上級編集者論――『伝える人、永六輔ー『大往生』の日々ー』(2)

『大往生』刊行後、半年余りで編集部に届いた、読者からの手紙は、200通から300通。これはそうとう凄いことなのだか、永六輔はこれに、必ず返事を書いた。
 
ここはさらっと書いているけれど、実は大変なことだ。著者で実際にこれをやる人は、いないんじゃないか。
 
戦前、加藤謙一が『少年倶楽部』を編集していたとき、編集部員は朝来て、まず読者カードに返事を書くのが仕事だった、という話を聞いたことがある。『少年倶楽部』も100万部を記録したが、その陰には、地道な努力があったのだ。
 
僕の知っているところでは、読者カードに必ず返事を書いたのは、池田晶子さんだった。『14歳からの哲学』が出るまでは、必ず返事を書いていた。
 
池田さんは、読者の善意を信じていたから、返事を書くのは、苦痛ではなかったようだ。というか、むしろ嬉々として、軽やかにやっていた。

『14歳からの哲学』が出て、10万部を超えたあたりから、自分と結婚してくださいなどの、いわゆるストーカー的な人々が出てきて、直接の手紙のやり取りはできなくなった。
 
しかし、永さんの場合は、さらにその先がある。

「読者からこれほど数多くの熱烈な手紙が寄せられるのは異例ですが、それ以上に異例だったのは、返事をもらって感激したという、再度ないし再々度の手紙がいくつも届いたこと。つまりこの本、著者=永六輔と読者との間に回路ができていました。それこそが特筆されるべきことで、その後もずっと続く関係になります。」
 
いやもう、ただ参りました、というほかはない。

『大往生』が爆発的に売れたので、必然的に続編の話が出る。
 
永六輔が提案したのは、「大往生その後」。

「『大往生』がなぜ売れたか、ベストセラー誕生物語がその内容だという。」

これはまあ、まともな出版社ならやらない。タコが自分の足を食うようなもので、いかにもみっともない。たいていの編集者なら、そう考えるところだ。

井上さんも、そういうふうに考えた。「結局、このテーマでは厳しいと判断せざるをえず、『残念ながら』とお返事することになります。」
 
しかしそうなると、井上さんの方から、プランを出さなければならない。これは大変なプレッシャーだ。何しろ『大往生』は、200万部に届かんとする勢いなのだから。

「苦吟する中で思いついたのが、『永六輔語録』です。永さんの言葉を出し、それに長いコメントをつけるかたち。これなら、講演そのままという重複感はかなり救えるし、方法としても特徴あるものにできそうだ。」
 
いろいろやってみた結果だろうが、「永六輔語録」なら、僕でも考えつきそうだ。

「かくして講演からいろいろ抜き出し、ワープロに打ち込む作業に取り組みます。とりあえず四〇〇字詰原稿でほぼ四〇枚分が完成、これをもとに仮目次をつくって、永さんに送る。ようやく展望が開けたように思いました。」
 
企画の最初の準備が整って、「永さん、苦笑していわく、『こういうのが出てくると、ホントにやるのかという気分になるな。』」
 
ところがこの後、事態はとんでもない方向に、向かうのである。
posted by 中嶋 廣 at 09:03Comment(0)日記