上級編集者論――『伝える人、永六輔ー『大往生』の日々ー』(4)

これは本当に、離れ業である。

そもそも、「『二度目の大往生』編集始末記」と題する「覚書」をものすることが、稀有なことなのに、それを著者に送り届けるとは。

「……これからもお付き合いが続く以上、気持ちよく仕事をしてもらうためには、こちらの姿勢を理解してもらう必要があると。わたしの『「二度目の大往生」編集始末記』はもともと個人的覚えに過ぎませんが、何を考えたのかは詳しく記されている。まったくの『予定外』ではありましたが、正直なところを知っていただこうと、思い切ってこの覚書をお送りします。」

「覚書」という矢は、永六輔という的の、ど真ん中を射抜いたに違いない。
 
著者と編集者の組み合わせは、初めは「偶然」に過ぎない。しかしそれが、「必然」に変わる瞬間がある。それが、この時である。井上さんは、「必然」の糸をたぐり寄せていたのである。

むろんこんなことは、ずっと前から、永六輔という著者を担当するときから、計ってやっているわけではない。この瞬間、手紙で「覚書」を送ったということ、つまりその反射神経が、素晴らしいのである。

このとき永六輔は、もはや編集者・井上一夫をおいて、ほかの人と組むことは考えられない、と思ったに違いない。

「永さんはすぐに読んでくれて、葉書で返事が届きました。いわく『ちょっとしたカルチャー・ショック』。」
 
ここには、「カルチャー・ショック」としか書かれていないが、永六輔の胸中は、感嘆とともに、複雑だったろう。井上さんと組むのは、容易なことではないぞ、しかし井上さん以外に組む人はあり得ない、と。

ここまで来ると編集も、究極は才能の問題である、と言わざるを得ない。
 
僕が、鷲尾賢也さんに書いてもらった本は、それに比べれば、ごく初級である。鷲尾さんは、『編集とはどのような仕事なのか』の「あとがき」に書いている。

「現場に即した編集の教科書が欲しい。現役のときからずっと思っていたことである。企画を発想する。原稿の書ける人を発掘する。それらは簡単なようでじつはむずかしい。あるいは、どのようにしたら読者に迎えられる本になるのか。そこにコツはあるのか。そのような、いわば実用に徹した手引きがほしかった。」
 
ここから、井上さんと永六輔の地平に至るまでには、気の遠くなるような道のりがある。
 
というか、これはもう、ほとんど誰も真似のできない、高みの存在にある。
posted by 中嶋 廣 at 09:24Comment(0)日記