだらだなあ、というものだった。静謐で澄んでいるのだが、盤の周りだけ鋭角的なエネルギーが充満している。こんなことを感じたのは初めてだった。」
そう、プロの将棋指しの周りは、このようであるらしい。
「そのうちに胸が苦しくなってきた。対局中の棋士のエネルギーは周りの人間を排除するのである。それは知ってはいたが、まさか自分がその対象になるとは思わなかった。」
これは、少し良くなってから、初めてプロの将棋を見るところである。
想い起こせば、僕も手術を終えて、3週間後に、虎の門病院から、小金井リハビリテーション病院に転院するとき、初めて車の中から外を見たときは、道路の車の列が恐ろしくて、震えあがったものだ。
これは先崎九段の場合とは、ちょっと違うけど、でも初めてということでは、共通するものがある。
どこまでも応援してるぞ――『うつ病九段ープロ棋士が将棋を失くした一年間ー』(2)
「貧困妄想」のところを読むと、僕も脳出血で病院にいるときは、うつ病になりかかっていたな、と思う。なんでも悪いほうへ、悪いほうへと、考えるものらしいが、お金の心配は、ほとんどのうつ病患者に出る症状なのだという。
先崎は、休場していた時期も、何がしかの手当てが、将棋連盟から出たという。
「お金が出ると聞いた時は本当に嬉しかった。金額の問題ではない。情感が消えたうつ病患者でも、人情は残るのである。」
このあたりの微妙な書き方は、ほんとうに見事。先のエロ動画もそうだが、金銭が及ぼす「人情」とは何なのか。興味は尽きない。
うつ病は、誰でもなりそうな気がする。僕なんかも、会社に行っているころ、面白くないことが、いくつも重なると、会社に行く気がなくなり、うつ病になりそうな気がした。
しかし、先崎九段の本を読むと、僕なんかが、うつ病になりそうといっていたのとは、まったく次元が違うものだとわかる。
「うつの不眠の辛さは凄まじいものがある。健康な時ならば本を読んだり、うとうとしたりしてやり過ごせるだろう。だがうつの時は、まず軽く眠るということができない。頭の中に靄がかかっているくせに、悪いことだけ考えられるのだ。起きながらずっと悪夢を見るよりないわけである。
……
悪い連想がおさまっても、基本的に頭の中には石が入っていて、胸には板が入っている。容赦なくそれが消えない。」
頭の中に石、胸には板とは、なんと凄まじいことだろう。
また、こういう一行もある。
「人は希望を感じるのと同じくらい、絶望を感じるのにもエネルギーがいるのだ。」
これも、うつ病と闘った人でないと、出てこない表現だ。
あるいは、すこうし良くなって、外を歩き、本屋に入ったとき、散々迷ったあげく、何も買わずに店を出たとき。
「ただ単に物を買うということ自体が途方もなく気力を必要とすることなのだった。」
そういうことなのである。
散歩もある意味、試練だ。
「ただひたすら公園を歩いた。途中何度もベンチで休みをとったが、おそらく四、五時間は歩いたのだろう。往き返りを含めると丸一日の散歩だった。これだけ歩けば大丈夫だろうと、試しにその日は睡眠薬をのまずに寝てみたが、全然だめだった。」
そしてあるとき、ふと将棋の場面を見たのだ。
先崎は、休場していた時期も、何がしかの手当てが、将棋連盟から出たという。
「お金が出ると聞いた時は本当に嬉しかった。金額の問題ではない。情感が消えたうつ病患者でも、人情は残るのである。」
このあたりの微妙な書き方は、ほんとうに見事。先のエロ動画もそうだが、金銭が及ぼす「人情」とは何なのか。興味は尽きない。
うつ病は、誰でもなりそうな気がする。僕なんかも、会社に行っているころ、面白くないことが、いくつも重なると、会社に行く気がなくなり、うつ病になりそうな気がした。
しかし、先崎九段の本を読むと、僕なんかが、うつ病になりそうといっていたのとは、まったく次元が違うものだとわかる。
「うつの不眠の辛さは凄まじいものがある。健康な時ならば本を読んだり、うとうとしたりしてやり過ごせるだろう。だがうつの時は、まず軽く眠るということができない。頭の中に靄がかかっているくせに、悪いことだけ考えられるのだ。起きながらずっと悪夢を見るよりないわけである。
……
悪い連想がおさまっても、基本的に頭の中には石が入っていて、胸には板が入っている。容赦なくそれが消えない。」
頭の中に石、胸には板とは、なんと凄まじいことだろう。
また、こういう一行もある。
「人は希望を感じるのと同じくらい、絶望を感じるのにもエネルギーがいるのだ。」
これも、うつ病と闘った人でないと、出てこない表現だ。
あるいは、すこうし良くなって、外を歩き、本屋に入ったとき、散々迷ったあげく、何も買わずに店を出たとき。
「ただ単に物を買うということ自体が途方もなく気力を必要とすることなのだった。」
そういうことなのである。
散歩もある意味、試練だ。
「ただひたすら公園を歩いた。途中何度もベンチで休みをとったが、おそらく四、五時間は歩いたのだろう。往き返りを含めると丸一日の散歩だった。これだけ歩けば大丈夫だろうと、試しにその日は睡眠薬をのまずに寝てみたが、全然だめだった。」
そしてあるとき、ふと将棋の場面を見たのだ。
どこまでも応援してるぞ――『うつ病九段ープロ棋士が将棋を失くした一年間ー』(1)
先崎学九段のうつ病体験記。
これは昨年7月に初刷が出て、4か月で10刷になっている。本当にめでたいことだ。
中身を読めば、うつから回復してくる過程で、休場している先崎九段が、この本の売れ行きによって、どれほど励まされたかが分かる。なんだか、我がことのように、心が温かくなる。
そのころの日本将棋連盟は、いわゆる「不正ソフト使用疑惑事件」で、大きく揺れていた(これは鬱陶しいことなので書かない。他で調べればすぐにわかるでしょう)。
将棋連盟の中枢の一人である先崎九段は、必死で何とかしなければと思っていた。
「そのころ、私が長年かかわった漫画作品が映画になって封切りされた。私はこの映画で、地に落ちた将棋界のマイナスイメージを払拭させてやろう、一発逆転をしてやろうと張り切って、すべての仕事を受けた。原稿、イベント、取材、ほとんど休みがなかった。
……
私は毎日、家で叫んだ。『俺にマネージャーをつけろ!』」
そうして、うつ病になった。
うつが日々、どんどん重くなっていくさまは、迫力がある。
朝がつらくなり、眠れなくなり、得体の知れない不安が大きくなる。
「決断力がどんどん鈍くなっていった。ひとりで家にいると、猛烈な不安が襲ってくる。慌てて家を出ようとするが、今度は家を出る決断ができないのだった。昼食を食べに行くのすら大変なありさまで、出ようかどうか迷った末に結局ソファーで寝込んでしまい、妻の帰りを待つという毎日だった。」
先崎にとって幸運だったのは、実の兄が、精神科の医者だったことだ。
うつ病は一年でほぼ直るが、その過程で、貴重な経験をしたことが述べられる。
「ドン底の時はとてもじゃないがシャワーなどできなかった。
……
それは不思議な感覚だった。狭いシャワー室でシャワーを浴びた時、私は少しだけ気持ちよく、そしてそのかすかな心地よい感覚にすごく懐かしいものを感じたのである。」
うつ病が治るときの、微かな感覚をよくとらえている。
雑誌などの記事は、まず読めない。でも「週刊現代」のエロ記事だけは、少し読めたのである。
「『六十歳からのエロ動画入門』とか『九十歳までSEXする為の健康法』などという記事……。その類の記事だけが、なぜかすこし読めるのだった。エロ動画もそうだが、人間の本能とはオソロシイものである。」
こういうところが、なかなか素晴らしい。
これは昨年7月に初刷が出て、4か月で10刷になっている。本当にめでたいことだ。
中身を読めば、うつから回復してくる過程で、休場している先崎九段が、この本の売れ行きによって、どれほど励まされたかが分かる。なんだか、我がことのように、心が温かくなる。
そのころの日本将棋連盟は、いわゆる「不正ソフト使用疑惑事件」で、大きく揺れていた(これは鬱陶しいことなので書かない。他で調べればすぐにわかるでしょう)。
将棋連盟の中枢の一人である先崎九段は、必死で何とかしなければと思っていた。
「そのころ、私が長年かかわった漫画作品が映画になって封切りされた。私はこの映画で、地に落ちた将棋界のマイナスイメージを払拭させてやろう、一発逆転をしてやろうと張り切って、すべての仕事を受けた。原稿、イベント、取材、ほとんど休みがなかった。
……
私は毎日、家で叫んだ。『俺にマネージャーをつけろ!』」
そうして、うつ病になった。
うつが日々、どんどん重くなっていくさまは、迫力がある。
朝がつらくなり、眠れなくなり、得体の知れない不安が大きくなる。
「決断力がどんどん鈍くなっていった。ひとりで家にいると、猛烈な不安が襲ってくる。慌てて家を出ようとするが、今度は家を出る決断ができないのだった。昼食を食べに行くのすら大変なありさまで、出ようかどうか迷った末に結局ソファーで寝込んでしまい、妻の帰りを待つという毎日だった。」
先崎にとって幸運だったのは、実の兄が、精神科の医者だったことだ。
うつ病は一年でほぼ直るが、その過程で、貴重な経験をしたことが述べられる。
「ドン底の時はとてもじゃないがシャワーなどできなかった。
……
それは不思議な感覚だった。狭いシャワー室でシャワーを浴びた時、私は少しだけ気持ちよく、そしてそのかすかな心地よい感覚にすごく懐かしいものを感じたのである。」
うつ病が治るときの、微かな感覚をよくとらえている。
雑誌などの記事は、まず読めない。でも「週刊現代」のエロ記事だけは、少し読めたのである。
「『六十歳からのエロ動画入門』とか『九十歳までSEXする為の健康法』などという記事……。その類の記事だけが、なぜかすこし読めるのだった。エロ動画もそうだが、人間の本能とはオソロシイものである。」
こういうところが、なかなか素晴らしい。
むちゃくちゃ厳しい――『不良老人の文学論』(3)
筒井康隆の文学賞の選評は、オビの推薦文などとは違って、ずいぶん厳しいものだ。
考えてみれば、オビのような調子で、選評をするのであれば、いくら賞があっても足りない。
まず第3回山田風太郎賞の選評より。
「山田宗樹『百年法』は、不自然な体言止めの多用が投げやりのように見えてしまい、地の文の途中から会話になり、地の文に戻らずに終わるなど、文体が文学的でないための弊害が目立った。会話ならいいが地の文で『昨夜になってようやく顔を出せた次第。』という語尾はないでしょう。小説家が『筆舌に尽し難い』と書くのに似た恥ずかしい文章です。」
まったく糞みそであるが、しかしよく読めば、けっこうな添削をしているとも言える。
評された作者は、どう取ったろうか。やっぱり、へこむだろうな。
次は第5回山田風太郎賞の選評。
「伊岡瞬『代償』の主人公はあきらかに読者よりも劣った存在として描かれているのだが、それがアイロニーにもユーモアにもなっていない。しかもこれは謎のあるミステリーなのだ。代りに寿人という優れた人物が謎解きをするのだが、弁護士資格を持っている主人公なのに言い返すことすらできない弱い性格では興味が持続せず失われてしまう。こういう人は最近のなさけない男性に多いが、これに感情移入せよというのは無理である。」
これも糞みそである。こちらは文体の問題ではなく、中身の問題。
主人公の性格というのは、根本的な問題だから、書く前に編集者とよく話し合って、委細を詰めておけばいいと思うのだが、たぶん著者と編集者の間に、そういうコミュニケーションはない。
同じ回の柳広司『ナイト&シャドウ』は、超人的なヒーローが活躍する物語だが、筒井康隆は、「ラストがわかりきっている小説であり、今や古い」と、切り捨てる。
そして重ねて言う。
「最後の数十ページは金魚の糞のように謎解きが小出しにされ、書き落とし、書き残しを総ざらいしているかに読めてしまう。テーマとなるべき動機や主張が途中で分裂し、結局はテーマも主張もないように感じられてしまうのも欠点。」
ほんと、これは全否定ですね。
第8回山田風太郎賞選評の澤田瞳子も、歯ぎしりしていよう。
「澤田瞳子の『腐れ梅』は最初の一行を読んで吃驚した。自分の作品を棚に上げて言うなら、これは下品である。文章も内容もだ。これで一定のレベルの美学は保持しているというのであれば、作者の美学の許容ラインはずいぶん低いと言わざるを得ぬ。」
これでは澤田瞳子は、筒井康隆の前に姿を現わせまい。……あるいは、逆か。
あんまり詮索すると物騒だから、このくらいでやめておこう。
巻末に付録として、短いインタヒューが載っている。
そこに、注目すべきことが書かれている。
「僕は何かイヤなことがあっても、『これは面白くなるな』とネチネチひねくりまわして考えているうちに短篇が一つできたりします。自分にとってイヤなことは他の人にもイヤなことだろうから、これをびっくりさせるように反転すればいい、と考えていくわけです。だから、小説のネタには事欠かないものですよ。」
自分にとってイヤなことを、他人に当てはめて考えてみる。それは考えるだけでも、イヤなことだ。それが小説家の、いってみれば、業(ごう)というものなのか。
ところで、オビに書いてある「巨匠14年ぶり」とは、どういうことなのだろう。「巨匠14年ぶり」で、だいたいの読者には、ああ、あのことだなと、わかるのだろうか。最後まで、そのことが疑問として残った。
(『不良老人の文学論』筒井康隆、新潮社、2018年11月20日初刷)
考えてみれば、オビのような調子で、選評をするのであれば、いくら賞があっても足りない。
まず第3回山田風太郎賞の選評より。
「山田宗樹『百年法』は、不自然な体言止めの多用が投げやりのように見えてしまい、地の文の途中から会話になり、地の文に戻らずに終わるなど、文体が文学的でないための弊害が目立った。会話ならいいが地の文で『昨夜になってようやく顔を出せた次第。』という語尾はないでしょう。小説家が『筆舌に尽し難い』と書くのに似た恥ずかしい文章です。」
まったく糞みそであるが、しかしよく読めば、けっこうな添削をしているとも言える。
評された作者は、どう取ったろうか。やっぱり、へこむだろうな。
次は第5回山田風太郎賞の選評。
「伊岡瞬『代償』の主人公はあきらかに読者よりも劣った存在として描かれているのだが、それがアイロニーにもユーモアにもなっていない。しかもこれは謎のあるミステリーなのだ。代りに寿人という優れた人物が謎解きをするのだが、弁護士資格を持っている主人公なのに言い返すことすらできない弱い性格では興味が持続せず失われてしまう。こういう人は最近のなさけない男性に多いが、これに感情移入せよというのは無理である。」
これも糞みそである。こちらは文体の問題ではなく、中身の問題。
主人公の性格というのは、根本的な問題だから、書く前に編集者とよく話し合って、委細を詰めておけばいいと思うのだが、たぶん著者と編集者の間に、そういうコミュニケーションはない。
同じ回の柳広司『ナイト&シャドウ』は、超人的なヒーローが活躍する物語だが、筒井康隆は、「ラストがわかりきっている小説であり、今や古い」と、切り捨てる。
そして重ねて言う。
「最後の数十ページは金魚の糞のように謎解きが小出しにされ、書き落とし、書き残しを総ざらいしているかに読めてしまう。テーマとなるべき動機や主張が途中で分裂し、結局はテーマも主張もないように感じられてしまうのも欠点。」
ほんと、これは全否定ですね。
第8回山田風太郎賞選評の澤田瞳子も、歯ぎしりしていよう。
「澤田瞳子の『腐れ梅』は最初の一行を読んで吃驚した。自分の作品を棚に上げて言うなら、これは下品である。文章も内容もだ。これで一定のレベルの美学は保持しているというのであれば、作者の美学の許容ラインはずいぶん低いと言わざるを得ぬ。」
これでは澤田瞳子は、筒井康隆の前に姿を現わせまい。……あるいは、逆か。
あんまり詮索すると物騒だから、このくらいでやめておこう。
巻末に付録として、短いインタヒューが載っている。
そこに、注目すべきことが書かれている。
「僕は何かイヤなことがあっても、『これは面白くなるな』とネチネチひねくりまわして考えているうちに短篇が一つできたりします。自分にとってイヤなことは他の人にもイヤなことだろうから、これをびっくりさせるように反転すればいい、と考えていくわけです。だから、小説のネタには事欠かないものですよ。」
自分にとってイヤなことを、他人に当てはめて考えてみる。それは考えるだけでも、イヤなことだ。それが小説家の、いってみれば、業(ごう)というものなのか。
ところで、オビに書いてある「巨匠14年ぶり」とは、どういうことなのだろう。「巨匠14年ぶり」で、だいたいの読者には、ああ、あのことだなと、わかるのだろうか。最後まで、そのことが疑問として残った。
(『不良老人の文学論』筒井康隆、新潮社、2018年11月20日初刷)